「ママ、もう英語やめたい」小4で英検準1級の娘が懇願。元テレ朝アナがハワイ移住前に直面した“英語教育の挫折“
40歳を超えてから、スタートアップ企業「令和トラベル」に転職。現在は旅行アプリ「NEWT(ニュート)」の広報を担当。さらに2025年10月には、ハワイ子会社「ALOHA7, Inc.」のCEOに就任し、家族とともにハワイへ移住。新たなステージで活躍の場を広げています。
◆日本の英語教育はハワイで通用したのか?
2025年10月、私たち家族はハワイへ移住しました。12歳の娘と、10歳の息子を連れての海外生活です。
今回の移住は、いわゆる“英語教育”が目的だったわけではありません。ですが、娘が生まれてからの12年間、我が家にとって「英語教育」は常に大きなテーマでした。
英語教育に熱狂した時期もあれば、「これが正解だ」と理論武装していた時期もある。そして、娘に「英語はもういい」と言われてしまい挫折したこともありました。
試行錯誤を繰り返してきた12年間。実際にハワイで生活し、子どもたちが英語環境の中に飛び込んだ今、日本でやってきた英語教育が通じたのか? というのが見えてきました。
今回は、前後編にわたって我が家の12年間を「熱狂期」「理論武装期」「挫折期」「達観期」の4つに分けながら、リアルに振り返ってみたいと思います。
◆「熱狂期」スタート。英語教育に目覚めた保育園選び
そもそものスタートは、“熱狂期”でした。
娘が生まれた12年前。教育というものに出会って、最初に思ったのは「教育って楽しい!」ということでした。
子どもには、たくさんの選択肢がある。その先には、我が子の無限の可能性が広がっている。教育というテーマは、とにかくポジティブで、明るい未来しか描けませんでした。
それが最高に楽しくて熱狂していきました。気づけば教育について考えることそのものが、私たち夫婦の共通の趣味のようになっていました。
最初に悩んだのは、多くの共働き家庭でも同じように「保育園をどうするか」でした。私たちは育休明けのタイミングでは認可保育園へ通わせ、その後、自治体の補助が出るインターナショナルのキンダーに転園しました。
インターナショナルといっても、生徒の8割は日本の方。先生やプログラムはすべて英語という環境。
「どうせ仕事で預けるなら、その時間で少しでも英語に触れてくれたら」
そんな思いから選んだ保育園でした。
結果的に、そのスクールでは、フォニックス(英語の音のルール)から読み書きまで期待以上にしっかり対応してくれていたので、娘は英語のベースとなる読み書きをここで身につけました。
そして、何よりよかったなと思うのは、幼い頃から“異なる人種や異文化”に自然に触れられたことです。娘の担任は、黒人の男性の先生でした。小さな日本人の女の子からすると、自分との違いが大きい存在だったと思います。
でも、娘にとっては、それが「特別なこと」にはならなかった。幼い頃から異文化や多様性に自然と触れられたことは、英語力以上に、大きな経験だったのではないかと思っています。
とまあ、保育園くらいまでは、「娘も息子もネイティブの英語力を身につけられるのでは?」と、完全に教育というエンタメに熱狂していた時期でした(笑)。
◆「理論武装期」のはじまりと小学校の選択
その後、娘の小学校入学が近づくにつれ、我が家の“教育リサーチ”は、さらに深くなっていきました。
この頃も、夫婦でたくさんの学校説明会や見学会に参加しました。もちろん、インターナショナルスクールも何校も見学しました。

