「こんな選手になるとは…」高校時代の恩師が明かすW杯戦士の横顔。名門“市船”出身者として初の大舞台へ。鈴木唯人はいかなる道を歩んだのか?
鈴木唯人、24歳。ブンデスリーガ終盤の負傷から急ピッチで回復した男は、今や誰もが知るアタッカーであり、5月15日に初戦を迎える北中米ワールドカップでもシャドーの一角として大きな期待が寄せられている。だが、その裏には幾多の困難があった。
真っ黒に日焼けした肌を見せながら、柔和な表情で昔の出来事を振り返った朝岡隆蔵氏は思わず笑顔が溢れた。現役時代には市立船橋高時代に高校サッカー選手権を制し、指導者としても2011年に母校で冬の日本一を経験。19年に監督から降り、千葉U-18の指揮官や中国で指導にあたった時期を経て、現在は福島県のふたば未来学園高で初の全国大会出場を目ざして選手たちとともに汗を流している。
長年にわたって高校生年代を指導してきたなかで、鈴木唯人に初めて出会ったのは今から10年前。だが、当時の記憶は鮮明に覚えている。最初に姿を見たのは、市立船橋高の練習会だった。
中学3年生の鈴木を見た時の印象について、朝岡氏はこう述べる。
「感情が見えない子だった」
鈴木の指導に携わったのは高校2年生までだが、その感覚は自身がチームを離れるまで拭い切れなかった。練習会で見たプレーも決して悪いパフォーマンスではない。「飄々と淡々とやっちゃうんだよね。だから、インパクトにかけていた」。朝岡氏の目には物足りなく映り、最終的に合否の決断を下せずに鈴木は合計3度も練習に参加することとなった。
最終的に入学が決まったのは年明け。市立船橋に行きたいという強い決意を持って何度も学校に足を運んだ結果、朝岡氏は最後の最後でプレーに変化が見えたと感じてGOサインを出した。
持っている能力はピカイチ。推進力や攻撃センスはほかの追随を許さない。一方でアベレージタイプでもあり、入学時点ではすぐにAチームでプレーできる選手ではなかった。同期で圧倒的な身体能力を持っていたDF畑大雅(現・シント=トロイデン)やDF鷹啄トラビス(C大阪)は明確な特徴があり、高校1年生の4月時点でトップチームに帯同していた。
当時、4月16日に行なわれた青森山田高とのアウェーゲームに筆者が訪れた際、朝岡監督が「面白い1年生が2人いるから、ベンチには入らないけど、こっちに連れてきたんだよね」と話していた記憶からも、指揮官の口から鈴木の名を聞くことはなく、即戦力のルーキーと見ていなかったのが分かる。
実際に鈴木は1年次にU-18高円宮杯プレミアリーグEASTで登録メンバーに入っていた一方で、試合には一度も出ていない。主戦場は同年代の仲間たちが競うルーキーリーグ(高校1年生のリーグ戦)。ただ、朝岡氏が期待をしていたのは事実であり、飛躍するための“レール”を敷きたいという想いはあった。迎えた高校2年次。朝岡氏は開幕から鈴木をレギュラーに固定。2列目で攻撃をリードさせ、とにかく実践の場を経験させた。
「ずっと試合に出していた。リーグ戦は全部出たんじゃないかな」
朝岡氏の記憶通り、鈴木はプレミアリーグで全試合に出場した。出場時間で見ても、同じアタッカーのポジションでひと学年上のMF井上怜(現・宮崎)やMF西堂久俊(現・山口)、FW城定幹大(現・鳥栖)と比較しても上回っている。エース格で世代別代表歴を持つ最上級生のFW郡司篤也がシーズン開幕前に負傷で長期離脱した恩恵もあったが、高校2年次の経験は飛躍をするうえで大きな意味を持った。
外の景色を見られたのも大きな刺激だったと言える。夏のインターハイは初戦で山梨学院に敗れたものの、同年に任されていた高校選抜では、周囲からの推薦もあって朝岡氏は下級生ながら鈴木をチームに組み込んだ。世代別代表に入った経験がなかった男にとっては初めての経験であり、飛躍するための“レール”にしっかり乗って歩み始めた。
