崖っぷちアラサー奮闘記:自宅の前で待ち伏せする不審な女性と、連絡のつかない求婚者……
前回までのあらすじ
北岡涼子、30歳、元女優。社会人経験なし、資格なし、貯金なし。芸能界で活躍したが、徐々に干されて今に至る。就職活動をしようにも、「綺麗」以外の特性がないため続々と不採用通知を受け取る。
そんななか大先輩の小田につれられて足を踏み入れた、銀座の超高級クラブ『銀華』の由紀ママにひょんなことから店にスカウトされ、夜蝶デビューを果たした。
働き始めてから元彼の拓海と再会した際、プロポーズされるものの、世の中はそれほど簡単に物事は運ばないようで……。

「あなた、北岡涼子さんですよね?」
初対面の女性が自宅の前で自分を待っていて、しかも自分のフルネームを知っていることに涼子は驚愕した。なにも言えずにいると、女性が頭を下げつつ自己紹介をする。
「突然お邪魔してすみません。わたし、田中麻由子と申します。わたし、あの、その……拓海さんの……」
拓海の名を出されて涼子はピンときた。麻由子は拓海の元彼女だ。
だが、不信感が拭えない涼子は麻由子に聞く。
「どうしてわたしの名前と家を……?」
すると、また「本当にすみません」と麻由子が深く頭を下げる。
「わたし昔、彼のスマホを勝手に見てしまって、北岡さんのお名前は存じ上げてました。あの、今週おふたりで『はまの屋』にいらっしゃいましたよね。わたし、偶然居合わせて話を聞いてしまって。それで、悪いとは思ったんですけど、北岡さんの後をつけてこの場所を知りました」
偶然居合わせる? 雑多な人間が群居するこの広い東京で、そんな巡り合わせがあるのだろうかと首を傾げたくなった。
なぜあの日『はまの屋』にいたかを聞きたかったが涼子は黙り込んだ。麻由子の自分を見る目と態度がどこかおどおどとしていて、しおらしくさえ見える。拓海から聞いていた麻由子像とは結びつかない思いが、言葉を失わせていたからである。
――別れ話をするたびに泣き喚いて、自殺未遂騒ぎまで起こしたと聞いてたから、もっと勝ち気な人だと思ってたけど。
しかも、いま告げた三度目の「すみません」は、心の底から申し訳なさそうに涼子には映る。
「それで、どういったご用件でウチに?」
涼子が聞くと、目を伏せながら麻由子が言った。
「お節介なことは重々承知してるんです。だけど、どうしても北岡さんにお伝えしたいことがあって。北岡さん、彼の本当の顔知ってますか?」
そう前置きして、実は……と語る麻由子の話に、涼子は唖然とした。思わず「嘘……!」と言葉が漏れる。
「本当なんです。わたしはもう、彼のことは忘れると決めたからいいんです。でも、自分のように悲しい思いをしてほしくなかった。それだけを伝えたくて今日は来てしまいました」
それでは失礼します、と言って去る麻由子を見送らず、涼子は慌てて家のなかへ入った。
――すぐ拓海に確かめなくちゃ。
だが部屋へ入ってスマホを取り出した瞬間、操作する指が止まる。
――電話で聞いてどうするつもりなの。言葉で説明されたってきっとわたしは納得しないのに。それに、電話で話しても感情的になってしまうだけかもしれない――。
ためらった挙句、涼子は拓海にLINEをした。
「次はいつ会える?」
しかしその夜、拓海からの返信はなかった。
涼子のLINEに拓海が返事をしてきたのは、月曜に入ってからだった。
拓海がすぐLINEに返事をしなかった理由とは?
