住民は「この町は韓国の恥部だ」と…「公共の電気ガス水道は行き届かない」ソウル『最後のスラム』で起きた“恐るべき事態”
人口の上位1%が富の4分の1を占める韓国。格差社会の象徴とも呼ばれてきた場所がある。タルトンネ=月の町と呼ばれる韓国最大のスラムだ。NHKスペシャル「臨界世界 月の町タルトンネ ソウル最後のスラム」(4月26日夜9時から放送)。経済成長の光と影が交錯する巨大スラムの今を記録した。(寄稿:NHK趙顯豎、NHK有元優喜/全2回の1回目)
【画像】全財産を使い果たした元夫に「出て行け」と家を追い出され…幼い息子を抱えてスラムに流れ着いた女性(80代)
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ソウル・カンナムの“巨大スラム”
その町は、たった一本の道路によって社会から隔絶されていた。
丘の斜面に、1000を超す粗末なバラックがひしめいている。狭い路地を歩くと、見たことのない素材の外壁がつづいている。苔むして緑がかったフェルトのような繊維の生地、黒いゴミ袋に何かを詰めて積み上げた土囊、赤茶色に錆びた冷蔵庫や洗濯機が積まれてできた塀。路地は舗装されておらず、土壌がむきだしだ。電気、ガス、水道、公共インフラの一切は行き届かず、頭上を這うように、手製の電線や水道管が無造作に張り巡らされている。
しかし、ここは、経済大国・韓国の首都ソウル、その中でも“超”がつく一等地「カンナム」にあるスラムなのだ。
韓国一の地価を誇るカンナムには、一流企業の本社ビルや高級ブティックが軒を連ねる。立ち並ぶタワーマンションには、K-POPスターやIT長者、開業医など、社会でも群を抜く「富豪」が暮らしている。ひとつの区画に数十棟ものタワーマンションが同時に建設される地区もあり、商業施設、映画館、学校、病院などを兼ね備えた「高級タワーマンション村」とでもいうべき街を形成している。そんな高級住宅地と、幹線道路を一本隔てて、韓国最大のスラムが広がっていた。ここでは、「社会で最も貧しい者」が「社会で最も富める者」を見上げながら、暮らしてきた。
消え去りゆく「最後のタルトンネ」
都市部の丘に築かれたスラムを、韓国語で「タルトンネ」と呼ぶ。「月の町」という意味だ。由来は、月に届くほど小高い場所にあるためという説や、バラックの屋根に空いた穴から月が美しく見えるためという説など、諸説ある。タルトンネという言葉は、朝鮮戦争後の焦土から生まれた。韓国全土で300万人以上が家を失い、首都ソウルに流れ込んだ人々は、急な斜面に手作業でバラックの町を築いた。タルトンネとは、誰もが等しく貧しかった時代を象徴する、郷愁や詩情を含んだ韓国独自の表現だ。
かつては国内に無数のタルトンネが存在していたが、再開発によって次々と姿を消していった。カンナムにあるのは、ソウルに残された「最後のタルトンネ」である。そして、この「最後のタルトンネ」もまた、まもなく消え去ろうとしていた。
立ち退きを拒む人々
2025年夏、「ソウル住宅都市開発公社」が、タルトンネ一帯の土地の権利を取得した。バラックを取り壊し、30棟を超す「タワーマンション村」の建設を進めるためだ。韓国は日本とは比較にならないほど、首都への一極集中が進む社会であり、首都圏には全人口の半数が居住する。不動産価格の高騰は著しく、再開発による住宅不足解消は政府の至上命題でもある。
国家的な要請が、タルトンネにも及ぼうとしていた。開発公社は2025年中の全住民立ち退き完了を目標に掲げ、1107世帯が立ち退きを命じられた。だが、その一部は立ち退きを拒み続けていた。
彼らはどのように日常を生きているのか。なぜ、ここで生きてきたのか。なぜ、街を出て行かないのか(行けないのか)。「最後のタルトンネ」を記録に残したい、と思った。

タルトンネに常駐するソウル住宅都市開発公社の警備員 ©NHK
「この町は韓国の恥部だ。私たちを晒し者にするつもりなんだろ?」
現地に降り立ったものの、路地には人通りがほとんどない。住んでいるのか、住んでいないのかも分からない、朽ち果てたバラックばかりだ。「空き家閉鎖」と書かれた板が打ち付けられた家もある。
