スマホゲーム「ウマ娘 プリティダービー」に登場するウマ娘のメイショウドトウは、その名前の迫力とは裏腹に、とにかく弱気な性格の持ち主。公式プロフィールにも「自分に自信がまったく持てない、弱気な垂れ耳ウマ娘」と書かれるほどだ。


2001年の宝塚記念、6度目の正直でテイエムオペラオーに勝利したメイショウドトウ

 この特徴は、モデルとなった競走馬・メイショウドトウからイメージされたものだろう。同馬はやはり名前とは違い、競走馬としてはかなりおとなしい性格だったという。

 さらに、ウマ娘・メイショウドトウのプロフィールに視線を戻すと、もうひとつ、特徴的な一文がある。「テイエムオペラオーの過剰な自信に憧れている」という一文だ。

 もちろんこれも、現実の競馬史に起因するもの。そう、競走馬のメイショウドトウといえば、当時「覇王」と言われ、日本競馬を完全制圧したテイエムオペラオーの最大のライバルだったのである。そして、そのライバル対決の大きな分岐点がG?宝塚記念(阪神・芝2200m)だった。

 ということで、競走馬メイショウドトウの歩みを振り返りたい。
 
 1999年1月、4歳(現3歳。以下、旧表記で統一)でデビューしたメイショウドトウだが、頭角を現すまでには時間がかかった。重賞やG?の舞台に立ったのは、翌年の2000年春。キャリア13戦目で初の重賞タイトルを手にした。

 さらにもうひとつ重賞を勝つと、初めてのG?となる6月の宝塚記念に挑戦する。ここで待ち受けていたのがテイエムオペラオーだった。

 同い年のテイエムオペラオーは、前年にG?皐月賞を勝っていたが、この年に入って明らかに一枚剥けた。年明けから重賞3連勝。前走ではG?天皇賞・春を完勝した。

 そしてこの宝塚記念、積極的に2番手でレースを進めたメイショウドトウは、わずかクビ差でテイエムオペラオーに敗れてしまう。G?初挑戦と考えればよくやった、逆転の可能性を残した敗北と見た人もいたかもしれない。

 しかし、ここからのテイエムオペラオーは、メイショウドトウにとってどうしても越えられない、遥かに高い壁となった。

 宝塚記念の後、2頭はそれぞれ重賞を制して、10月のG?天皇賞・秋で再戦。ここではテイエムオペラオーに2馬身半差をつけられて、メイショウドトウは2着に沈む。

 続く11月のG?ジャパンカップでは、当時、世界各国のG?で勝ち負けを演じていたファンタスティックライトを加えて、3頭の熾烈な争いとなった。

 前でレースを進めたメイショウドトウに、テイエムオペラオーとファンタスティックライトが直線で外から合わせる展開。ゴール前では3つの馬体がびっしり並んだのである。

 しかし、勝ったのはテイエムオペラオー。クビ差の2着にメイショウドトウが入り、ファンタスティックライトはハナ差の3着だった。世界的名馬の前に出ても、さらにその前に越えられない覇王がいた。

 続く12月のG?有馬記念では、多くの人が一瞬「ついに勝てる」と思った瞬間が訪れた。いつものようにメイショウドトウが宿敵の前に位置すると、テイエムオペラオーは4コーナーで進路が見つからず後方に置かれてしまったのだ。

 戦いの舞台となった中山競馬場は直線が短く、この位置から巻き返すのは難しい。メイショウドトウはもがく宿敵を尻目に必死で駆けたが、ちょうど先頭に立とうかというとき、テイエムオペラオーがものすごい末脚で一気に追い上げ、ライバルをかわしてゴールしたのである。恐ろしいほどの強さだった。

 2001年春もこの関係は続いた。前哨戦の重賞を勝った後、天皇賞・春ではまたも覇王に及ばず2着に敗れた。

 振り返ると、1年前の宝塚記念からG?5戦連続で2着となっていた。そしてその勝者はすべてテイエムオペラオー。ライバルが長距離路線のタイトルを総なめにするなか、つねに苦汁を舐め続けていたのだ。

 だが、逆転のときはやってきた。2001年の宝塚記念である。

 終始テイエムオペラオーの前でレースを進めたメイショウドトウ。4コーナー手前で早くも先頭をうかがうなど、これまでにないほど積極的に動いた。直線までに少しでもライバルより前に行こうという戦略だった。

 一方この時、テイエムオペラオーを囲む包囲網ができ、絶対王者は4コーナーで進路を失った。2頭の距離は大きく離れた。

 直線では、有馬記念のようにテイエムオペラオーが巻き返しを図るが、今度ばかりは譲らない。夏空の下、メイショウドトウの雄大な馬体と、鮮やかな青とピンクの勝負服が先頭を行く。実況を担当した杉本清アナウンサーは「ドトウ先頭、ドトウ先頭。ドトウの執念が通じるのか!」と声を上げる。

 そして、執念は通じた。5回の2着を経て訪れた逆転劇。テイエムオペラオーは2着だった。レース後、4コーナーの不利について審議のランプが灯ったが、入線順通りに確定した。

 このレースの後、2頭ともG?で好走を続けるが、タイトルを取ることはできず年末の有馬記念をもって引退。2頭の対決もここで終わったのだった。

 ライバル関係は数あれど、G?でこれだけ1、2着を続けたケースはないだろう。メイショウドトウにとってはほとんどが敗北だったが、最後に勝利をつかんだ。文字どおり、この馬の執念であり不屈の闘志が生んだ物語だ。

 ちなみに、引退後のメイショウドトウはほかの馬とも仲よく過ごしている。タヌキが居座ったこともあったといい、このエピソードはウマ娘にも反映されている。レースを離れれば、やはり温和な性格だったのである。

 そんなやさしいサラブレッドが、執念を見せた瞬間。2001年の宝塚記念は、忘れられないドラマである。