「平野歩夢」と金メダルを争ったレジェンド「ショーン・ホワイト」の功績…98年「スノボ競技」採用は五輪の命運を握る決断だった
ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックの前半戦、日本勢はスノーボードとスキー・ジャンプのメダル・ラッシュで沸き立った。とくにほぼすべての種目で優勝を争うスノーボードは「日本のためにある競技」と言いたくなるほど、男女とも世界をリードしている。
【取材・文=小林信也(作家・スポーツライター)】
【写真】ショーン・ホワイトに引導を渡したスノーボード・平野歩夢選手のこれまでの歩み
スノーボード界のレジェンド
そんな中、あの“誰もが知るレジェンド”ショーン・ホワイト(アメリカ)が解説者として現地に入ったというニュースが話題になった。日本のファンにとっては、平野歩夢のライバルとして知られる存在。平野が2018年平昌五輪で銀メダルにとどまった時、金メダルに輝いたのがショーンだった。2回目に平野が逆転し首位に立ったが、ショーンは3回目に圧巻の演技を披露し大逆転で平野を退けた。ライバルながら天晴れ、その勝負強さに日本中のテレビ視聴者が圧倒された。そして次の22年北京五輪、引退を宣言して臨んだショーンを退け、新たなに王者となったのが平野だった。平野にとっても、絶大な存在であるショーンがいたからこそいっそうの高みを目指し、そして伝説を築いた、かけがえのない存在と言っていいだろう。

五輪報道の中でショーン・ホワイトはしばしば「スノーボード界のレジェンド」と形容されるが、もっと早い時代からスノーボードに親しんでいた愛好者からすれば、「本物のレジェンドはほかにいる」と言いたいだろう。そのいわば幻のレジェンドの名は、テリエ・ハーコンセン(ノルウェー)。1990年代の幕開けとともにスノーボード界に出現したテリエはまだ16歳の少年だった。ボードメーカーBurtonのビデオに登場し世界をアッと言わせたテリエは、92年からは各種大会で連戦連勝。当時最大の大会だったUSオープンでも連覇した。93年からはハーフパイプ世界選手権で3連覇。“史上最も影響力のあるスノーボーダー”と呼ばれるようになった。全体のレベルがそれほど高くなかった黎明期に、テリエはひとりだけ別次元の高さと回転数で他の選手を圧倒。スノーボード界を新たな次元に導いた。
1974年生まれのテリエは2000年代に入っても現役で活躍し続けたが、やがて“レジェンド”の称号は、12歳下の天才少年ショーンのものとなった。その冠の継承は、ある決断によってもたらされたと私は感じている。
五輪の転機となったスノーボードの採用
スノーボードは1998年長野五輪からオリンピックの正式種目に採用された。当初は、男女ハーフパイプと男女大回転が実施された。
これは当時、オリンピックの存亡にも関わる大きな出来事、IOCの分岐点と言ってもいい出来事だったと私は感じている。五輪人気の低迷が案じられ、一方で1994年に始まったXゲームズ(当初はエクストリーム・ゲームズ)の人気が沸騰していた。スケートボード、BMX、スノーボード、サーフィンなど、従来のスポーツのイメージを凌駕するポップでハイな感覚の競技が若者たちの心を捉えた。その勢いなら、五輪がXゲームズに凌駕されるのではないかと予測する向きも少なくなかった。ところが、IOCは大胆な決断をした。Xゲームズと張り合うのでなく、従来の五輪のイメージとは相容れない印象の強いXゲームズ系の競技を積極的に採り入れ、五輪の傘の下に収めようとしたのだ。その目論見は成功し、いまではXゲームズ系の種目が夏も冬も五輪の主要な人気種目となっている。おかげで五輪は古臭い大会でなく、新鮮なムーブメントを包含する先鋭的なイベントとして君臨し続けている。東京2020からはスケートボード、サーフィンも採用され、2024年パリ五輪ではブレイキンも種目となった。スノーボードの採用を契機に、五輪自体が方向性を変えた一大転換期だったのだ。
オリンピックの金メダリストになることで、時代のアイコンとなり、ビッグ・ビジネスの可能性が生まれる。その成功例がもう何例もあるのだから、若い選手が次のアイコンを目指すのは当然といえば当然だろう。
だが、この流れに異を唱える選手たちもいた。代表格がテリエだった。彼は当然、長野五輪で初代金メダリストになる最右翼だった。しかし、テリエは長野五輪に出場しなかった。出られなかったのではない。敢然と欠場を選択したのだ。
「オリンピックの国対国の構図はスノーボードの〈自由な精神〉に反する」というのが正式な拒絶の理由だった。背景には、IOCがそれまでスノーボードの発展に尽くしてきたISF(国際スノーボード連盟)でなくFIS(国際スキー連盟)に競技運営や選手選考を託したことへの強い反発もあった。
金メダルが必ずしも最高の価値ではない
五輪に出場しなかったことで、テリエはスノーボード愛好者のレジェンドであっても、世界のスポーツファン全体に敬愛される機会を失った。代わって、五輪に登場し、劇的な優勝争いを制し、多くのファンに尊敬される存在となったのがショーンであり、平野だ。
オリンピックに絶大な影響力があることは否めない。余計な理屈や哲学を抜きにして、「出るしかない」という判断を咎める気はない。だがこうした巨大ビジネス化した“哲学なきオリンピック帝国主義”に駆逐され、スポーツの大切な何かが失われていないのか、考える機会はあっていいだろうと私は思う。
東京2020のスケートボード中継の解説者として、「ゴン攻め」「ビッタビタ!」などの名言(迷言)で視聴者の胸を捉えたのは瀬尻亮だ。彼もまた実力的には解説者の席でなく、選手として競技に参加してもおかしくない、というか本来なら参加すべき実力者だった。そのことをどれだけの日本人が知っているだろう。東京2020の3年前、NHK総合テレビ「グッと!スポーツ」に出演したプロ・スケートボーダーの瀬尻亮の言葉がいまだに頭の中で響き続けている。
「東京五輪に出るかどうか、まだ決めていません」、番組が彼を主役に選んだのは、当然、金メダル候補の実力者だから。しかし、瀬尻は自然体でこんな風に言った。
「僕らスケートボーダーはライバルであっても素晴らしい技を決めたら『やったな』ってハイタッチして一緒に喜ぶのが当たり前なので、オリンピックで『日本選手だけがんばれ』みたいな空気はちょっと違うなと思って」
その言葉をどれほどの日本人が理解できただろう。瀬尻はこんな風にも言った。
「いままた新しい動画を作っていて、これを世界中のファンに見てもらえたら自分の演技の高さや価値は理解してもらえる」
オリンピックの金メダルが必ずしも最高の価値ではない。時代は多様化している。相変わらずメダルを獲った日本選手ばかりを話題にするマスメディアの報道姿勢。オールドメディアのこうした古さも見直される時期に来ている。
スポーツライター・小林信也
デイリー新潮編集部
