プレゼント。

その包み紙を開けたとき、送り主から相手への想いが明らかになる。

ずっと言えなかった気持ち。意外な想い。黒い感情…。

ラッピングで隠された、誰かの想い。

そこにあるのは、プレゼントなのか。それとも、パンドラの箱なのか──。

▶前回:こんなプレゼント貰ったら、一瞬で別れる…。女が失望した、5万円の誕生日プレゼントとは




雨が降っても、傘をささない。

半ば冗談だと思っていたその慣習は、本当だった。

少しずつ湿っていく衣服に不快感を覚えながら、愛子は小雨のロンドンを歩く。

郷に入っては郷に従え。

雨の中を歩くのは、ロンドンに来たばかりのころは童心に返ったようで楽しかった。でも、すぐに飽きた。じわじわと身体が湿り気を帯びてくるのは単純に気持ちが悪い。

そう思っているのに、愛子は今日も傘をささずに歩く。

それは、郷に入ったからなのか、はたまた周囲と同調しようとする日本人らしさから来るものなのか。自分でもよくわからなかった。

でも、今日ばかりはそんなことはどっちでもよかった。

とめどなく溢れ出る涙を、人目をはばからず流し続ける。

嗚咽を掻き消してくれる雨音と、涙を洗い流してくれる雨水。

愛子は、はじめてロンドンの気候に感謝した。




愛子は、大手総合商社で働く29歳。去年からここロンドンに赴任してきた。

海外赴任は学生時代からの念願だった。嫌々きたんじゃない、喜々としてここロンドンへやってきたのだ。

しかも、ヨーロッパで暮らすのは昔からの憧れ。

休みを使ってヨーロッパ中を旅行したい。クロアチアのドブロブニクにも行きたいし、スイスでラクレットチーズを食べたいし、パリの自由な空気にも触れてみたい。

ロンドン赴任が決まったとき、愛子の脳内には夢が無限に広がっていた。




海外赴任が決まった当時、愛子は28歳。

結婚適齢期に差し掛かる頃。結婚かキャリアか…と悩むのが普通なのかもしれないが、愛子の中に迷いなんて1ミリもなかった。

辞令が出たその日に、恋人の正樹の自宅に押し掛け報告。海外へ行くか否かを恋人に相談するなんていう発想はなかったのだ。

「ねぇ、ついに私赴任が決まったの!!しかも、ロンドンなの!」

大学の国際交流サークルで知り合った正樹は、愛子の憧れを知っている。だから、彼は絶対に喜んでくれる、そう信じて疑わなかった。

「そうなんだ…」

正樹が淡々と話を受け流す様子を見ても、何も察することができなかった。

「すごくない?他の赴任が決まった同期は、アフリカとか東南アジアが多くて。ま、それはそれで楽しそうだけどさ。私ずっとヨーロッパ憧れてたじゃん?」
「…」
「あ〜、ロンドンか〜。ご飯だけが慣れるか心配だな〜。ねぇ、正樹も遊びにきてね?」
「…」

まくしたてるようにしゃべり続けて、そこでようやく気づいた。

「正樹…?」
「…」




「嬉しくないの…?」
「嬉しいよ。おめでとうって思ってる。ずっと知ってたし、愛子が頑張ってたの」
「なら、よかったけど…」
「…」

そして、ふと正樹が部屋の隅に視線をやったことに気がついた。

「あれ、何…」

小さなワンルーム。ソファの端っこに、ちょこんと遠慮がちに置かれていたのは、Tiffanyの紙袋だった。

「愛子。今日、付き合って4年目の記念日って、覚えてた?」
「…」

正樹はいつも、愛子のことを応援してくれる。いつも、2人のことを最優先に考えてくれる。

自分のことでひとり舞い上がってしまっていたことが、急に恥ずかしくなった。

「やっぱりね…」
「ごめん…。忙しくて、つい…」

大手メーカーでメカエンジニアとして働く正樹。ガジェット好きで、淡々とした日々の仕事に楽しさを見いだす彼と、目標を掲げ、広い世界へと飛び立っていきたい愛子。

2人の間には、知らず知らずのうちに溝ができていたのかもしれない。

気まずい空気が2人を包むも、正樹はTiffanyの袋の中身を取り出す。

「すごくタイミング悪いんだけどさ…」

そして、正樹は意を決した様子で、それを愛子に差し出した。

「愛子が海外赴任したがってるのは知ってた。だから、その前に結婚したいなって思ってたんだ…」

正樹は、伏し目がちに指輪を見せる。

「うそ…。嬉しい…」
「でも…」

正樹は言葉を詰まらせる。

「でも…?」
「実際にこうなってみてわかった。遠距離でうまくやっていける自信は、僕にはないかもしれない…」
「え…」
「愛子。僕は君と結婚したい。日本に留まって、僕と結婚してくれないか?」
「…それでも、海外へ行くっていったら?」
「…」




