淡島千景(新潮社1957年撮影)

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【写真】吹き抜けのある豪華邸宅でソファに横たわり…1957年、東宝の看板女優だった頃の「淡島千景」さん

石井ふく子さん、淡路恵子さんらが証言

 昭和を代表する女優、淡島千景さんが87歳で死去したのは、2012年2月16日のことだった。タカラジェンヌを経て映画やドラマ、舞台で活躍し、森繫久彌さんと共演した「夫婦善哉」をはじめ代表作は数知れず。「お仕事さえできればお金はどうでもいい」と語るほど、生涯を芝居に捧げた人生だった。

 そうした気質ゆえか、死後は意外な私生活が明らかになった。晩年にみずからテレビドラマへの出演を希望、自宅を担保に借金までするなど、生活は決して楽ではなかったという。淡島さんにいったい何があったのか――当時の「週刊新潮」は、喪主を務めた甥の中川賢也さん、女優の淡路恵子(2014年没)さん、「渡る世間は鬼ばかり」プロデューサーの石井ふく子さん、同脚本家の橋田壽賀子さん(2021年没)ら関係者から、貴重な証言を得ていた。

淡島千景(新潮社1957年撮影)

(全2回の第1回:以下、「週刊新潮」2012年3月1日号「『膵臓ガン』入院費用も借金だった『淡島千景』」を再編集しました)

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1月には自宅でステーキを

 淡島さんは、酒もタバコもやらず、とにかく80歳を過ぎても元気だったという。ところが、2010年10月から2011年9月にかけて放送されたドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)の最終シリーズの収録中に体調を崩した。

「検査をした結果、半年くらい前に私と兄(中川徹也さん)が主治医に呼ばれ、膵臓ガンだと告げられました」

 と話すのは、淡島さんの甥の中川賢也さん。

「しかし、おばに(ガンを)告知すればガックリくるだろうと思い、あまり良くない腫瘍としか言えませんでした。(2011年)11月、12月は週1回くらい病院へ連れて行き、レントゲンを撮ったり、血液検査をして、抗ガン剤を処方してもらっていた。それでも正月には、家でステーキやあわびを食べたりして、元気だったんですよ」

 その後、背中や腰の痛みを訴え、発熱の症状もあらわれた。そこで、1月上旬に入院することに。

亡くなっても尊敬の念は不変

 女優の淡路恵子さんは、1月下旬、淡島さん危篤の報を受けた。急いで病院へ駆けつけたが、淡島さんの口には人工呼吸器が付けられ、担当医から病状を聞かされたという。

「次にお見舞いに行ったのは2月11日で、1時間ほど面会しました」

 と、淡路さんが振り返る。

「淡島さんは私の手や顔を触りながら、じっと目を見つつ、一言一言噛みしめるようにお話しされた。『アイスクリームが食べたい』と言っていたのが印象的で、私は春になったら一緒にお花見に行くことと、次はアイスを持って来ることを約束しました。その時までには絶対に回復する、と信じて疑いませんでした」

 淡島さんが亡くなったのは、5日後の16日である。

「その日の夕方、淡島さんの自宅へ伺いました。棺桶の中の彼女は、小さくも綺麗で穏やかなお顔でした。今思えば、11日にお話ができたのは神様のおかげなのでしょう。意識不明の状態が最後なんてあんまりですから。亡くなっても淡島さんを尊敬する気持ちは変わりませんし、目標とする唯一の女優さんです」(淡路さん)

傑出した演技力があった

 元々、淡島さんは戦中・戦後、宝塚歌劇団の娘役トップスターとして活躍していた。その後、映画界に転じ、1950年「てんやわんや」でデビュー。1955年、森繁久彌さんと共演した「夫婦善哉」などで、その演技力が高く評価された。

 映画評論家の白井佳夫氏はこう絶賛する。

「彼女が他の女優と違うのは、商業映画だけでなく芸術派や社会派、どんな映画に出ても『淡島千景』という存在感を常に放っていた点です。傑出した演技力があったということ。しかも、宝塚出身なので舞台もできたし、テレビドラマと変幻自在にやっていらした。最後まで第一線で活躍し、これだけ長い間、観る人に愛された女優はほかに思いつきません」

 1988年に紫綬褒章、1995年に勲四等宝冠章を受章した。出演した映画は、じつに200本以上に上る。

 遺作となったのは「渡鬼」である。プロデューサーの石井ふく子さんは、淡島さんと60年近くの付き合い。昔から淡島さんを本名の“慶子さん”と呼んでいる。

「慶子さんは、美味しいものを食べるのが好きなくらいで、これといった趣味もなかったと思います。いつも演技のことを考えている方でした。お年なのに正座しても常に背筋がピーンと張っていました。立派なものです」(石井さん)

「渡鬼」に出演した“余程の事情”

 淡島さんは、「渡鬼」では、小島眞(えなりかずき)の会社の先輩、長谷部力矢とその妹、まひるの祖母、マキを演じ、全47話中、計10話に登場した。収録は8月末まで行われた。

「以前と比べ、だいぶお痩せになられたので、最初は大丈夫かなと思いました。でも、凜とした演技はいつも通りでしたし、長台詞もものともせず、しっかり演じていました」(石井さん)

 さすが、日本を代表する大女優である。演技は少しも衰えていなかったようだ。もっとも、淡島さんが「渡鬼」に出演することになった背景には、こんな事情があった。

「そもそも淡島さんが『渡鬼』に出演することになったのは、石井さんが淡島さんから頼まれたからです」

 そう話すのは、TBS関係者。

「淡島さんのマネージャーをしていた垣内健二さんが亡くなり、彼女は困っていました。垣内さんにお金のことは全て任せていたとかで、自分の財産がどうなっているのかさっぱりわからない、と。そこで、まず淡島さんは石井さんに相談。石井さんが、資産を管理する税理士や弁護士などを紹介した。それから暫くして、淡島さんが石井さんに『仕事がしたいの。もしよかったら、何か出してくれない?』と持ちかけたのです。淡島さんほどの大女優がそんな話をするなんて、余程の事情がおありだったのでしょう」

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 昭和40年代までは長者番付にその名を連ねていたのに――第2回【「お金はどうでもいいの。お仕事さえできれば」長者番付の常連から借金6000万円まで、大女優「淡島千景さん」の役者一筋人生】では、脚本家の橋田壽賀子さんが明かした“恩返し”や、自宅を担保にした老後の借金などについて伝える。

デイリー新潮編集部