「いま電話できる?」とLINEをするとすぐ拓海は電話をかけてきたが、咳き込んでいる。
「ごめん、あの夜から熱が出て、ずっと寝てた。涼子と久しぶりにデートしたから、身体がびっくりしちゃったみたいだ」
ハハハ、と咳き込みながら笑う拓海の声を聞いて、涼子はいま、麻由子が自分を訪ったことを触りだけでも話すべきではないと判断した。結婚を申し込まれたときに感じた違和感のことも。身体が弱っているときに伝えるような内容ではないし、なにより拓海の体調が心配だった。
「大丈夫? 言ってくれたらお見舞いに行ったのに」
「もう熱は下がったし、涼子は日曜、同居してる子にネイルしてもらうって言ってたじゃないか」
「そんなことよりも……」拓海の照れくさそうな声が聞こえる。
「次はいつ会える? ってLINEくれて、うれしかったよ」
涼子が会いたがる真の理由を知らない拓海は、無邪気そうである。
「俺、明日から急な出張が入ったんだ。涼子、夜は駄目だろう? だったらまた土曜か日曜、空いてるかな」
「どっちでも平気だよ」と答えると、「じゃあ、早く会いたいから土曜日にしよう」と拓海が鼻声で言う。
「咳してるうえに鼻声じゃない。心配だから、なにかあったらいつでも連絡してね」と言い、涼子は電話を切った。

その夜。涼子は紗耶香とともに、やや早めに『銀華』へ出勤した。紗耶香が日曜、涼子に話した現状を由紀ママに伝えるためである。
「両親には彼と別れるって言ったの。彼がいる部屋にはもう戻れないから、しばらく実家に帰って、新しい部屋を見つけたらひとり暮らしするつもり。30歳の独身には実家って、やっぱり居心地悪いし。
ただ、実家にいる間は、ホステスはお休みするしかないと思う。両親に仕事のこと言えなかったんだよね……反対されるに決まってるから。だから毎晩、終電のない時間に夜会巻きのままタクシーで帰るのは、実家にいると無理なんだ。
でも、ひとり暮らししたらホステスの仕事は再開したいの。駆け出しのネイリストのお給料じゃ生活費なんて賄えないから、ホステスの仕事で貯金してから、イチからネイルの仕事やり直す。
だけど勤め始めて1週間やそこらで休んだら、仕事を続けたいって言っても信じてもらえなくて、お給料ももらえないかもしれないじゃない?考えたんだけど、お店を休むことは月曜に伝えて、しばらく働いてからお休みをもらおうと思うの。だからそれまで悪いんだけど、置いてくれる? 涼子ちゃん家に」
その事情を説明された由紀ママが「紗耶香ちゃんも大変な思いをしたわねえ」と、温かい目を紗耶香に向けた。
「それで、どれぐらい働いてからお休みするご予定?」
由紀ママの問いに「あと1週間ぐらいでお願いしたいです」と、涼子の顔をチラリと見ながら紗耶香が答えたため、涼子が助け舟を出す。
「紗耶香ちゃん、本当はお店をお休みしたくはないんですけど、わたしの家も契約上、複数で住むのは禁止されてるんです。だから、それぐらいが限界だろうって昨日、話し合いました」
「あら、紗耶香ちゃん、本当はお休みしたくないのね?」
紗耶香が頷くと由紀ママが朗らかに笑った。
「お仕事を続けたいなら、引越し先が決まるまで勝どきにあるわたしの衣裳部屋を使えばいいわ。いまはもう衣装は置いていなくてね、解約するか迷っていたところだったのよ。
嫌ねえ、水臭いわ。早く相談してくれたらよかったのに。タイミングが良かったわ。このお仕事のことをご両親に言えないなら、ルームシェアしてる子の部屋が空いたから、しばらくお世話になるって言えばいいじゃない」
呆気にとられて涼子と紗耶香は顔を見合わせた。こうして、紗耶香の住居と仕事問題は、一時的ではあるがいともあっさりと解決したのだった。
約束の土曜日、拓海が……!?

