母の節香さんが使っていたハサミを手に思い出を語る西野勝善さん(左)と父の道晴さん(15日、兵庫県西宮市で)=河村道浩撮影

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 乗客106人と運転士が死亡し、562人が負傷した2005年のJR福知山線脱線事故は25日、発生から21年となった。

 理容師の西野勝善さん(56)は、事故で犠牲になった母・節香さん(当時63歳)が切り盛りしていた「ヘアーサロンにしの」(兵庫県西宮市)を守り続けている。「母に少しでも近づきたい」との思いを胸に。(阪神支局 竹村文之)

 あの日、節香さんと、父の道晴さん(86)が夫婦で経営していた店は、定休日だった。母は大阪で理容の講習会に参加するため、事故を起こした列車の2両目に乗り、帰らぬ人となった。

 店はニュータウンの真ん中にある。1985年、夫婦は開発中だったこの街を選び、自宅を兼ねた店を構えた。翌年、福知山線の西宮名塩駅が開業すると、カラーリングやパーマを得意とする節香さんの腕前が評判を呼び、客が集まった。

 母が憧れの存在だった勝善さんは、小学生の頃から店の掃除を手伝い、理容の道に進んだ。専門学校を出て店で働き始めたが、母は厳しかった。「全然あかん」「私をちゃんと見とき」と叱られた。

 母は、理容の競技大会で何度も上位に入るなど技術は優秀。そのうえ、陽気な人柄で「お客さんを喜ばせることに妥協を許さない人だった」。いつか、一人前として認められたい――。事故がそんな願いを断ち切った。

 事故の約1週間後、営業を再開した。「母と同じようにはできませんが、僕でよければ」。そう断りを入れながら、ハサミを動かした。客の笑顔と感謝の言葉が、心にしみた。懸命に働くことで、事故を思い出さないようにしてきた。事故を起こしたJR西日本への特段の感情はない。「時間は取り戻せない。前向きに生きよう」と考えてきた。

 事故の数年後、高齢になった父から経営を任された。支えになったのは母が遺(のこ)した客の情報を記録したメモ。髪質に応じて使い分けるパーマ用薬剤の種類、配合の割合が一人一人について事細かく記されていた。

 「恥ずかしい仕事はできん」。店に飾っている母の写真のもとで気持ちを奮い立たせ、自分なりの持ち味を加えようと頑張ってきた。

 この21年間でニュータウンは高齢化し、人口も減った。店は古くなったが、母の常連客専用のいすは、革を張り替えながら使っている。父は、母が愛用した大小8丁のハサミを磨く。客は3人ほどの日もあるが、「ファンが通ってくれる限りは、ずっと守っていく」と決めている。

 25日午前、道晴さんと兵庫県尼崎市の事故現場に整備された追悼施設「祈りの杜(もり)」での追悼慰霊式に参列し、「同じような事故を繰り返さないように」と願った。命の尊さを改めて胸に刻み、午後からはいつものように店を開けた。