コインに表と裏があるように、人はみな日常では見せない“もう1人の自分”を隠している。

― 絶対に誰にも知られたくない。

そう強く思っても、心の奥底に潜む“彼ら”は、まるで自分が表であるかのごとく顔を出そうとする。

......そして大抵、その人を蛇の道に誘うのだ。

東カレで人気を博したオムニバス連載が復活!2023年版は、男女それぞれの目線から2話完結で描くストーリーにアップデートしてお届け!

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Vol.10 孝則(29歳)の場合


金曜の夜。

僕は彼女の友香と、銀座のイタリアンで食事を楽しんでいた。

2歳下の友香とは、付き合い始めて3ヶ月が経つ。デートは決まってイタリアンかフレンチで、料理が運ばれてくるたび、彼女はパシャパシャと何枚も写真を撮っている。

― 僕の家の近所にあるもんじゃ屋に連れて行ったら、幻滅されるだろうな。

そんなことをぼーっと考えていると、友香が自分のスマホの画面を見せてきた。

「ねえ、この宿一度泊まってみたいな。お部屋の露天風呂から富士山が見えるんだって!」
「素敵な宿だね」

友香のスマホには、高級温泉宿のページが映し出されている。

有名法律事務所で弁護士として働いている僕には、それなりに収入がある。

対する友香は、総合商社の一般職で働いているからそれなりに稼ぎはあるだろうが、男としてのプライドもあり、デート代は必ず全額払うようにしている。

― きっと、旅行の費用も僕持ちになるんだろうな。

付き合って数ヶ月の彼女と1泊10万円以上の温泉宿に泊まるほど、羽振りがいいわけではない。それが僕の本音だった。

「しばらくは土日の予定があって…」

適当にごまかしたが、友香は素直に納得してくれたようだった。

食事も終盤に差し掛かった頃。せっかくの金曜だから少し飲み足りない気分になった僕は、銀座にしては少しカジュアルなバーに彼女を誘ってみた。

友香は「どんなお店?」と興味ありげに食いついてきたので、店の内観の写真を見せる。

すると途端に彼女は、首を横に振るのだった。



― はあ。疲れたな。

友香と別れて家に直帰した僕は、ジャケットを脱いでソファで一息つく。気づくと、そのまま眠ってしまっていた。

そして、懐かしい夢を見た。

休日の朝だろうか。僕は彼女とカーテンから差し込む光の中、抱きしめ合っていた。

「もう少し寝たい気分だなぁ」
「朝からランニングしてランチしようって、話してたじゃない」
「そうだけどさ。タカはもっと、イチャイチャしたいな」

彼女は「タカはしょうがない子だなあ」と言って、僕の頭を優しく撫でる。

「いっぱいちゅーしたいな」

僕が彼女のおでこにキスをしようと顔を近づけると…彼女の顔はおぼろげになり、目が覚めた。

― 慶子、元気かな。


僕が友香にひた隠しにしていること…それは、過去の恋愛だ。

僕は、今まで一回り以上歳上の女性としか付き合った経験がない。

普段はしっかり者と評される僕だが、歳上の女性の前では、子どものような甘えん坊になってしまうのだ。

14歳も歳上の“慶子さん”とは、社会人になりたての頃に付き合っていた。新卒から証券会社で働く彼女は、業界では女性管理職のロールモデルとして有名だった。

そして、慶子は既婚者だった。

僕の家で一緒に映画を見ていた時、夫からのLINEがたまたま見えてしまい、その事実を知ることになる。

― こんな魅力的な女性を、世の男性が放っておくわけがない。もしかしたらバツイチかも?

