「100人斬りで、その8割は有名女優」…没後15年「長門裕之」はなぜ、妻「南田洋子」を献身介護したのか 大反響「老老介護」の裏にあった“負い目”
俳優の長門裕之さんが77歳で死去したのは、2011年5月21日。ちょうど15年の歳月が流れたことになる。長門さんは、歌舞伎役者の沢村国太郎と女優・マキノ智子の長男に生まれ、故・津川雅彦さんの実兄に当たるという役者一家の出。「にあんちゃん」「豚と軍艦」など、今村昌平監督作品で主役を務めるなどしたほか、テレビや舞台でも軽妙な演技を見せた名優だ。
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そんな長門さんのもう一つの顔が、女優の故・南田洋子さん(享年76)の夫としてのそれだ。映画『太陽の季節』で共演した2人は1961年に結婚。以来、舞台で共演し、音楽番組『ミュージックフェア』では夫婦で司会を務めるなど芸能界一の“おしどり夫婦”と言われた。2005年頃から南田さんに認知症の症状が出ると、亡くなる2009年まで介護し、その様子をテレビや自著で紹介。大きな反響を呼んだのだ。

しかし、その献身的な介護には「裏」もある。「週刊新潮」では南田さんが亡くなった際、夫婦の来し方を取材し、長門さんが介護を続けた、あるいは続けざるを得なかった理由について、詳報している。長門さんが妻に対して感じていた「負い目」とは何か――。
長門さんの死から15年経ち、現代日本では、「老老介護」の事例がますます増え、社会問題化している。以下の長門さんの事例でもわかるように、夫婦の円満な老後には、お互いに元気な時の“向き合い方”が重要だ。以下、当時の記事を振り返り、夫婦の関係の適切な築き方について考察してみよう。
【前後編の前編】
(「週刊新潮」2009年11月5日号記事を一部編集の上、再録しました。文中の年齢、肩書き等は当時のものです)
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人生を変えてくれた
10月21日午前10時56分、くも膜下出血で危篤となっていた女優・南田洋子さんが、都内の病院で息を引き取った。だが、かつて芸能界随一の“おしどり夫婦”と言われた夫・長門裕之は、妻の最期を看取ることはできなかった。11時に開演する『川中美幸特別公演』昼の部出演のため、長門はこの時、明治座に入っていたのである。
「いとしい、大好きな、すてきな女房が、さよならも言わないで永眠しました」
「介護することで僕の人生をよみがえらせてくれた。僕の人生を変えてくれた」
大勢の取材陣を前に、長門は亡き妻への想いを悲痛な表情で語った。そこでも自ら触れたように、最近の長門で話題となったのは、献身的な「老老介護」ぶりだった。
美談への違和感
05年頃から認知症の兆候が出始め、06年には芸能界引退に至った南田さん。日ごと症状が進む認知症と闘う長門の姿は、テレ朝の『報道発 ドキュメンタリ宣言』で昨年(2008年)11月に紹介され、視聴者の“感動”を呼んだ。4月にはその続編が放送され、同時に発売された著書『待ってくれ、洋子』は10万部超のベストセラーに。さらに長門は、バラエティにも、積極的に出演してきた。
だが、長門・南田夫妻のこうした「美談」仕立ての露出に“違和感”を覚える人々も、決して少なくない。
「そもそも、長門さんが南田さんを献身的に介護してきたのは、自分自身の“罪滅ぼし”のためでしょう。若い頃の裏切りや暴君ぶりについて贖罪するには、ああするしかなかったんです」(ある芸能レポーター)
“浮気の虫”が
夫としての最大の罪、それはあまりに奔放な女性関係だった。85年に出版され大いに世間を騒がせた暴露本『洋子へ 長門裕之の愛の落書集』(データハウス刊)で、長門はこう書く。
