「アンタ、肌汚いわ〜!」女性タレントへの“強めの言葉”を求められて…“可愛すぎるオネエ”としてバラエティでブレイクしたゆしんが明かす、キャラと本当の自分のギャップ〉から続く

 かつて、“可愛すぎるオネエタレント”としてテレビに引っ張りだこだった、ゆしん。華やかな笑顔と軽快なトークで人気を博した一方、その裏では想像を超える苦悩と葛藤を抱えていた。テレビの第一線から少し距離を置いた今、これまでの壮絶な半生について、率直な言葉で語ってもらった。(全4回の2回目/最初から読む)

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ゆしんさん ©釜谷洋史/文藝春秋

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「一番ケンカが強かったので番長やってました(笑)」

――ゆしんさんの学生時代は現在のイメージとはかけ離れた、いわゆる不良だったとお聞きしましたが……。

ゆしんさん(以下、ゆしん) アハハ。そうですね。中学では一応、裏番長みたいなことも言われていました(笑)。今とは違って先生が生徒に対して厳しく接するのが当たり前の時代なのでよく殴られていましたね。

 目立った生徒だったので、ラグビー部に入れられたんですが、「お前ら、スクラム組め!」って顧問の先生にタックルされて大ケガする子もいたりして。遅刻したらどつきまわされて、髪つかんで引き摺られて先生と殴りあい。だけど、殴られたあとは先生がコンビニでお菓子をおごってくれたり。今思うとヤンキー映画みたいな、すごい環境でした。

――当時、さらわれた仲間のために喧嘩相手に立ち向かって行ったというエピソードを聞いて衝撃的でした。昔から人情にあつい性格だったのでしょうか。

ゆしん 弱い者いじめは大嫌いだし、仲間がやられていたら、絶対に助けましたね。

 ある日、急に仲間達で「番長を決めよう」という流れになって、その場にいた不良の6人でケンカになり、最終的にはトーナメント戦のような形になった時に、「もうしんどない? お前でよくない?」という流れになって(笑)。

初体験は小6! 結婚を考えていた彼女は鑑別所に入っている間に…

――そのようなエピソードを伺うと、かなりヤンチャされていたんですね。恋愛面はいかがでしたか。

ゆしん 以前、YouTubeでもお話ししたことがあるんですが……。初体験は小6で、すでに彼氏がいた同じグループの女の子でした。その子の家にお泊りした時、彼女の方から「コンドームの使い方、教えてあげる」って……。

――すごくませた子供だったんですね!

ゆしん 高校生の時には、結婚を考えていた彼女もいました。ただ、喧嘩が原因で鑑別所に入っている間に、その彼女は別の男性の子どもを妊娠し、結婚していました。それがきっかけで、女性不信になりました。

生卵をぶつけられ「あいつ、オカマや!」

――それもとても辛い経験でしたね。一方で、いじめのようなこともあったとか……。

ゆしん 当時は男性の格好をしていたんですが、「あいつ、オカマや!」と言われて、バイクに乗っている子たちから生卵を投げつけられることもありましたね。

 生卵って、当たるとなかなか匂いが取れないから最初はきつかった。だけど、何度も投げられてたら慣れてきて、最後の方はもう、パシッ! って手で止められるようになりました。

――生卵を投げつけられるとは、漫画のようなエピソードですね……。鑑別所に失恋、そしていじめと、大変な経験をされましたね。

ゆしん ただ、17歳で芸能界を目指して上京してからの方が、より過酷だったかも。夜は歌舞伎町で働きながらオーディションを受けていましたが、その界隈の方から業界関係者の男性を紹介されたんですね。

 二人きりというわけではなかったのですが、一緒に飲んでいる中で距離を詰められ、気づいたときには「今撮っているよ」とカメラを向けられていたんです。後から知ったのですが、その方はAVのカメラマンでした。その後、「AVに出てみないか」と誘われましたが、お断りしました。

