もしかしたらあの都市銀行が外資系になっていた? 私が米金融業界の大物から直接聞いた「幻のスクープ」
「広報部長とはどうあるべきか」
激動のイラン情勢のなか世間は緊迫しているが、今回、当コラムは肩肘張らないテーマを選ぶ。昨年暮れの某日夜、金融機関の方との酒食の席が大いに盛り上がった。昔話で。
三井住友フィナンシャルグループの山中正人広報部長、SMBC日興証券の岡田康志広報部長と東京・神楽坂のカジュアルフレンチの有名店でご一緒した。美味しい料理とワインが皆の口を軽くしたのは言うまでもない。
主たる話題は、そのものズバリ「企業の広報部長は如何に在るべきか」であった。山中、岡田両氏が取材される側であり、筆者はする側である。その立場の違いから、両者に緊張関係はもちろんある。
だが、筆者はいささか馬齢を重ねており、大手金融機関の優秀な広報マンよりも場数を踏んでいる。それ故に相応の経験と知見がある。由ってその存念を聞かせていただきたいというのだ。叶うのであれば事例で以て説明して下さいと所望された。
両氏に披瀝した「広報部長案件」事例が、以下の個人的体験である。先ずは、記憶を辿りながら80年代後半の出来事だったと切り出した(初っ端から申し訳ないが、実際は90年代後半の事案だったことが後に判明した)。
この物語は、ある勉強会での出遭いから始まる。当時、筆者の知己で旧通商産業省出身(東京大学工学部卒業・技官採用=資源エネルギー庁原子力発電安全管理課長など歴任)の平田辰一郎元衆院議員(旧鹿児島県2区選出)に連れられて訪れたのは、経済評論家の三原淳雄氏主宰の勉強会だった。
金融業界の大物と朝めし
東京・内幸町の中日ビル地階のレストラン「シーボニア」でほぼ3カ月に1回の頻度で催されていた。メンバーは企業幹部、官僚、ジャーリスト。
こうして固有名詞を挙げて記しているが、件の酒席では、その勉強会主宰者の三原氏の苗字すら口端に出て来なかった。それでも、その有名評論家は日興證券OBであり、ニューヨーク支店長常務を務めた方だからなのか、告別式は築地の本願寺で執り行われたのをハッキリ覚えている。件の平田氏と列席したから……といったレベルの記憶だった。
それだけでは「広報部長案件」に繋がらない。思い出す事柄を一つひとつ岡田氏に宛てる。だが、世代が違うので話が嚙み合わない。
ところが次に口にした固有名詞が奇貨として、筆者のストーリーテリングは進んだ。その人物の名前は、サンフォード・“サンディ”・ワイル。1980年代初頭はアメリカン・エキスプレス(アメックス)社長である。
食べ、飲み、話しながらも名前が出て来ないため、喘ぎながらポロッと漏らした「アメリカントラベラーズの何とかという社長と、確か日興證券社長だった何とかさんと一緒にホテルオークラのスイートルームで朝食を食べたことがある」が、何とピンポンだった。
瞬時、岡田氏は「それはサンディ・ワイルですね。当初はトラベラーズグループ、後に米金融大手シティグループの会長として、我が社と合弁事業でJV設立という法人ビジネスの分野で関係があったと思います」と答えたのだ。
そこからの記憶巡りは、怒涛のように進んだ。次は山中氏が斬り込む。「なぜ、この話が広報部長案件と繋がるのですか?」
「フジバンクのトップと…」
筆者は次のように説明した。後に判明した日興證券の金子昌資社長(当時)は先の三原勉強会で知己を得た。なぜか気が合った。「近く来日する米金融界の大物ワイルに会ってみないか」と誘われた。
宿泊先のホテルオークラに同氏を訪ねた。ルームサービスで運ばれた数々の料理はすべてクローシュ(銀メッキの大きな円形の蓋)で覆われていた。米ビジネス界には「パワーブレックファースト・ミーティング」という言葉がある。
肝心なワイル、金子両氏のビジネストークはレベルが高すぎて、筆者には殆どチンプンカンプン。それでもワイル氏は、何か聞きたい事がありますかってな感じで振ってくれた。
然らば月並みな質問だが、来日の最大の目的は? と尋ねたら、「『フジバンク』のトップとのミーティング」と答えた。退室してから金子社長に言われた。「ワイルが富士銀行トップと会談って、スクープじゃないですか」と指摘されて初めて、事の重大さを認識した。
ここからが「広報部長案件」。直ちに当該の富士銀行広報部長A氏に電話で事実関係を質した。
「御社の頭取(当初、松沢卓二氏と思っていたが後にY・Y氏と判明)は東京滞在中の米シティグループのサンディ・ワイル会長と既に会談していますか、未だであれば予定はありますか。もしあれば、会談のテーマは提携話ですか、教えて欲しい」。事前予告なしの厚かましい質問であることは承知している。
翌日の回答が奮っていた。A氏は電話口の先で「お前が知るべき事案ではないと秘書部長に言われた」と恐縮の体だった。事実だと確信した。
金融大手シティグループ会長・最高経営責任者(CEO)であり、その経営手法はM&Aを繰り返すことで巨大化した金融界の超大物ワイル氏が、富士銀行のY・Y頭取と極秘会談していたとすれば……。
当時、山一証券の自主廃業の後始末で四苦八苦していた富士銀行が、シティグループとの提携を模索しているのであれば、金融再編の水面下の動きとして報じる価値は十分にある大スクープであった。
……ところが筆者には、これを記事にした記憶がない。後に富士銀行が第一勧業銀行と日本興業銀行との合併の道を選んだことは、周知のとおりである。
後編記事『45年分の「システムダイアリー」に細かくメモ…ベテランジャーナリストが金融機関の広報部長と付き合う理由』では、大変僭越ながら、企業広報の心構えを説く。