《ぼくの“浮気の虫”が、地中深く潜って冬眠していたのは、2年間の同棲期間だけだったような気がするのだ》《なにしろ、結婚してから2年間くらいは、女房の他に、なんと7人の女がいたのだ》《ひと晩に洋子を含めて、4人の女性をかけもちで愛しちゃうという離れ技をやったのもあの頃だった》
こんな自慢話もある。
《2時間ものの単発ドラマを2本見たら、いやぁ、自分ながら驚きの声をあげてしまった。トータル4時間のドラマの中に、なんと、ぼくと深い仲になった女優さんが7人も出てきたんだよね。いや正確にいうと、コマーシャルにも2人登場してきたから、都合9人という計算になるわけだ》
本の出版に当たり、関係した女性を数えてみると、
《優に100人は越えちゃうのだ。その内訳は、約8割が名だたる女優なんだよね。もちろん芸能界には“千人斬り”を自称する後輩もいるけど、たぶん独身時代を含めてのことだろうと思う。ただぼくの場合は、結婚してからの10年間の軌跡というわけだから、われながらその精力に感嘆せざるをえないのだ》
京都の旅館で若手女優の肢体をまさぐっている時に、妻から掛かってきた詰問の電話。その女優との不倫が発覚したのではなかったことに安堵したのも束の間、長門が自宅のお手伝いさんにまで手を出していたことがバレていたのだった。
実名エピソード
だが、『洋子へ』の凄いところは、そんな際どい話が実名を挙げて語られているところだ。たとえば、元女優Aとの、こんなエピソード……。
《いま東京に来ているんだけど、ぜひ会って話したいの。新橋第一ホテルのロビーで待っているわ》
そんな電話を受け、ホテルの部屋を訪ねた長門。愛し合った後、
《ベッドから起きあがって身づくろいをしながら、彼女の口から思いもかけない言葉が飛びだした。淡々とした口調だった。/「あのう、......、私、結婚するの。そう、結婚することにしたの」/「…………」/「だから、あなたとのことは、これっきりにしてほしいの」》
CM7本を降板
テレビドラマで長門とよく夫婦役で共演した女優Bを、長門は“女房公認の恋人”と呼んで、こんな風に紹介する。
《洋子と一緒にいる時間よりも彼女といるほうが長い時期があったからね。惚れっぽいぼくとしては、たちまちゾッコン。ある時期はずいぶん燃えあがって、ふたりでよく外泊したものだ。家へ帰るのがイヤだと思うときがあったくらいだった》《ロケ先のホテルでは、ぼくの下着を洗濯までしてくれるんだよね》
「この本が出た時の芸能界の衝撃は凄かったですよ」
芸能レポーターの須藤甚一郎氏が振り返る。
「長門夫妻は一緒にフジ『ミュージックフェア』の司会を務め、冠婚葬祭にも常に2人揃って登場した“おしどり夫婦”。その長門さんが、あんな暴露本を出したわけですから。当時はワイドショー全盛期で朝昼晩で10番組がありましたが、それが一斉に取り上げました。特に、Bさんが“なんで私があんな人のパンツを洗わなきゃなんないのよ!”と激怒していたのが印象的でしたね」
“訴訟も辞さず”という関係者の猛抗議に驚いた長門は、際どい内容は出版社が“捏造した”などと苦しい弁明を重ねる。そして、記者会見で“こんなバカバカしい本は買わないでいただきたい”と、自著を投げ捨てるパフォーマンスまで見せたのだった。Aは“昔のこと”と笑って済ませたが、“事実無根”と主張するBに対しては、長門は新聞に謝罪広告を掲載する羽目に。2カ月後、問題部分を書き換えた改訂版が出版され、騒動は一応収まったが……夫妻は出演番組と7本のCMをすべて降板することになる。
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何ともすさまじい騒動だが、長門さんが妻に抱いていた「負い目」はこれだけではない。【後編】では、南田さんが苦労した、義父・沢村国太郎のシモの世話も含めた壮絶介護と、夫婦のその後について詳述する。
デイリー新潮編集部
