心臓が止まれば、人は生きられない。その治療を担う循環器内科には、高度な技術と一瞬の判断ミスも許さない緊張が求められる。ゆえに長時間労働が当たり前とされてきた中で、そうした常識を覆そうとする大阪けいさつ病院の医師たちの取り組みをリポートする――。

※本稿は、大阪けいさつ病院広報誌『OIM∞』の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/gorodenkoff
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■選ばれた人間がたくさんの手術をこなす環境

――手術の量が全然違う。

ドイツの心臓手術の症例数が日本より多いことは知っていた。システマティックに手術をこなす体制を目の当たりにして、秦 雅寿は衝撃を受けたのだ。大阪けいさつ病院の心臓血管外科部長、循環器センター長を務める秦の転機となったのは、2005年のことだった。

(写真左から)大阪けいさつ病院 放射線技術科係長 紀 裕介さん、(以下同病院)心臓血管外科部長 秦 雅寿さん、循環器内科部長 飯田 修さん、臨床工学科課長補佐 倉田直哉さん

秦は1973年に神戸市で生まれた。明治以来、医師の家系で自然と医師を目指した。大阪大学医学部で心臓外科を専門に選んだのは「昔ながらの日本人の考え方で、しんどくて寝不足で倒れそうになっている人たちが格好いいと思っていたんでしょうね」と笑う。

大阪大学医学部大学院で学びながら非常勤医師として勤務していた秦は、心臓移植を行う患者に付き添って、ドイツのバドユンハウゼン市の心臓糖尿病センター(HDZ)を訪れた。このとき、日本では成人の心臓移植手術は僅かに行われていたが、小児はまだだったのだ。

「移植だけでなく、そもそも日本では病院が乱立してて、一つの医療機関での心臓の手術が少ない。手術がないから外科医の腕があがらない。自分も心臓外科医として将来やっていけるのかという危機感がありました」

HDZには心臓血管外科の手術担当医師が30人以上在籍、年間4000件ほどの胸を切って心臓を手術する――開心手術を行なっていた。日本の医療機関ではトップクラスでもせいぜい1000件だった。HDZでは手際の良さに加え、手術時間の短さにも舌を巻いた。

「(日本では)そこまで大変ではない1例の手術に朝から晩までかかることがあった。ドイツでは一つの手術室で朝から3例の手術を行なっていました。それが6部屋もあった」

熟練の執刀医――術者の脇を助手たちが固め、効率的に手術を行なっていた。淘汰されて選ばれた人間がたくさんの手術をこなす、と秦は評する。ここで揉まれてみたいと思いましたねと振り返る。

■「日本の手術と全然レベルが違う」

帰国すると大学院を休学、非常勤医師の退職届けを出し、ドイツに渡った。語学学校に約半年間通い、HDZの「Assistenzarzt」――医員の職を得た。

「メインの術者には助手がつきます。その補助をする第二助手です。回りを見て足りないことをすべてやる」

ドイツ語は理解できないが、看護師たちが自分を軽んじる言葉を口にしていることは分かった。今にみてろよと秦は唇を噛んだ。

「こいつがおったら気持ち良く手術できると術者に思わせるように心を配りました。(HDZの)術者がすべて手術が上手いわけではないことも分かりました。上手い人からそうでない人まで助手をすることで学べることもあります」

特に上手い術者につくときは、その手元に意識を集中した。針をどのような角度で入れるのか、そのとき、どこに手を置いているかまで焼き付けた。その甲斐があり、院長は「自分の助手は秦にやらせろ」と高く評価するようになった。

並行して心臓移植の名医の助手にもつき、経験を積んだ。そして2012年、ドイツの医師免許を取得、徐々に執刀回数を増やし、2015年にドイツ心臓外科専門医、その後指導的術者の立場となった。

このままドイツで医師を続けて住み続けるのか、と思っていた頃、大阪大学医学部心臓血管外科教授の澤 芳樹が共同研究のためにドイツにやってきた。澤は秦の手術を見学すると「これ、日本の手術と全然レベルが違う」と驚いた。

