(※写真はイメージです/PIXTA)

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大手物流会社の下請けや地元企業との継続取引を中心に、安定した収益を確保していた運送会社。しかし、車両更新の借入や「2024年問題」の影響で売上が減少。さらにはウクライナ戦争や中東危機の影響で利益確保が困難に…。「評価額1円」として会社を手放すことを決意したが、その後、これまでの経営者人生を真っ向から否定するような、想定外の着地が待っていた。税理士の都鍾洵(みやこ しょうじゅん)氏が事例をもとに解説する。

運送会社元社長、1本の電話にあげた怒声

「そんな! まったく話が違うじゃないか!!」

九州地方で運送会社を営んでいた72歳の社長の田辺氏(仮称)は、思わず椅子から立ち上がった。

田辺社長の会社は、地元密着で長年堅実に経営を続けてきた。保有車両は10台弱、従業員は十数名。大手物流会社の下請けや地元企業との継続取引を中心に、安定した収益を確保していた。

しかし、年齢を重ねるにつれ、事業継続への不安は大きくなっていった。

後継者不在と重い借入

田辺社長には長男がおり、ドライバーとして入社した。しかし、遅刻を繰り返すなど素行がよくないうえに、あるとき、同僚のドライバーと些細なことで喧嘩となり、傷害事件にまで発展してしまったことから、けじめのために退職させた。

管理者に適している人材はほかのドライバーのなかにも見当たらず、事務所内の内勤の従業員にも、後継者に適した人材は見つからない。

また、運送業特有の問題として車両更新のための借入が積み上がっていた。さらに、いわゆる「2024年問題」で長時間労働は事実上不可能となり、連動して運賃が低下することから売上が減少し、収益を圧迫。そんな折にウクライナ戦争や中東危機の影響で、原価である軽油も10%近く上昇し、利益を確保することは困難となっていった。

当然、金融機関からの借入には田辺社長個人の連帯保証が付いている。その借入は2億円近くにまで積み上がった。

会社自体はなんとか維持できていたが「もし何かあれば、自分の人生丸ごと持っていかれる」という不安が常にあったという。

そんな苦境のなか、経営者仲間から大手M&A仲介会社を紹介された。

「連帯保証が外れるなら、それでいい」

「連帯保証を外せる可能性がある」

決算書を見たM&A仲介会社から言われた言葉に、田辺社長は思わず縋りついた。

会社の純資産はぎりぎりプラス。そのため評価額は「1円」という条件だった。

田辺社長としても、会社を高く売りたいという思いがなかったわけではない。しかし、それ以上に大きかったのは「連帯保証から解放されたい」という一点だった。

M&A仲介会社からもこう言われた。

「連帯保証が外れるだけでもよしとしませんか。社員の雇用も守れます。得意先にも面目が立ちます」

田辺社長はその言葉を信じ、仲介契約を締結した。

1,000万円の成功報酬

その契約から約2ヵ月後、仲介会社から「買い手候補が見つかった」と連絡があった。同業ではなかったが、書籍出版や広告業など、幅広く事業展開している会社だった。書籍の運搬業務があり、いくらでも仕事があるのだという。

(グループ会社には運ぶものがたくさんありそうだ。これはよい相手かもしれない)

田辺社長は心の中で小さくガッツポーズをした。

契約を進めるにあたり、仲介会社への成功報酬は1,000万円だった。仲介会社からは「仲介料は、一般的には譲渡額の5%程度ですが、御社の場合には譲渡額が1円のため、最低報酬1,000万円が適用されます」と言われた。

田辺社長は迷ったが、「これで2億円の連帯保証から解放されるなら」と思い、個人で長年積み立てていた定期預金を解約して支払う算段をした。

そして「連帯保証は譲渡から3か月以内に解除する」という譲渡契約を交わした。

そして起きた「想定外」

しかし、問題は譲渡後に起きた。買い手企業側は当初「連帯保証を外す方向で調整する」と説明していたが、

●金融機関の理解が得られない

●一定期間様子を見る必要がある

●借り換えすれば連帯保証は外れる

など、さまざまな理由を付けて、個人保証解除の話を先送りしたのである。

田辺社長は不安を募らせたが、

(買い手を刺激してヘソを曲げられるのも面倒だ。連帯保証はいずれ外れるのだろう)

と思い、様子を見るしかなかった。

「会社から資金が抜かれていく!」

その間、買収側企業は会社の総務に次々に指示を出し、

●資金の引き出し

●法人クレジットカードでの不要(に見える)な高額飲食費の決済

を繰り返した。

元からギリギリだった会社の資金繰りは、譲渡後に急速に悪化した。

ついには従業員の給料も遅延するようになり、主要なドライバーから抜けていき、売上も落ちていった。

そして最終的に、会社は倒産した。

連帯保証の現実

倒産後、取引金融機関から田辺社長に連絡が入る。

「連帯保証を履行してください」

田辺社長は言葉を失った。

「そんな! まったく話が違うじゃないか!!」

仲介会社に仲裁を迫ったが、返事はあっても具体的な動きは見られない。

肝心の譲渡契約上約束された連帯保証は外されることなく、残ったままだった。

結果として田辺社長は、自宅を含めた個人資産を手放すことになった。

会社を手放して引退したはずが、人生そのものを失う結果になってしまったのである。

問題はどこにあったのか

このケースで重要なのは、特定の仲介会社を批判することではない。

問題は、「何を前提に意思決定したのか」である。

田辺社長は「価格(1円)」ではなく、「連帯保証が外れること」を前提に意思決定した。しかし、その前提は確定事項ではなかったのである。

中小企業M&Aで見落とされがちなポイント

中小企業のM&Aでは、

●価格

●スキーム

に目が行きがちだが、実務上は金融機関対応(特に保証)が極めて重要になる。

●保証は本当に外れるのか

●いつ外れるのか

●外れない場合どうなるのか

この部分を取引金融機関も巻き込んで検討しないと、田辺社長のような結果になるリスクがある。

「条件」を詰めることの重要性

M&Aは「いくらで売れるか」ではなく、「どの条件で引き継ぐか」が本質だ。とくに

●連帯保証

●退職条件

●従業員の処遇

といった部分は、契約レベルでは不十分で、実務レベルまで詰める必要がある。

まとめ…田辺社長のケース、実は「氷山の一角」

本件の田辺社長のケースは、実は氷山の一角である。会社を売却したはずなのに、契約で約束した連帯保証は外れない、という場合が散見される。

M&Aは会社の終わりではなく、次の世代に経営をバトンタッチする重要な意思決定である。だからこそ、「安さ」「スピード」「大丈夫そう、という直感」だけで判断してはいけない。

その判断の前提が本当に確実なものなのか、確認した上で進めることが、何より重要である。

その意味で、M&Aに知見のあるコンサルタントや中小企業診断士、公的な立場の事業承継引継ぎ支援センターや顧問税理士など、利害から少し距離のある専門家に相談することも、リスクを回避する1つの方法かもしれない。

※ 本文の記事は実例を基に記載していますが、守秘義務の観点からエリアや個人名などは適宜変更しています。

都 鍾洵
税理士