これまでに経験したことがないほどの猛暑に襲われている日本列島。メディアでは熱中症予防の呼びかけが繰り返されていますが、水分摂取も重要な対策です。ところが多くの小学校では水筒の持ち込みが禁止されており、学校側と保護者間の対立も報道されるところとなっています。この問題について、「根本から考えておかねばならない」とするのは、アメリカ在住の作家にして教育者でもある冷泉彰彦さん。冷泉さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、3つの点から「水筒禁止校則」について考察しています。

水筒禁止という校則を考える

猛暑が続く中で、まだ夏休みに入る前、日本の多くの小学校では「水筒持参の禁止」という校則と、子供に給水させたいという保護者の当然の要求が衝突する中で、全国的に様々な対立劇が起きていたようです。

最終的には、余りにも猛暑がひどかったために、最後の数日間は規制が緩んだ学校が多かったようですが、それにしても杓子定規な規制という印象があります。

調べてみると、「水筒はダメ」という根拠としては2点あるようです。

1つは、逸脱だからダメだという考え方です。まず小学校一般として「勉強に関係のないものは持ってきてはいけない」というルールがあり、全国の小学校はこの規則の維持にこだわっているわけです。更に言えば、生存のために水は必要であって、お茶までなら許容できるが、ジュースや炭酸飲料などの「贅沢な飲み物」を持ち込まれては許容できない逸脱になるので、何が入っているのか分からない水筒は困るということがあります。

もう1つは、健康問題です。保温した水筒に氷と共に入れた飲料ならともかく、保温機能のない単なるペットボトルなどに、減菌していない飲料を入れていたら、猛暑の折、最終的に飲料の質が悪化して飲むと健康被害が起きる可能性があります。ウッカリ、学校に水筒を忘れてしまい、翌日に古くなった水を飲まれても困るということもあります。そうした健康問題が学校構内で起きた場合に、責任が取れないということもあり、従って持ち込み禁止ということになります。

これが「水筒禁止」の背景ですが、では、学校の構造として自由に水が飲めるのかというと、そんなことはありません。教室内には水道の設備は普通設置されていません。水飲み場というのは、校舎や校庭にあって、休み時間等に使うことになっています。また、日本の学校カルチャーとしては、授業中には水を飲むための離席は禁止されています。

そんなわけで、自由に水が飲めないのであれば、授業中に飲めるように水筒を持たせたい、だが、それも禁止ということになっていたわけです。

最終的には、先ほど申し上げたように、余りにも酷暑がひどく、最終的には犠牲者まで出てしまった中では、7月の最後の方は「禁止を緩める」学校が増えて行ったようです。

そうであれば、とりあえず一安心ということなのかもしれませんが、この問題はやはり根本から考えておかねばならないように思います。

3点考えたいと思います。

1点目は、管理者の資質ということです。校則で水筒を禁止しているのは、それより大切な概念である「子どもの命を守る」という目的の手段として行なっているわけです。ですが、その校則のために子どもの健康が危険に晒されては本末転倒です。原理原則と、その道具としてのルールという「管理の全体像」が見えていない、従って、臨機応変に最適解の判断ができないというのは、管理者失格です。

これでは、天災やテロなどへの対応にも大きな不安があります。このような訓練不足で、資質的に向かない人材を管理者にしては、本人を含めて全員が不幸になります。学校現場だけでなく、教委もふくめて、そうした人物を排除できるような人事政策を考えるべきでしょう。

2点目は主権者教育という問題です。ルールというものについて、このような杓子定規な運用を見せつけるというのは、子どもたちにどんな影響を与えるでしょうか? ルールというのは絶対だとか、ルールを守らないと損をするということを、強く刷り込むだけになるのではないでしょうか?

現在、18歳選挙権に合わせて「主権者教育」ということが言われています。仮に主権者教育というものがあるのであれば、それは「ルールに縛られる」人間ではなく、「ルールを作り、維持し、必要な改定を行い、常に機能させる」ために、議会という間接民主制を通じて立法権を行使する有権者を育てることに他なりません。

そうであるのなら、大人たちが、それも尊敬の対象であるべき学校長や、教委が、このような本末転倒な「ルールの運用」を見せつけるというのは、大変な誤りであるとしか言いようがありません。

3点目は、学校不信という問題です。本末転倒なルールの運用を行って、結果的に学校が子供の健康や生命を守ることすらできないのであれば、親子に対して学校不信というのを刷り込むことになります。

例えばですが、1960年代末に「学生運動を行なった高校生を、名指して教師が警察に売った」などという事件があり(東京の話です)、学校への猛烈な不信感として、その世代にトラウマを残しました。80年代には管理教育という「管理スキル欠如」を見せつけられた「校内暴力世代」が、学校不信という心情を抱えて成人しています。そして、今また、新しい世代に学校不信を抱えさせるというのでは、日本の教育は更に漂流することでしょう。

いずれにしても、一事が万事であり、今回の「水筒禁止校則」をめぐる迷走を踏まえて、学校現場における管理スキルを向上させ、校長教頭教員が、子どもたちに胸を張って「大人としての見本」を見せつつ、学校への信頼を引き寄せて行っていただきたいと思うのです。

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