アスベストでがんになった父 娘はカメラを向けた 特集【キャッチ】
特集「キャッチ」です。今回は、FBS映像取材部の岡部千秋カメラマンが自らの父の姿を追ったカメラマンリポートです。娘が父にカメラを向けたのは、アスベストが原因でがんに冒された父の思いを世の中に伝えるためでした。
■岡部千秋カメラマン(31)
「今、話すのきついよね?」
■父
「うん、ちょっと。答えられるのは答えられるけれど。」
■岡部カメラマン
「この撮影をOKした理由ってある?」
■父
「この病気を広く知ってほしい。 公害病やけんね。」
父は2023年10月、「悪性胸膜中皮腫」と診断されました。
肺などの表面を覆う中皮から発生するがんで、年間の発生率は人口10万人あたり6人未満。胸の痛みや胸水による呼吸困難などの症状が出ます。
発症の原因は、アスベストでした。
私は去年12月、病床の父にカメラを向けました。
この時、父の余命は2~3か月。いつ何があってもおかしくないと言われていました。
■岡部カメラマン
「アスベスト。昔使っていたものが原因で、生存率の低い病気があることを知って、それがすごくショックだったのと、報道カメラマンをしている人間としても、これは伝えたいな、知ってほしいなと思ったのがきっかけです。」
アスベストは熱に強く耐久性も優れていながら、安く手に入るため、かつては“奇跡の鉱物”と呼ばれていました。
そのため1980年以前は、ビルや公共施設などに幅広く使用されていましたが、発がん性が明らかになり、2006年には全面的に使用禁止となりました。
私の父、岡部周二は、福岡市で建設業を営んでいます。祖父が始めた会社を35歳で継ぎ、社長として20年以上、従業員を引っ張ってきました。
アスベストを吸い込んだのは、修業を積もうと、会社を継ぐ前に建材メーカーで働いていた20代の頃だったと考えています。
■岡部カメラマン
「当初はアスベストがあることは、現場の人は?」
■父
「知っとったよ。でも公害とは思わんやったね。有害とは。」
■岡部カメラマン
「有害なものを使っている意識は?」
■父
「意識なかった。途中からやけんね。」
■岡部カメラマン
「言われだしたのがね。」
父は2024年9月、がんを切除する手術を受け、右肺の半分以上を失いました。
酸素の吸引が欠かせなくなり、手術後も抗がん剤治療が続きました。
アスベストによる中皮腫の発症には20年から40年ほどの潜伏期間があるとされ、“静かな時限爆弾”とも呼ばれています。
一変した日常。それでも父は、闘病中も働いていました。
父には、生きているうちにどうしてもメドをつけておきたいことがありました。
■母
「後継ぎがいない。正直なところ。会社を残すためにいろいろ大変やったと思う。(請け負う)仕事もしつつ、会社の今後も考えつつ。」
■岡部カメラマン
「食欲とか、のどの通り具合は?」
■父
「通り具合は変わらん。」
■医師
「肺の中に、腫瘍による影が反対の肺にもちょっとでてきているような状況。」
闘病が始まって2年余り。父の体はこれ以上、治療の施しようがない状態になっていました。
クリスマスの日。父は緩和ケア病棟に入るため、別の病院に移りました。
■岡部カメラマン
「お茶いる?」
■父
「飲む。」
昼食の時間帯、会社の事務をしている母から父に知らせが届きました。
■母
「無事、終わりました。あとはもう。」
■父
「会社を、(社長を継ぐ)ヤマオカをずっと支えとってね。」
■母
「あとはもう、家族のことだけ考えよう。」
■父
「ヤマオカには頭が上がらん。」
共に汗を流し、信頼する部下に会社を継いでもらうことが決まり、父は心からホッとしているようでした。
■母
「きのうときょうは、よく泣くね。頑張ったっちゃけん。」
私が父の涙を見たのは、これが最初で最後でした。
私は、父にアスベスト患者として今、何を思うのか尋ねました。
■父
「建設やらんどけばよかったとは思わんね。必要不可欠な仕事。ただ、やっぱり認識をちゃんとしなきゃいけない、命に関わる仕事。一刻も早く解決できる病気に持っていこうよね。うん。」
年間1500人ほどが死亡する中皮腫を治る病気に。患者、家族みんなの願いです。
■岡部カメラマン
「お母さんとか、けん(兄)に伝えたいことある?」
■父
「ちょっと今、照れくさいけん、個人個人には言うけど。感謝はしとうよ。もちろん。簡単にしか言いきらんけど。それはちょっと照れがあるけん、また。」
翌朝、父は家族全員に見守られながら、静かに息を引き取りました。
報道カメラマンとして、娘として、私が伝えたかったのは、建設の仕事を誇りに思い、ほかのアスベスト患者の命が救われるよう願う、かっこいい父の姿です。
※FBS福岡放送めんたいワイド2026年3月18日午後5時すぎ放送
