元阪神エース・井川慶、MLB挑戦のウラ話を初告白!当時のチームメートは「完全にチームを捨てていったと…」
4月24日(金)の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』では、元阪神タイガースのエースで、“名門”ニューヨーク・ヤンキースにも在籍した“日本を代表する左腕”井川慶が登壇。
サポート役の伊集院光とともに授業を行い、レッテルまみれの野球人生のウラにあった意外な真実を激白した。

1997年、野球の名門・水戸商業高校からドラフト2位で阪神タイガースに入団した井川。
2003年には20勝を挙げて最多勝利投手に輝き、阪神の18年ぶりのリーグ優勝に貢献。その後も華々しい成績をおさめ、プロ入り10年目の2007年には年俸5年総額20億円でニューヨーク・ヤンキースに移籍した。ところが、MLBでは5年間でわずか2勝に終わってしまう…。
井川はそんな自身の現役時代を、“レッテルを貼られまくった野球人生”だったと回顧。「阪神時代は“無口”だとか“変人”とか、MLB時代は“MLBでは活躍できない選手”だと言われていました」と振り返った。

伊集院は「井川さんはそもそも口下手というのもあるけど、言い訳をしない人なんです」と解説。
すると、井川は「言うのが面倒くさいというのもあるんですけど、そこ(=言い訳)にエネルギーを注ぐより、野球に注いだほうがいいなという感覚でした」と、野球に集中していたからこそ“球界一の変人”というレッテルを貼られてしまったと分析。
授業では、そのしくじりの根源ともいえる井川の風変り行動の数々をたどっていった。
◆1カ月の出費は雑誌1冊だけ!?
授業のなかでも盛り上がったのは、阪神入団後のエピソードだ。
プロ4年目、1軍に抜擢されると防御率2.67でブレーク。年俸も一気に4000万円に上がったが、ストイックな井川は野球以外、酒もたばこもギャンブルも手を出さず、プライベートは誰ともつるむことなく、寮でひとりゲームする日々。
1カ月の出費がゲーム雑誌『ファミ通』の1冊490円のみ、という地味な暮らしを送っていたことを打ち明けた。
一同が「えー!?」「中1じゃない!? それ(笑)」と驚くと、井川は「自分はロープレが好きで、やっぱり“ファミ通”はいちばん情報量があったんで…」と説明しスタジオは爆笑に包まれた。

その後、成績はうなぎのぼりとなり、24歳で年俸は1億円超え。
さすがに若手が住む寮から出て行ってほしいと球団側から打診されると、井川は「寮を出るのは嫌です。甲子園の駐車場に住ませてください」と首脳陣にお願いしたというエピソードもぶっちゃける。
「遅刻癖が若干ありまして、近いほうがいいなと。駐車場にプレハブとか用意してくれたらうれしいなぁと思って…」と考えていたと明かし、またしてもスタジオの面々を仰天させていた。

このように練習最優先で遊びも散財もせず、チームの行事や先輩との付き合いもあまり参加せず…という意識の高いプロ野球人生を送っていた井川。
その結果、周囲からは“自分のことしか考えていない変人・井川”というレッテルを貼られてしまったと話し、徐々にマスコミからもバッシングされるようになったと述懐した。
◆メジャー移籍前のウラ話を初告白!
そしてプロ入り10年目、5年連続で2桁勝利を達成した井川はMLBに挑戦したいと考え、ポスティングシステムを使うも、「マスコミからは“わがまま”と叩かれ、ファンからは“通用するわけない”とヤジられ放題」だったことを告白。
本人としては一つひとつ目標をクリアした末の決断だったが、つるむ仲間もおらず、秘めた思いを誰にも伝えていなかったこともあり、厳しい批判にさらされたと振り返った。

当時、阪神タイガースのチームメイトだった鳥谷敬も「あのときは完全にチームを捨てていったと思いました。いきなりポスティングして行った…みたいな。モメて出て行ったイメージ」と、かつての印象をぶつける。
これには井川も「まさか捨てていくって思われていたとは…」と今さらながらにビックリ。しかし、年俸5年総額20億円という超大型契約には「正直なんとも思っていないっていうか…。お金のために野球やっていなかった部分があったんで…」とあっけらかんと話し、ここでも一同を驚かせていた。
