高市早苗首相の公式Xより

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高市早苗首相が12日に都内で行われた自民党大会で、「日本人の手による自主的な憲法改正は党是だ。時は来た」と憲法改正に意欲を見せた。これまでブレーキ役となっていた公明党の連立政権離脱と2月の総選挙での自民党圧勝もふまえ、いよいよ現実的になってきた憲法改正。なかでも9条の改正が最大の注目点だろう。

現行憲法第9条、とりわけ第2項「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」を読めば、自衛隊も含め、一切の軍事力が否定されているのは明らかだ。今でこそ円安と国力の減退で世界10位の国防予算となっているが、かつては2位だった自衛隊を軍隊ではないと強弁するのであれば、米中露以外の国の軍隊も軍隊ではないと強弁しているに等しいだろう。

自衛隊は明らかに必要であるにもかかわらず、憲法違反の状態が常態化している。しかし、これは自衛隊の存在が悪いのではなく、そもそも「守ることが出来ない」ように書かれた憲法に問題がある。

完全非武装化を推進したはずが警察予備隊を創設

そもそも、軍事力なしで、中露北朝鮮と核武装した敵意ある国々に囲まれた現下の日本を取り巻く国際情勢で日本が生き残っていくことは、全くもって現実的ではない。

当初は日本の完全非武装化を推進し、被占領地の法の尊重を定めたハーグ陸戦法規を無視してまで日本国憲法を制定させたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)すらも、冷戦激化と1949年の中国の共産化、1950年の朝鮮戦争勃発といった現実を見て理想論が機能しないことを認識し、警察予備隊、次いで保安隊の創設を日本政府に指示するに至ったことからも明らかだ。

GHQの力は憲法を凌駕(りょうが)したからこそ、そうした無理も通った。それで主権回復後の1954年の自衛隊設立へと至った経緯がある。

蛇足になるが、1946年の現行憲法の制憲議会で、第1条の天皇条項の存在と、第9条が自衛戦争すら否認していることを理由に反対したのが、現在は護憲派の中核となっている日本共産党である。私は共産党のことは嫌悪するが、この制憲議会での質疑の内容には大いに首肯させられる。

しかし敗戦直後で昭和天皇の地位が危うい状況下においては、国体を護持することが最優先であって、GHQの統制下で多くの議員はやむなく現行憲法への改定に賛成せざるを得なかった次第だ。

「守ることのできない」条文だった帝国憲法11条

今のところ、憲法9条2項の「前項(国権の発動たる戦争=侵略戦争)の目的を達するため」の部分(芦田修正)を根拠に、自衛隊は合憲だという解釈を政府はとっている。しかし、相当に無理ある読み方をして、自衛隊という名の軍隊を持つというのが、日本の現実なのは否めない。

そして、最高法規たる憲法がそうなっているから、そもそも軍隊は存在しないことに、法律としてはなっている。正直、これまでも解釈改憲で乗り切ることができたので今後もこれで良いという説もあるが、私は憲法を改正し、国防の為に軍隊を持つことはしっかりと明記すべきだと考える。

もちろん、自衛官の人々の誇りといった問題も重要だ。しかしこれは、戦前の軍部が、やはり現行憲法9条のように本来は「守ることのできない」条文だった帝国憲法11条の統帥権(天皇が陸海軍を統帥する旨を定めた)を盾として、暴走したことを思い出すと補強される。

帝国憲法11条は、あくまで天皇が陸海軍の統帥権を有することを、象徴的に書いていたというのが、起草者の考えたことと推測する。当然、実際は政治が軍隊を動かすものと想定されていたはずだ。だからこそ、帝国憲法が制定され、帝国議会も設置されたのである。

しかし1930年代に入り、天皇機関説が否定され、1940年の神武天皇紀元2600年に向けて「神話国家」的要素が強まっていくと、憲法を条文通りに読んで履践していないことが、問題とされるようになっていった。1930年の濱口雄幸内閣によるロンドン海軍軍縮条約締結が好例で、日米英の国力差を考えれば極めてまっとうな政治の判断による条約締結だったが、軍部や野党によって統帥権干犯と攻撃され、果ては右翼に襲撃され、翌年に濱口首相は命を落としている。

そうした出来事は幾つもあった。満洲事変も支那事変も、政府は不拡大方針だったにも関わらず、軍の暴走は止められず、最終的には大東亜戦争とその敗戦による亡国へとつながっている。

ポピュリズム化進むと「声の大きさ」で軍事力が行使されるリスクも

私は、これの一つの要因は、実際に「守ることのできない」条文であっても、その法が有効である限りはその通りにすべきだという人たちの意見が相応に強いものとなり、さらに実質的に権力を統制するものが何であるか不明確となってしまったがゆえに誰もコントロールできなくなり、声の大きい、大衆の耳触りの良いことを言う人たちの意見が強まってしまったからだと思う。

現行憲法については、そもそも軍隊が存在しないことになっている。米国でのトランプ政権誕生をはじめ、日本でもほとんどの政党が、非現実的で実際は多くの人にとってデメリットしかない(食料品の消費税0など、実行しても財政への信認が著しく低下して、円安とインフレが進むだけ)政策を平然と唱えるなど、世界的にポピュリズム化の流れは止まらない。

そうしたとき、現行憲法のように、そもそも基幹部分で「守ることのできない」条文がある状況は、非常に危険なことだと考える。そもそも軍隊が存在しない前提の憲法であるがゆえ、逆に言えば、解釈改憲で何でもできるとなってしまうし、憲法に反する法律は制定できないから、法律で制御することも不可能となってしまう。

要するに、ポピュリズムの下に、その時の「声の大きさ」で、軍事力という大きな力が、ルールなしに使われるようになるという事態も、想定できないわけではない。そういう観点からすると、むしろ現在「護憲派」とされる人たちの視点から見ても、憲法改正を行って、軍隊の存在を明確に認め、それに呼応した法律の整備が必要だという問題提起になるのではないだろうか。

文/小佐野匠 内外タイムス