「証言はなぜ無視されたのか」…高知白バイ事故から20年「実刑運転手の悔恨」と疑惑の「証拠写真」

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3月3日、高知県吾川郡春野町の国道56号交差点に白い花を手向け手を合わせる一人の男性の姿があった。20年前のこの日、この場所で起こった、いわゆる「高知白バイ事故」で実刑判決を受けた元スクールバス運転手・片岡晴彦さん(72)だ。

片岡さんは事故直後から一貫して「バスは止まっていた」と供述し、警察や検察の捜査に異議を唱えてきた。しかし、この事故で妻と幼い子どもを遺して亡くなった白バイ隊員(当時26)への哀悼の気持ちは、片時も忘れることはなかったという。その悲痛な思いは、事故翌年、筆者の取材に応えた片岡さんの「私は決して亡くなった警察官に責任転嫁をするためにこのような主張をしているわけではありません」(『フライデー』2007年11月23日号)というコメントにも表れている。

今回あらためて片岡さんが語る。

「20年という歳月が流れ、事故直前に生徒たちが昼食をとったレストランも廃業し、現場の雰囲気はずいぶん変わりました。でも、事故があった交差点に立つとあの日のことがよみがえります。そして、今も信じられないのです。どうしてあのような痛ましい出来事が起こってしまったのかと……」

事故は2006年3月3日、午後2時34分に発生した。昼食を終えた中学生たちを乗せ、国道沿いにあるレストラン駐車場から黄色点滅の信号交差点を土佐市方面へ右折しようとしたスクールバス(高知・仁淀川町所有)の右前角に、右方向から走行してきた高知県警交通機動隊の白バイが衝突。運転していた隊員は間もなく死亡した。バスには卒業遠足に出かけていた仁淀中学の3年生22名と引率の教師3名が乗っていたが、ケガ人はなかった。

「バスは止まっていた」

片岡さんは、業務上過失傷害の疑いで逮捕される。同年12月、検察側は「バスは安全確認を怠り、衝突時は国道の中央分離帯に向けて低速で進行中だった」として、業務上過失致死で片岡さんを起訴した。

一方、片岡さんの弁護団は「バスのすぐ後ろにいた校長のほか、乗っていた複数の生徒や教師らが『バスは止まっていた』と証言しており、右折のため道路中央で停止中だったバスに、白バイが高速度で衝突してきた」として両者の主張は真っ向から対立した。

さらに本件では、事故から半年後、捜査側から突然片岡さんに示された1枚の写真に注目が集まった(関連画像参照)。

検察側はこれを「急ブレーキの証拠」としたが、片岡さんは実況見分時にブレーキ痕を一度も確認していない。検察側から写真を見せられ、初めてその存在を知ったのだ。弁護側は警察による捏造ではないかと反論した。しかし、結果的にその主張は受け入れられず、禁錮1年4ヵ月の実刑判決が確定し、片岡さんは刑務所に収監された。

その後、片岡さんは再審(裁判のやり直し)を求めたが、最高裁はそれを認めない決定を下し現在に至っている。

地元のスクールバス運転手として生徒たちから慕われ、長年にわたりこの仕事で家族の暮らしを支えてきた片岡さん。しかし、一瞬の事故はその後の人生に大きなダメージを与えた。

「実刑という刑事罰だけでなく、免許取り消しの行政処分を受けたことで、私は生活の糧であった運転手という仕事を失いました。手も足も取られたようなかたちで、当初はどうしたらいいかわかりませんでした。それでも出所後は、友人たちが親身になって就職口を斡旋してくれ、女房には朝晩の送り迎えもしてもらって、何とかここまできました」

事故当時52歳だった片岡さんは、現在72歳。新聞配達のほか、水道メーターの検針、弁当の配食、デイサービスの送迎、介護施設の宿直など、さまざまなアルバイトを掛け持ちしながら、事故後の日々を過ごしてきたという。

「あのタイヤ痕は、本当に急制動をかけた際に付いた『ブレーキ痕』だったのか。『バスは止まっていた』という生徒たちの証言はなぜ無視されてしまったのか……」

あの日から20年、今も片岡さんに実刑判決を下した裁判官の判断に疑念を抱き続けている専門家は少なくない。

新たな再審請求の道を模索するためにも、本件を決して風化させることなく検証を続けることが重要だろう。

取材・文・写真:柳原三佳

ジャーナリスト