愛子は雨に濡れながら、ボロボロと泣きながら、ロンドンの街を歩く。

1年前のあの日。気まずい空気の中のプロポーズは、結局白紙に戻った。

結論を出せないまま付き合いは続き、東京とロンドンの遠距離恋愛が始まったけれど…

結局、1年が経った今日。愛子と正樹は破局を迎えてしまったのだ。

時差のせいもあり、うまく話し合う時間すらとれなかった。関係は悪化の一途を辿るだけ。さっき電話で話した時にはもう、2人の間にできた溝が修復不可能であるということをお互いに十分すぎるほど理解していた。

遠距離が原因だったのか。それはただのきっかけにすぎなかったのか。当の2人にも、もうよくわからなかった。

ただ、1つの恋が終わっただけ。

それだけのことだけど、愛子の負ったダメージは想像以上のものだった。




ひとしきり泣いたあと、愛子はふと目に入った小さなアイリッシュパブに入った。

日本にいた頃は、1人で飲みに行くなんてハードルが高かったけれど、海外だと自由に行動できるのはなぜだろう。

そんなことを考えながら、必死に正樹以外のことを考えようとした、そのとき──。

「失恋?」

久しぶりに、耳に日本語が響いた。

「え…?」

ふと横を見ると、30代半ば位だろうか。日本人の綺麗なお姉さんが、そこにいた。

「その泣き腫らし方、失恋でしょ…」

さくらと名乗ったその女性は、ふふふと笑いながら、愛子の腫れたまぶたに視線をやる。

― 失恋以外のことを考えようとしていたのに…。

懐かしい生で聞く日本語に触れたからか、誰かに話を聞いてほしいと思っていたからなのか。

「…はぃ…っ」

自分に向けられた優しい視線に、愛子は気づくと子どものように泣きじゃくってしまった。

「どうしたの。私でよければ話聞くわよ」
「え…」

さくらさんの優しい声色に促されるように、愛子は事の顛末を洗いざらい話していた。






それから2年、愛子はロンドンでの生活を思い切り謳歌した。

すぐに心の傷が癒えたわけでもない。

ときおり思い出したかのように傷が疼くこともあったけれど、それでも愛子は、憧れを自分の手にした喜びを、心ゆくまで楽しんだのだ。

そんな風に立ち直れたきっかけ。それはあの日、さくらさんからもらった言葉だった。

号泣しながら、「すごく好きだったんです…」と嗚咽交じりに吐露したとき、さくらさんは言ったのだ。

「泣くほど好きな人に出会えたって、幸せなことじゃないの」

なぜだかわからない。けれど、何かを諭すようなその言葉を聞いたとき。痛すぎるこの失恋の傷は、いつか素敵な思い出へと変わるんだと思えた。

失恋の真っただ中でもらった、小さな優しさ。それは、立ち上がるための大きな大きな後押しになったのだ。






日本に帰国してから、3年という月日が流れた。

イギリスでの生活も、正樹との失恋も、遠い過去と化したいま、愛子は副業でライターの仕事をはじめた。

小さなWebメディアで、恋愛コラムを執筆している。

たった一度、ほんの数時間話をしただけのさくらさん。年齢も職業も、今どこで何しているかも、まったくわからない。

もう二度と会うことはないだろう。

けれど、あのとき彼女にもらった言葉は、間違いなく愛子を救うプレゼントだった。

あの言葉があったから、愛子は立ち直れた。

どんなに素晴らしいキャリアを積み重ねようが、歳を経て大人になろうが、ときに失恋は女をどん底に突き落とす。

たかが失恋、されど失恋。

突然もらった言葉のプレゼントに大きく背中を押された一人の人間として、同じように誰かの背中を押してあげたいと強く思ったのだ。

忙しく本業の仕事をしながら、なんとか捻出した時間で、愛子は執筆する。

別にお金に困っているわけでもないし、将来その道に進みたいわけでもない。ときどき、私は何をやっているんだろう…とふと我に返るけれど、使命感にも似た感情が愛子を突き動かし続ける。

どこかで失恋に絶望し、打ちひしがれている女の子に、どうか届きますように。

そんな祈りをこめながら、愛子は今日も書き続ける。

さくらさんからもらったプレゼントを、今度は今傷ついている誰かに―。

愛子は、入魂のメッセージを届ける。

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