レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第57回・ヤシン(元ソ連代表)
さて今回、サッカーダイジェストWebに登場するのは、長い手足や跳躍力による完璧なセービング技術、優れた洞察力、守備範囲の広さで、20世紀最高のGKと呼ばれた、「黒クモ」ことレフ・ヤシンだ。
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1929年10月22日、ソビエト連邦(当時)の首都モスクワに生まれたレフ・イワノビッチ・ヤシン。少年時代から身体が大きく、友人から「エッフェル塔」と呼ばれた彼は、父親の勧めもあって、様々なスポーツを経験した。
アイスホッケー、サッカー、バレー、体操、水泳、陸上……なかでも、アイスホッケーのGKとしての資質は群を抜いたものであったが、11年に始まった第二次世界大戦により、高いレベルでプレーするチャンスはしばらくお預けとなった。
14歳からモスクワ郊外の工場で働いていた47年、ディナモ・モスクワのアイスホッケー部に入団するも、ヤシンは徐々にサッカーへの思いを強めていく。優れた守備力を有する彼にとって、「アイスホッケーのゴールは狭すぎる」(本人談)からであり、またディナモのサッカー部門の国内外における活躍ぶりに憧れたからでもあった。
49年、サッカー部門にも属し、二足のわらじを履くようになったが、サッカーではアレクセイ・ホミッチという偉大な正GKからポジションを奪うことができず、51年にトップチームでデビューを飾るも、その後はベンチを温める日々が続いた。
53年にはサッカーを断念することも考えたが(アイスホッケー部のコーチはそれを強く勧めた)、彼を思いとどまらせたのは、ヤシンを後継者と考えるホミッチだった。偉大な先輩の説得を受けて猛練習を継続したヤシンは、間もなくしてホミッチの怪我で出場機会を得ると、ついにレギュラーポジションを獲得する。
「サッカーこそが私のスポーツ」と語り、ストイックに技術の向上に励み続けたヤシン。190センチに達する上杖、同身長の人間と比べても明らかに長い腕と足、グローブのように大きな手、そして跳躍力、敏捷性と、身体能力と運動能力に恵まれた彼は、至近距離でのシュート練習を繰り返すことで、抜群のセービング能力を身につけていた。
本当はGKよりもフィールドプレーヤーになりたかったというだけに、足技も得意であり、それがプレーエリアを広くした。50年代当時のGKといえば、ゴール前だけを守るのが普通だったが、ヤシンはペナルティーエリア全体をカバーするだけでなく、状況に応じてそこからも飛び出していったのだ。
「ボールをしっかりキャッチして味方の攻撃に繋げること」がGKの仕事と心得、シュートを弾き出すことすら“敗北”と捉えるほどの完璧主義者&理想主義者ぶり、そして「技術や身体能力は二の次。とにかく絶対にボールを止めるという強い意志こそが大事」という精神力の強さが、彼をトップクラスのGKに押し上げた。
その革新的なプレースタイルにより、ヤシンはディナモ在籍中に戦った326試合のうち160試合で相手にゴールを許さなかった。そして多くの勝利に貢献した結果、チームにリーグ5回、リーグカップ3回のタイトルをもたらしている。
ソ連ナンバーワンの守護神が世界でその名を轟かせたのは、ひとつは代表選手としての数々の大舞台での活躍があったが、それと同様に、スターが勢揃いする華やかなオールスターマッチで華麗な技を披露したことも大きかったと言えよう。