そんな考えが頭をよぎることはあったが、まさか結婚しているとは思わなかった。というのも、曜日を問わず家に泊まりに来たり、頻繁に一緒に旅行したりしたからだ。

彼女に結婚の事実を問い詰めた時、「何か問題でも?」とキッパリと言い放った、彼女の艶やかな唇の動きを今も覚えている。

いくら大好きな女性でも、僕にも倫理観や社会的立場がある。他人の家庭を壊すことなんてできないと思い、慶子とは結婚の事実を知ってすぐに、別れたのだった。




そもそも、僕が歳上の女性を好きになってしまうのには理由があった。それは、幼少期に母に甘えることができなかったことだ。

僕の母は、大手の事務所から独立して法律事務所を経営している。

今よりもキャリアと家庭の両立が容易ではない時代に、男社会で生き抜いてきた母は、芯が強く厳しい女性だ。

母は僕が幼い頃から、習い事、学校や塾の勉強、すべてに対して完璧を求めてきた。

模試の判定が悪かった時なんかは、成績表をダイニングテーブルに広げられ、粛々とプレッシャーをかけられたものだ。

そのときの光景を思い返すと、今でも胃がキュッとなる。

2歳上の姉は何でも器用にこなすタイプで、姉に劣らぬよう、母に認められたい一心で僕は勉強に励んだ。

僕が弁護士を志したのは、明確に母の存在が影響している。

幼少期に満たされなかった、認められたいという思いや甘えたいという欲求を、大人になった今、女性に求めてしまうのだ。




そんな女性に対する理想と願望を隠して、2歳下の友香と付き合った理由は、年下の女性と付き合えるか自分を試したかったからだ。

そして、子どもが大好きだから、早く結婚して家庭を築きたかった。

過去に付き合った歳上の女性たちはみな自立し、そもそも結婚を必要としていなかったため、僕と結婚に対する温度差があったのだ。

友香と出会った当初は、もともと彼女に対して1ミリも興味がわかなかった。

手入れされているであろうツヤツヤの髪、万人受けするパステルカラーのファッション。

彼女を含めた20代の女性たちは、他人にどう見られたいか、他者基準で生きている。そこが芯の通った歳上女性たちと比べて、物足りなく感じてしまうのだ。

けれど、友香は他の年下女性とは違い積極的だった。

「孝則くんがどんなところに住んでいるのか、見てみたい」

何度目かのデートの時にそう言って腕を絡ませてきた。その時、子猫のようにじゃれてきた彼女が一瞬可愛く見えたのだ。

しかし、友香といざ付き合ってみると、素の自分を出して甘えられないばかりか、気を張って疲れてしまう。

正直、今は友香のことを本当に好きなのかもわからなくなっている。

― 中途半端な気持ちのまま付き合い続けるのは、彼女に失礼かもしれないな。

好きになれれば年齢は関係ないと自分に言い聞かせてきたが、僕は限界を感じ始めていた。




土曜の午後。

家から徒歩5分のジムでトレーニングをしていると、トレッドミルで一定のペースで走るある女性の姿が目に入った。

Tシャツから伸びる二の腕は引き締まっていて、すらっとした長い脚で勢いよく走り続けている。

― あれ、もしかして…。

「慶子…さん…?」

人違いだった時に恥ずかしくないよう、聞こえるか聞こえないかわからないほど小さな声でつぶやいた。

「うそ!久しぶり!」

弾けるような笑顔はあの頃と変わらない。変わらず美しいスタイルをキープしていて、30代半ばと言われても違和感がないほど肌ツヤもいい。

「こんなところで会うなんて、びっくりしました」
「私もびっくりした!半年くらい前に引っ越してきたの。良かったらこの後、お茶しない?」

そう誘われた時の僕の様子は、彼女からは尻尾を振る犬のように見えたに違いなかった。




ジムでの再会から、慶子との距離はどんどん近づいていった。

ランチに行ったり、仕事帰りに軽く一杯バーに寄ったり。そのたびに、友香との連絡が億劫になる自分がいた。

僕たちは空白の時間を埋めるように、取り留めもなく、お互いのことを話した。

僕が去年からジムとゴルフにハマっていることを話すと、彼女は「おじさんの趣味だね〜」とちゃかす。

慶子の近況はというと、彼女の母が身体を壊したため、実家が近い勝どきにマンションを買ったそうだ。

優秀な女性だが、もともと僕の前であまり仕事の話はしない。だが、口ぶりからして相変わらずキャリアも順調のようだった。

僕は必死で彼女のことを知ろうとしたが、やはり夫のことだけは聞くことができなかった。

代わりに、彼女の左手の薬指を確認し、指輪が無いことに安堵する。

付き合っていた当時も、結婚指輪はしていなかった。そもそも夫との指輪を作っていないのか、それとも僕と会う時に外していたのかはわからない。

たった一言「旦那さんとはどうですか」と聞くのは簡単だ。けれど、この居心地の良さを手放したくないと思ってしまっていた。

「タカも立派な弁護士になったんだね」

そう言われた時、以前のように慶子の胸に飛び込みたくなった。

けれど。

― これはデートではない。絶対に一線を越えることはない。

そう何度も自分自身に言い聞かせるのだった。






平日の仕事帰り。僕と慶子は『ヤウメイ』で食事をした後、人けがまばらな夜の丸の内を歩いていた。

信号待ちをしているとき、指先同士が触れ合った。慶子はその細い指を僕の手に絡めてくる。

ダメだと分かっていながらも、僕はその手を拒むことができなかった。

無言のまま、丸の内の仲通りを有楽町方面に歩く。手の温もりを感じようと、僕は必死になっていた。

一方の慶子は、ヒールの高い黒のパンプスにもかかわらず、地面の上をまるでスニーカーを履いているかのように足早に歩く。

― このまま時間が止まってしまえばいいのに。

自制心と湧き上がる彼女への感情が何度もぶつかりあう。

そして、有楽町のガード下が見えてきた時だった。

「孝則」

後ろから聞こえてきた聞き覚えのある声。振り返ると、そこには白いコートに身を包んだ見覚えのある女性が立ち尽くしていた。

― ああ、そうだ。今日は会社の飲み会があるって言ってたなあ。ここは僕の職場だけでなくて、友香の会社からも近いんだった。

今まで一度も、偶然会ったことなどなかったのに。

彼女はいまにも泣き出しそうに顔を歪めると、そのまま駅の方へ走り去ってしまった。しかし僕は、それを追いかけることはしなかった。

慶子はそれを見て、握っていた僕の手をそっと離す。

「孝則くんも幸せになってね」

最後にふわっと僕の胸に腕を回し、優しいハグをした。

僕が彼女の匂いや体温を感じる前に腕を振りほどいた慶子は、そのまま振り返らず、タクシーに乗り込んだのだった。

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「孝則とデートできない日は…」友香が彼にひた隠してきたこと