「有事の金」と「株との逆相関」――1970〜2000年代に形成された金相場のイメージ
金(ゴールド)相場には、過去と現在で異なる値動きの見方があります。1970年代以降の金価格は、有事や株式市場との逆相関と密接に結びつき、投資家の間で「有事の金」「株と金の逆相関」というイメージが醸成されました。本記事では、ブレトン・ウッズ体制の崩壊からITバブル期までの金相場の変動を振り返り、過去の値動きとその背景について、楽天証券経済研究所コモディティアナリストの吉田哲氏が解説します。
ブレトン・ウッズ体制と金の役割
金(ゴールド)相場は、過去と現在に分けることができます。値動きの説明の仕方に過去と現在がある、と言い換えることもできます。つまり、過去の値動きを説明する仕方と、現在の値動きを説明する仕方は同一ではない、ということです。
1944年に米ニューハンプシャー州のブレトン・ウッズホテルで会議が行われました。連合国側が第二次世界大戦終戦後の国際通貨体制を話し合ったブレトン・ウッズ会議です。
ここで、米ドルを基軸通貨(国際取引で幅広く使用する通貨)とし、その米ドルを金(ゴールド)1トロイオンスあたり約35ドルで固定した上で、各国の通貨の交換比率を固定することが決まりました。いわゆる「ブレトン・ウッズ体制」です。
同体制は、米ドルを中心とした実質的な金(ゴールド)本位制であるため、「ドル・金本位制」などと呼ばれました。金(ゴールド)の保有量が米ドル、引いては各国の通貨政策に大きな影響を与えました。
ニクソン・ショックと変動相場制への移行
ベトナム戦争で米国経済が疲弊したことや、将来的な世界経済拡大を見据えた米ドルの供給体制を再構築する必要性が高まったことなどがきっかけとなり、1971年にニクソン・ショックが起き、同体制は終わりを迎えました。そして、金(ゴールド)が担っていた米ドルを支える役割も終わりました。
同体制が終わりを迎えた後、金(ゴールド)相場は米ドルや各国の通貨と同様、本格的な変動制に移行しました。金(ゴールド)の価格動向は、市場に委ねられるようになったのです。
ブレトン・ウッズ体制下で1トロイオンスあたり約35ドルで固定されていた金(ゴールド)相場は変動相場制に移行した後、徐々に上昇し、1975年ごろは160ドル近辺で推移していました。
有事が押し上げた金相場(1970年代〜1980年)
そして、1970年代半ばから80年代前半かけて、1つの大きな山を形成し、1980年1月には850ドルに到達しました。
この急騰劇を強く後押ししたのは、複数の有事が立て続けに起きたことでした。第四次中東戦争(1973年10月)、イラン革命(1979年2月ごろ)、在イラン米国大使館人質事件(1979年11月)、旧ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年12月)などです。こうした出来事を受けて、「有事の金(ゴールド)」という言葉が生まれました。
世界規模の強い不安感が生じたとき、金(ゴールド)は最後の拠り所(ラストリゾート)や資金の逃避先と目され、資金が流入して価格が上昇する、という意味です。
株価との逆相関が意識される1990年代
1990年代になると、米国で株価指数が急騰しました。1990年代前半に340ポイント前後だったS&P500種指数は2000年代前半に1,400ポイント前後に到達しました。いわゆるITバブルです。
そしてこの期間、金(ゴールド)価格は410ドル前後から280ドル前後に下落しました。「株と金(ゴールド)の逆相関」という言葉が目立つきっかけとなった出来事でした。
投資家の金相場イメージの形成
このように、金(ゴールド)相場が変動相場に移行した1970年代前半から2000年代前半までを振り返ると、「有事の金(ゴールド)」「株と金(ゴールド)の逆相関」、という言葉が形成・拡散された経緯を確認することができます。
ある意味、この期間に投資家が金(ゴールド)相場に抱く「イメージ」が、醸成されたと言えます。そして、わかりやすさも後押しし、それらが今もなお、「天動説」のように根強く信じられています。
吉田 哲
楽天証券経済研究所 コモディティアナリスト