そしてこう言ったのだ。これから大阪警察病院の循環器を強化する、日本に帰ってこないか、と。澤は大阪大学を定年退官後、大阪警察病院の院長になることが内定していた。

大阪市天王寺区にある「大阪けいさつ病院」(写真=KishujiRapid/CC BY-SA 3.0/Wikimedia Commons)

2021年1月、秦は大阪警察病院心臓血管外科部長として日本に帰国した。

■「やるんやったら阪大の第一内科や」

栄養物や酸素などを体内に運び、同時に老廃物を集める器官を循環器と呼ぶ。心臓、血管、リンパ節、リンパ管がそこに含まれる。

この循環器を扱うのが心臓血管外科、そして循環器内科である。近年はハートチームと呼ばれ、循環器を扱う外科と内科の連携が重視されている。

大阪けいさつ病院の循環器内科部長を務めているのが、飯田 修である。

飯田は76年に、母の実家のある東京で生まれた。歯科医である父親の仕事の関係で、名古屋、そして大阪に移った。大学は兵庫医科大学に進み、卒業後は大阪大学医学部に入局した。

「循環器内科やるんやったら阪大の第一内科や、という風に言われていたんです。やるからには一番いい場所で研修を受けたいと思ったんです」

兵庫医科大学の人間から、阪大には優秀な人間がたくさんいる、お前なんか宇宙の塵になるぞと脅されたと笑った。確かに優秀な人が集まっていましたと振り返る。

「英語もできて論文も書ける。上級医が指導したら、次の時には完璧にできているという人ばっかりでした」

入局直後、飯田は関西労災病院に配属されている。そこで師となる南都伸介と出会った。南都はカテーテル手術の名手として知られていた。

■「JR福知山線脱線事故」が背中を押した

カテーテルとは管を意味する。足の付根にある大腿動脈という血管からカテーテルと呼ばれる細い管を入れて心臓まで通し、血管内から治療を行う。従来の外科的な手術よりも合併症のリスクが低く、体への負担が少ない。術後の回復も早い。

「南都先生は南都テクニックという技があるぐらい、有名な人でした。カテーテルは術前の準備によって治療の成績がすごく変わるんです」

飯田は南都の手技に目を凝らし、自分でも工夫を重ねた。

「人が寝ているときも仕事をしてました。一番きついときは夜10時に寝て、夜中の2時に起きてずっと仕事していました。あとは“他流試合”ですかね」

他流試合とは、他の病院関係者が出席する国内外の学会での発表だ。

「いい発表をしようと思うと、しっかり準備しないといけない。最初は上手く行かないです。国外の発表で、お前の英語はわからへんと言われたり、質疑応答が理解できないこともありました。プラクティス(実践)、リハーサル(準備)の積み重ねしかない」

飯田が努力を積み重ねてきたのは、患者を助けたいという一念があったからだ。彼の背中を押した契機は、2005年4月に起きたJR福知山線脱線事故だった。救命救急の実績がある関西労災病院は多数の傷病者を受け入れた。

JR福知山線脱線事故の事故現場(写真=捕澤/CC BY-SA 3.0 /Wikimedia Commons)

「あのときは外来(診療)を全部ストップしました。ぼくたち循環器の医師も総出で対応しました。助かる可能性がある軽症の患者さんは、他の病院に転院してもらう。目の前で高校生が亡くなったのも目の当たりにしました」

ぐちゃぐちゃになった若い女の子が運ばれてくるんです、もう無我夢中でしたと目を伏せた。

■技術の引き出しが多い医師

2023年4月、飯田は第二大阪警察病院(現・大阪けいさつ病院)に入った。現在は、循環器内科部長の他、大動脈血管センター長、カテーテルセンター長を兼務する。これまで1万件以上のカテーテル治療を行い、500本ほどの論文を書いてきたという。