700万円以上の借金を背負われた歌舞伎町時代

――それは恐ろしい……。歌舞伎町で飲食店を経営されていた時にも、700万円以上の借金を背負われたとも伺いました。

ゆしん そのときは率直に、「もう死のう」と思いました。初めて自分で調べるほど、当時は追い込まれていたんだと思います。店がなくなり、仲間だと思っていた人からも心ない言葉をかけられて、精神的にも限界に近い状態でした。

 衝動的に危ないことをしようとしてしまったのですが、ふと我に返って、「何てバカなことをしてるんだろう」と思いとどまりました。そのまま家で一人、泣いたのを覚えています。

――生きていてくださって、本当によかったです。ご家族に借金の相談などはしなかったのでしょうか。

ゆしん 17歳で啖呵を切って東京に出てきたのに、ここで親に頼るのはダサいんじゃないかと思って、頼るという選択肢はありませんでした。家族にはこれ以上迷惑をかけないと決めていたから。だからお母さんにはずっと、芸能の仕事があると嘘をついていました。

――ご家族にも頼れない中、どのように立ち直ったのでしょうか。

ゆしん たまたま年上のお姉さんに「ニューヨークに行こう」と誘っていただき、全財産を持って行ったんです。もともとミュージカルは好きでしたが、その世界のレベルの高さに大きな衝撃を受けました。

 海外に行くと人生が変わると言いますが、本当にその通りで、「日本に帰って借金を返して、生き直そう!」と思い直しました。その後は、昼は事務の仕事、夜は銀座のバーで働くダブルワークを続け、約2年で借金をすべて返しました。ちょうどロンドンハーツに出演する前の21歳の頃ですね。

親戚の大きな借金も「億じゃないから大丈夫!」

――借金を完済されたあとは、芸能界で売れて順風満帆な人生が……。

ゆしん 実は、その後にもう一度しんどい時期がありました。仕事も人間関係もうまくいかないタイミングで、親戚に多額の借金があることが分かり、母から「どうしたらいい?」と相談を受けたんです。

 弁護士に相談したところ、「一度でも支払いをしてしまうと、そこから返済義務が発生する」と言われて。すでに母が少額を支払ってしまっていて、返済を続けなければならない状況になっていました。もし母が払えなくなれば、長男である自分にその負担が回ってくる。金額は2800万円でした。

 正直もう気持ちが折れてしまって、分割でもいいと言われていたものの、「もういい、一括で返そう」と決めて、仕事で貯めた貯金をすべて崩して支払いました。

――それは、とても辛い出来事でしたね……。

ゆしん でも、そのあと「何のためにこのお金を貯めてきたんだろう」と思ってしまって。自分のためではないことで一気にお金がなくなり、気持ちが追いつかなくなって、引きこもるようになってしまいました。

 そんなとき、お姉ちゃんみたいな存在の伊藤ゆみちゃんが心配して家に来てくれて。「開けなさい!」と何度もインターホンを鳴らしてくれたんです。散らかっていた部屋も片付けてくれて、話を聞いて、一緒に泣いてくれました。

 そのとき、2800万円の借金の書類を見て、「億じゃないから大丈夫!」と言ってくれて。その一言で、「そっか、億じゃないやん」と、笑いながら泣いて。「また稼げばいいか」と思えるようになりました。

 若い頃の借金はまだ何とかなる部分もありますが、大人になってからの借金は本当にきついものです。あのとき、ゆみちゃんが来てくれなかったら、本当に危なかったと思います。

――学生時代の経験も含めて、そうした出来事は今の考え方にどう影響していますか。

ゆしん やはり「人を大切にしたい」という気持ちは、より強くなりました。17歳で家を出たときに、「ここから先はもう親の責任じゃないから」と言われていたので、自分で背負っていく覚悟はありました。

 その分、たくさんの人に助けられてきたからこそ、周りの人への感謝の気持ちはずっとあります。それが今の自分の考え方のベースになっています。

〈初めて男性を好きになったとき「女性の身体だったらよかったな」と…“可愛すぎるオネエ”としてブレイクしたゆしんが明かす、自身のジェンダーと性のこと〉へ続く

(佐藤 ちひろ)