「死んだ母の乳を吸う赤ん坊」…2万以上の遺体を見てきた監察医が今も涙する“三つの光景”ー過酷な現場から伝わる家族の思い

写真拡大 (全2枚)

監察医として30年のキャリアを歩み、2万体もの遺体と向き合ってきた医学博士の上野氏が、今もなお涙なしには語れない「三つの光景」があるという。検死という冷徹な任務のさなかに氏が目撃したのは単なる「死」ではなく、そこに付随する家族の悲劇と、割り切れない思いだ。

【画像】思い返すと今も涙する「三つの光景」

 

氏の書籍『死体が伝える最後の想い』より一部を抜粋・再構成し、言葉を失うような現場について記す。

監察医が忘れられないシーン

「検死をしてきて忘れられないシーンがありますか」

と聞かれ、思い起こすと自然に涙が出てきた。

不思議なことに、検死をしているときは、たとえ切ない気分ややるせない気分になることはあったにせよ、涙が出ることなどなかった。

おそらくきちんと検死をして、事件の真相を解明しなくてはという切迫感が、涙を止めていたのだろう。泣いていては仕事にならないのだ。

「三つあげるとしたら何ですか」

と聞かれた。

30年にわたる監察医時代、2万体にも及ぶ検死の中で忘れられないシーンか……。

私は思い起こした。

幼い子どもを亡くした母

やはり一番忘れられない場面は、交通事故で幼い子どもを亡くして母親が泣き叫んでいた事故現場だろうか。

現場に向かった。到着すると、目の前に、母親がよちよち歩きくらいの子どもを抱きかかえていた。

「○○ちゃん、起きなさい」

そうヒステリックに母親が子どもの体を揺さぶっている。瀕死の重傷だろうか、と近寄ろうとした次の瞬間、胸がふさがれる気持ちになった。

子どもは、瀕死の重傷どころか、頭を轢かれて、脳が飛び出して、即死の状態であったからだ。

「○○ちゃん、お願いだから、ねえもう一度、ママと呼んで」

お母さんはその子を抱っこしながら、必死に話しかけている。もちろん子どもは返事をしない。

そういう現場に警察官と一緒に検死に行った。

しかし、そこで、

「検死に来ましたから、その子どもさんを見させてください」

とは、どうしても言えなかった。

母親は頭が潰れて脳が飛び出している子どもの死を認めていなかったのだ。客観的に見れば、完全に亡くなっているのだが、母親としてはその死を認められないで、子どもに話しかけている。

やるせなかった。

結局、次の日、出直すことになった。

亡くなった母親のおっぱいを吸う赤ん坊

赤ん坊の姿が脳裏に焼きついて離れない現場もあった。

検死へ向かった。部屋に入ると、私は生ツバを飲み込んだ。

それは地獄絵だった。

母親が死んでいた。そこまではわかる。

亡くなった母親の胸がはだけていた。

そして、その胸のおっぱいを赤ん坊が吸っていたのだ。

赤ん坊と若い母親の二人暮らしだったが、日ごろから母親が病弱で、ある日、突然亡くなってしまったのだ。

しかし、赤ん坊のほうは、母親が亡くなっていることを知る由もない。ただお腹を空かせている。それで、生きるために母親の胸元をはだけて必死におっぱいを吸っていたのだ。

母親は、まだ死んだばかりだったからそんなに冷たくはなっていなかった。死亡推定時刻を逆算すると、死後三、四時間ほどだった。

母親が亡くなっていることもわからずに、自分の命のために懸命におっぱいにしゃぶりつく赤ん坊の姿がそこにあったのだ。

立ち尽くす子どもたち

最後のシーンは、お父さんが自殺してしまった現場だろうか。

お母さんが病死して、お父さんは生活に疲れて自殺してしまった。私が検死するため現場に行くと、二人の子どもが父親の遺体の前でどうすればいいかわからず途方に暮れたような表情で立ち尽くしていたのが、今でも目に焼きついて離れない。

現場にいた子どもは、中学生ぐらいの女の子と小学生くらいの男の子だった。

父親の亡骸を前に呆然と立ち尽くしている。

検死も必要だったが、子どもたちの今後がそれ以上に心配になった。

思春期のとても大事な時期に、母親が病死をし、残った父親も後を追って自殺してしまったのだから。

私は立ち会ってくれた民生委員の人に、彼女たちのその後をくれぐれもよろしくと伝えた。

そういった悲しい現場を数多く踏んできたからか、私は社会福祉の充実について積極的に発言するようになったし、退職後、社会福祉の仕事をささやかだが、お手伝いしている。

修羅場とは言わないかもしれないが、切ない現場に立って、仕事を超えた厳しさを感じることもあったし、単純に仕事と割り切れない場面に数多く接してきた。

私は多くの検死を通し、生きるということの喜び、そして命の尊さをあらためて考え
させられた。

死体が伝える最後の想い

上野 正彦

2026/4/7

880円(税込)

248ページ

ISBN: 978-4022621276

布団の中で凍死してしまった老人の孤独、消せない指紋、殺された幼い子どもが最後に見た光景、サスペンスドラマのような結末、自分を盾にした母の愛――。

監察医として30年間、約2万体の死体を検死してきた著者が語る命の尊厳、生と死のドラマ。

『裏切られた死体』と『死体は切なく語る』から屈指のエピソードを選り抜いたベスト版。

【目次】
第1章 死体が残したメッセージ
第2章 切ない事件
第3章 人はここまで醜くもなる
第4章 フィクションとノンフィクション
第5章 やるせない真相
第6章 愛情の末に