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細部まで手が加えられた美しい姿

text:Christophe Gaillard(クリストフ・ガイヤール)photo:Thierry Germain(ティエリー・ジャーメイン)translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
フォード・コメットをベースに、コーチビルダーのファジェ・ヴァルネが手を加えたボディ。ドライエ135MS CLスペシャリエ・プロトタイプは美しい。

フロントフェンダーのトップラインは、フロントガラス直前まで伸ばされ、ホイールアーチもワイドになった。ザガートのスポーティなデザインにつながる造形にも見える。

ドライエ135MS CLスペシャリエ・プロトタイプ(1953年)

ボンネットは一新され、エンジンルームからの熱気を排出するため、後ろ向きに2本のエアベントが付けられた。ドアの形状も注意深く手直しされ、開口部のラインも変更された。コメットのかまぼこ状の断面を持つ、四角いドアとは対照的ですらある。

リアフェンダーは、フロントのフレアアーチを反復。クロームメッキの細いトリムがボディの縁に付けられ、フォルムを強調している。

ルーフはフォード・コメットの3ピースより軽量に作られた。リアウインドウは大きく湾曲している。

さらにヘッドライトやテールライト、バンパー、ホイールにグリルなど、細かな部分も多くが新しく作り直された。全体のフォルムをまとめるだけでなく、日常の走行にも欠かせない機能部品だ。

インテリアは、内装のパネルとダッシュボードがオリジナル。ステアリングホイールは、1951年のドライエ235プロトタイプに用いられたものと同じ。最後の仕上げといえるのが、インビジブル(見えない)と呼ばれたサンルーフ。

ファセル・ヴェガHK500へとつながる

完成したドライエ135MS CLスペシャリエ・プロトタイプは、見事にフォード・コメットとのつながりを感じさせない。反面、ドライエ235との近さは、ステアリングホイールだけではない。

ステアリング・ラックのテストも目的とされており、後のドライエ・タイプ235のシャシーへこのボディが架装されることが前提だった事実を示している。油圧ブレーキもその証拠。ドライエ135には搭載されていない、現代的な装備だった。

ドライエ135MS CLスペシャリエ・プロトタイプ(1953年)

理由は定かではないが、完成したドライエ135MS CLスペシャリエは、1953年の自動車ショー、パリ・サロンに出展されなかった。当時の関係者はすでにこの世を去っており、確かめることは難しい。

完成したプロトタイプは、発表されないままファジェ・ヴァルネを設立したジャン・ファジェの手元に残った。1954年、ドライエより一足先に活動を止めたコーチビルダー、ファジェ・ヴァルネの素晴らしい芸術性を示す遺作として。

ドライエ社とタイプ235も1954年に幕を閉じるが、プロトタイプ・クーペの運命は違った。この135MS CLスペシャリエは、1958年発表のファセル・ヴェガHK500へとつながる。フォード・コメットとルーフラインが似ている理由でもあった。

実際、ボディ下部の構造だけでなく、ヒンジも含めたドアやボンネットまで、量産されたファセル・ヴェガと、ほとんど同一と呼べるものだった。エンジンルームやファイアウォールの設計、ルーフラインも同様だ。

誕生から30年を経て公道デビュー

ファジェ・ヴァルネに続いて、フォード・コメットの生産も終了。10年後には、ファセル・ヴェガの生産も終了した。ドライエ135MS CLスペシャリエを生み出した、3つのブランドは、すべて絶たれてしまった。

ある時、ジャン・ファジェは、工業デザイナーのフィリップ・シャルボノーへ美しいクーペを寄贈した。もう1台分のボディも組み上がった状態にあったが、シャシーには載せられていなかった。

ドライエ135MS CLスペシャリエ・プロトタイプ(1953年)

シャルボノーは、フランス北東部のヴィリエ・アン・リウにある、自動車博物館へ135MS CLスペシャリエを展示した。彼が手掛けた、ドライエ235プロトタイプと一緒に。

しばらく展示されていたが、1981年、135MS CLスペシャリエは、クラブ・ドライエのメンバー、ジョルジュ・クラベリーが買い取る。そして彼は、このクーペを実際に公道で運転した、始めての人物となった。

多くの手直しと整備を受け、プロトタイプはフランスの交通局へ登録された。誕生から30年を経て、1981年7月31日、初めてナンバーを取得。番号は、6197 RQ 27だ。晴れて、公道での走行が認められたクルマとなった。

2017年11月のオークションで、次のオーナーとなったのはアンソニー・コレ。その時までに、ジョルジュ・クラベリーは、1万kmも走っていなかったという。

「このクルマに出会ったのは、まったくの偶然でした。新聞でたまたまオークションの広告を目にし、ドライエのミステリアスな背景を知り、強く惹かれたのです」 と振り返るアンソニー。

ペブルビーチ・コンテストへの招待

歴史的な自動車として、ガレージに納めておくだけでは、この価値は発揮しきれない。アンソニーは、コンクール・デレガンスや自動車ショーへ出展できるように、包括的なレストアを施すことを決意する。

作業を受けたのが、いま筆者が立っているドミニク・テシエが主宰する、アトリエ・オートモビルズ・アンシエンヌズ社。2018年4月のことだったという。エンジンの整備士や内装職人などが、今の状態に仕上げるまでに費やした時間は、2000時間に及ぶ。

ドライエ135MS CLスペシャリエ・プロトタイプ(1953年)

レストアを終えたばかりの、ファジェ・ヴァルネとドライエのクーペに乗せてもらう。この2+2の細身のクーペへ乗るには、少し体が柔らかくないと厳しい。

インテリアは青と白のツートンカラーのレーザー。華やかで、気高い雰囲気が漂う。

オーバーヘッド・バルブ、直列6気筒エンジンの排気量は3.6L。コタル製のトランスミッションが、滑らかに変速を終える。ドラージュ製の油圧ブレーキは、まだ少し調整が必要なようだ。

短い走行を終え、ドライエ135MS CLスペシャリエをドミニク・テシエ・レストア社へと戻す。初のメジャーなコンクール・デレガンスや、走行を楽しむために、これから最終的な調整を受ける予定だ。

「信じられません。ペブルビーチへ招待されるなんて、夢のような出来事ですよ」 確かにサプライズかもしれない。

だが、これほどの素晴らしいレストアを施した美しいクーペなら、当然の報いにも思える。プロトタイプに関わったすべての人が、認められたということでもある。