かろうじて出会った住民からは、厳しく、冷たい視線を向けられた。
「日本からわざわざ来て、こんな町を撮ってどうすんだ。もっと韓国には撮るべきものがあるはずだ」
「この町は韓国の恥部だ。私たちを晒し者にするつもりなんだろ?」
カメラを携える私たちに放たれた言葉は、これまでに彼らが社会から向けられた視線を物語っているように思えた。この町の生活を記録に残したい。そう述べても、理解を得られることはなかった。町を歩き回りながら、ただ時間だけが過ぎていく。
ほとんど成果が得られないまま、10日ほど経ったときのことだ。路地のどこからか、話し声が聞こえてくる。ボロボロに朽ちたベニヤ板の扉で閉ざされた門の奥に、声の主がいるようだ。
恐る恐る声をかけ、扉を開けると、バラックの納屋のような空間で、年老いた女性と中年の男性が缶ビールを空けていた。
「すみません、この町で暮らす人のことを記録しているのですが……」
すると、中年の男性が口を開く。
「この人は生き証人だよ」
年老いた女性が語り始める。
「1988年に来たんです。幼い子どもをひとり抱えて。全財産を使い果たして、希望もなくて……。言葉では言い尽くせないほど、大変な思いをしました」
そう言って、はぁー、と大きな溜息をついた。それが、80歳のアン・イスとの出会いだった。
元夫に「出て行け」と家を追い出され…幼い息子とこの地に流れ着いた
ボロボロのベニヤ板の奥にあるこの小屋は、アン・イスが自ら建てた家だ。隣にいる中年の男性は、近所に住む30年来の友人で、アン・イスのもとにマッコリを1本だけ買って訪ねるのが日課なのだという。この日はマッコリが売っておらず、缶ビールを2本買ってきた。
ふたりが座る納屋の扉は開けっ放しで、空が見える。アン・イスはいつも、一日の大半を、ここに座って過ごすのだという。誰も訪ねてこなかったとしても。
「いつもここから空を見て、ただぼんやりと……。自分の境遇を嘆いています。私が愚かだったのか、運がなかったのかって」
ここに住み始めたのは37年前。かつて、全財産を使い果たした元夫に「出て行け」と家を追い出され、行き場を失い、幼い息子を抱えてこの地に流れ着いた。
「最初は夢にもここに住もうなんて思いませんでした。でも雨が降って、行くところがなくて。どうにかお金を工面して、小屋を建てるのに必要な木材とか市場でいろいろなものを買い揃えてきました。テント張りでもいいから建てて住もうと思ったんです。市場で白菜を積んだトラックから、白菜の葉っぱがたくさん落ちるんですけど、それを拾って茹でて売ったりしました。仕事ならなんでもやりました」
アン・イスは自らの壮絶な人生を語り始めた。そして、私たちは様々な住民に話を聞くことができた。タルトンネに暮らす住民のほとんどが高齢者だった。朝鮮戦争以降、韓国が急激な経済成長を遂げていく時代を生きてきた人々だった。
町を出て行けない200世帯の住民たち
開発公社は、タルトンネの住民に、ソウル市内の賃貸住宅に移住するよう求めていた。金銭的な事情を考慮し、通常の6割引きの家賃で提供するとしているが、収入のないアン・イスは、割引価格の家賃も払うことができない。
「引っ越せと言われても、どうやって生活すればいいのかわかりません。命を絶つわけにいかないし。身体も良くないから……。お金のある人はいいですが、私のように貧しい人間は、ここで暮らすしかありません」
開発公社が立ち退き完了目標として掲げていた2025年末。7割の住民が町を去っていた。しかし、アン・イスをはじめとする残りの約200世帯は、目標日である12月31日になってもタルトンネに残り続けていた。
町を出て行けない住民を前に、再開発は強行されるのか。それとも、何か別の方策が打たれるのか。先が見通せないまま、2025年は終わった。
そして年が明け、タルトンネで起きたのは、誰ひとり思いもしなかった、恐るべき事態だった。
〈「町が燃えています」ソウル“巨大スラム”が半日で焼け野原に…火災原因は不明→「住民を追い出そうと火が…」渦巻く疑念〉へ続く
(趙 顯豎,有元 優喜)