紗耶香が引っ越して初めて迎えた土曜日の夕方。涼子は六本木にある『SHAVU SHAVU』(シェイブ シェイブ)で、拓海とテーブルを囲んでいた。
店に到着したとき、一見してしゃぶしゃぶの店とは思えない洒落た外観に涼子は目を丸くした。ディナータイムは全席個室であるうえに、テーブルにはひとり分ずつ自分専用の鍋があり、それは涼子が初めて経験する斬新なスタイルでもあった。
「すごくお洒落なお店だね。こんなお店に連れて来てもらったの初めてだよ、わたし」
「そう言ってもらえるとうれしいな。俺も初めて来たんだ」ネットで検索したと拓海は言う。
「普段は吉牛とかやよい軒でちゃちゃっと済ませることが多いからさ。ん〜、俺、すき焼きよりしゃぶしゃぶが好きだなあ」
店まで歩きながら涼子が「もう風邪は治ったの?」と聞くと「ばっちり回復した」と言っていた拓海の言葉は本当だったようだ。食欲旺盛な素振りであっさりとした昆布出汁にくぐらせたみやじ豚を、25年もの以上と言われるポン酢に浸して次々と食べ、一段落した拓海が口を開く。
「涼子は仕事、どんな感じ?」
――いまが伝えるべきときだ。
涼子は自然と真剣な顔つきになる。
「あのね、前に拓海、『専業主婦になるのもいいかもしれないよ』って言ってくれたでしょう? わたし本当はあの言葉、自分のなかでうまく咀嚼できないの」
「どういうこと?」拓海は驚いた様子だが、涼子は本音を吐露した。
「わたし女優として駄目だったでしょう。いまようやく仕事にありつけたけど、まだ新人だから結果をなにも残してない。それなのにこのまま結婚して専業主婦になったら、なにも成し遂げてないまま社会人としての人生が終わってしまう気がするの。
専業主婦が社会人じゃないとは言わないけど、もしいま専業主婦になってもしもよ? 拓海がいなくなったらわたし、また仕事が決まる前の状況に戻っちゃう。稼ぐあてがなくて、また仕事探しに苦労する。
ううん、次はもっと年取ってるから、仕事なんて見つからないかもしれない。一度、仕事で自信をつけてから結婚のことは考えたいの」
「それってつまり……」拓海がため息をついた。「一流のホステスになった後で結婚を考えたいってこと?」
「それも少し違うの」涼子は話を続ける。
「確かに、誰よりも売り上げを上げたい気持ちはあるよ。一度はトップになってみたい。
でも、ホステスがずっと続けられる仕事じゃないことも解ってる。いまはとにかく自分で稼ぐ力をつけて、貯金したい。資格の勉強もしたいと思ってる。それとね……」
しゃべりすぎてしまったかもしれないと涼子は感じた。目配せで(まだしゃべっていて平気?)と聞くと、拓海が目で先を促す。
「この前、ウチの父親が脳梗塞で入院したの。わたしひとり娘だから、これからは金銭的な援助もしていかなくちゃならないと思う。
正直、すごく厳しい。貯金食い潰しながら就活してたし、ホステスの最初のお給料はまだ先だし。だから拓海から専業主婦の話をされたとき、お金のことからも解放されるって思った自分がいた。
でもそれってずるいよね。わたし、そんなところまで拓海に甘えようとしてたの。わたし、人生を甘く考えすぎだった」
話を聴き終えた拓海がフーとまたため息をつく。
「お父さんのことはいま初めて聞いたからびっくりしたけど、普通、金銭面で頼ろうとしてたなんて、たとえ思っていたとしても口には出さないもんだよ」
あっ……とミスを恥じらう涼子を拓海は見据えた。
「まあ、その素直さが涼子のいいところなんだけどさ。でも涼子はいま30歳だろう。目標を持つのは悪くないけど、結婚と出産のことは考えてるの?
“まだ30歳”と思ってても、年なんてあっという間に取っちゃうもんだよ。俺、気づいたら33歳だもん。俺は近いうちに落ち着きたい。家に帰ったら嫁さんが夕飯の支度して待っててくれる家庭に、いまさらすごく憧れ出したんだよなあ……」
「その気持ち、すごく解るよ。ひとり暮らしって最初は自由を満喫できるけど、年を取るたびに自由より寂しさが上回るんだよね。でも……」
なに? と拓海が首を傾げた。
「わたし、拓海に聞きたいことがあるの」
麻由子の件は、顔を見て確かめるべきだと判断した。文字のラリーや電話では、拓海の表情が判別できない。麻由子の話を鵜呑みにしたわけではないが、拓海の表情と声、仕草で見極めたかったのだ。
「麻由子さんがウチに来たよ」
「えっ……」
拓海の顔が色を失ったように涼子には見えた。なにを隠そうとしてるのか、隠すことなどないのか、まだジャッジできない。涼子は拓海の言葉を待つことにした。
次回:2.27 土曜 更新予定
文/内埜さくら
取材協力/銀座利恵
◆ 住所:東京都中央区銀座8丁目5番18号
コルティーレ銀座?ビル3F
◆ 営業時間 : PM8:00〜AM1:00
◆ T E L : 03-5537-1981
銀座に居を構えて10年目の高級クラブで、作家・森村誠一氏作品ドラマの舞台にもなった有名店。
和服の美女は21歳で夜蝶デビューしたお店のママ、立花すみれ氏。
銀座店は石川県金沢市に本社がある株式会社リエ・コーポレーションが包括するグループ会社の1社で、同社は金沢に5店舗、銀座に3店舗を展開。
株式会社リエ・コーポレーションHP http://www.club-rie.co.jp/