現在、大阪けいさつ病院には飯田に惹きつけられた男たちがいる。放射線技術課係長の紀 裕介は飯田について「技術の引き出しが多い医師」だと評する。

「吹田徳洲会病院にいるとき、飯田先生がお見えになったんです。高名な方ですし、学会でお話を聞いたこともありました。怖いイメージもあったんですが、実際には物腰が柔らかくて優しい。とにかく驚いたのが、3、4時間かかっていたカテーテル手術を飯田先生は30分で終えてしまったこと。経験の量が圧倒的なんだと思います」

臨床工学科課長補佐の倉田直哉は、飯田の治療につくときは、特に先を読むことを重視していると言う。

「瞬時の判断力が他の人とは圧倒的に違いますね。カテーテル手術では一つのルートでダメなとき、すぐに切り替えないといけない。考える時間はないです。そのスピード感を見て、一緒に仕事をしたいと思いました」

■背景を知った上で治療する

飯田は自らの手技を必要以上に誇ることはない。

「最も大切なのは、この患者が我々に何を求めているのか知ること。血管が綺麗になることか、胸の症状がなくなって元気に過ごすことか、家に帰ってゆっくりと家族と過ごす時間を長くとりたいのか。同じ血管の詰まりであっても、患者によって求めているものが違う」

患者とコミュニケーションを取る際、意識しているのは「SDOH」である。SDOHとは「健康の社会的要因」の略で、人々が生まれ、育ち、働き、老いる環境が健康に及ぼす影響の意だ。具体的には経済、教育、地域、労働など、人の営みの背景を指す。

「糖尿病、血圧が高いなどの症状には生活習慣病が関係します。そしてなぜその生活になったのか。生活習慣が悪い理由は何なのか。所得の多寡、両親が揃っているのか。その背景を知った上で治療をしなければならない」

飯田が掲げるのは、自分の大切な人間、両親が受けてほしい治療をチームとして行うことだ。その指標として循環器内科手術件数を日本一とすることを掲げている。心臓を扱うコインの両面である心臓血管外科との連携は不可欠になる。

「ドイツで生き抜いてきた秦先生の技術は凄い。困ったときはすぐに呼んでくれと言われているので心強いですね」

■心臓血管外科の長時間労働の常識を変える

秦は心臓血管外科の手術件数を増やすことに加えて、心臓血管外科の常識とされていた長時間労働の働き方を変えることに奮闘している。

「かつては夜の緊急手術には全員が揃って、術後管理が終わるまで帰らないというのが普通でした。時間外手術ならば、ぼくと助手一人で十分。見学も許さない。夜間休日はしっかり休むことを徹底させました」

夕方5時に帰ることを目標にしようと言い続けているんですが、最初は難しかったですと苦笑いする。かつての秦も長時間労働に意義を見出していた医師の一人だったからだ。そして患者一人に一人の担当医がつく主治医制も廃止した。

「全員で患者さんを診ます。毎朝カンファレンス(会議)で患者さんの状態をみんなで共有しています。全員が全ての患者さんの経験を積むことができる。そして早く帰ることができる。そちらのほうがみんなにとっていい。ぼくはすべての患者の管理をしますし、週末に(病棟へ)来ることもあります」

ドイツではトップほど忙しいんですと笑う。

■朝から晩まで手術するドイツ医師の働き方

2025年、大阪けいさつ病院の心臓血管外科の手術数は733件だった。秦は倍増、いや3倍増を目指す。

大阪けいさつ病院広報誌『OIM∞』

「ドイツの医者の働き方は密度が濃い。朝から晩まで手術をする。1日2例、3例は普通。それだけの患者も集まっている。症例数が多く、集約化されているから、医師の技術を保ちながら、効率化できる」

数年前の新型コロナ禍、病床は多いにも関わらず、コロナ病床は不足したことがあった。日本では病院の数が多く、かつ1施設あたりの規模が小さい。日本の医療体制の非効率さが露呈した。この機能分散の弊害は循環器疾患にも通じる。

大阪けいさつ病院の秦、飯田が掲げる症例数増は、高度医療の集約、効率化という現在の医療体制へ一石を投じる行動でもある。それはもちろん心臓で困っている患者のためだ。

(大阪けいさつ病院広報誌 撮影=奥田真也 取材・文=田崎健太)