「俺の30年は何だったんだ」…屈辱の〈年収4割減〉に退職届を叩きつけた60歳工場長。失業給付が切れる前、追い詰めながら決めた「まさかの再就職先」【CFPの助言】
高年齢者雇用安定法により、60歳以降に会社に勤め続けることは可能になりました。しかし、定年の延長でそれまでと変わらない待遇が保証されているケースは、まだまだ少数派といえます。処遇の変更に納得できず、長年勤めた会社を辞めてしまう人も少なくありません。本記事では、CFPの松田聡子氏が、勤務先による定年後の待遇にプライドを傷つけられた60歳の元工場長の事例をもとに、「60歳の壁」の乗り越え方を解説します。
「30年間、体を張ってきた。その報いがこれか…」
関東の地方都市に暮らす小笠原和夫さん(仮名・60歳)は、地元の中堅メーカーで30年以上、生産管理一筋に働いてきました。現場の最前線から叩き上げ、50代で工場長に就任。品質管理体制の刷新や若手育成にも力を注ぎ、定年前の年収は700万円に達していました。
妻の章江さん(55歳)はスーパーでパートとして働いており、月収は10万円ほど。子ども2人は、すでに独立し、それぞれ東京と福岡で就職しています。
夫婦ふたりの静かな暮らしの中で、和夫さんは「定年後も継続雇用でしばらく働き、その後はゆっくりしよう」とぼんやり考えていました。
ところが、和夫さんを待ち受けていた定年後の雇用の条件は、非情ともいえるものでした。
「継続雇用は契約社員として、倉庫管理の担当をお願いします。年収は約400万円です」
工場長として現場を統括してきた人間が、倉庫の管理担当へ。年収は定年前の約6割です。継続雇用で多少収入が下がる覚悟はしていましたが、ここまで待遇が下がるとは思いもしませんでした。
「30年間、体を張ってこの会社を支えてきた。それがこの扱いか」
そんな怒りと屈辱感が、和夫さんの胸に渦巻きました。
退職届を提出したが…再就職の厳しい現実
「もう少し冷静に考えてから」と引き留める章江さんの言葉も耳に入らないまま、和夫さんは退職届を提出しました。退職金は1,500万円。「多少の収入減少を受け入れれば、次は見つかるだろう」と考えていました。
しかし予想に反し、現実は厳しいものでした。シニア向け転職エージェント2社に登録し、製造管理系・年収450万円以上を希望条件に活動を開始しましたが、面接まで進む求人案件がほとんどありません。
自己都合退職のため、7日間の待機期間に加えて1ヵ月の給付制限を経てようやく失業給付の受給が始まりましたが、給付日数には限りがあります。完全にリタイアするまで、退職金には手をつけたくありません。
ついに失業給付がなくなる頃、精神的に追い詰められた和夫さんは、警備会社への再就職を決めました。その年収は約320万円です。
「あのまま倉庫にいれば、少なくとも400万円はもらえていた。なぜあのとき辞めてしまったのか……」
和夫さんは後悔しましたが、「時すでに遅し」でした。
「60歳の壁」は想像以上に高い。データで見える賃金減の現実
和夫さんのような状況を表す言葉に、「60歳の壁」というものがあります。
厚生労働省の「令和6年雇用動向調査」によれば、60歳から64歳の転職者の60.9%が賃金減少を経験しており、そのうち53.9%は1割以上の減少となっています。
「60歳の壁」が発生する要因として、転職市場における「そもそも60代を採用しようとする企業が少ない」という供給側の制約が挙げられます。特にホワイトカラー・管理職系の求人は希少です。
和夫さんのように管理職・専門職としてのキャリアを積んできた人ほど、中小企業では「過剰スペック」とみなされ、希望する給与水準との折り合いがつかないことが少なくありません。
一方、元の会社での継続雇用はどのような実態なのでしょうか。
高年齢者雇用安定法の義務化により、企業の99.9%が65歳までの雇用確保措置を実施済みです(令和7年「高年齢者雇用状況等報告」厚生労働省)。しかしその内訳をみると、「継続雇用制度(再雇用)の導入」が65.1%で最多を占め、「定年の引上げ」は31.0%にとどまります。
つまり多くの会社では、定年後は一度退職して再雇用という形が主流であり、その際の職種変更や賃金の大幅削減は制度上、許容されているわけです。和夫さんが告げられた「倉庫管理・年収400万円」は、会社が法の枠内で設定した処遇といえます。
和夫さんの場合、年収400万円の再雇用を拒否して転職した結果、年収320万円の警備員という着地点になりました。年間で約80万円のマイナスが5年間続けば、差額は400万円に上ります。退職金を取り崩さずに済んでいるのは、「不幸中の幸い」ともいえるでしょう。
「辞める前」に動くのが鉄則。FPが教える“後悔しない”定年後のアクション
和夫さんのケースから、60歳前後の選択において何を優先すべきかを考えてみましょう。
まず押さえておきたいのは、再雇用での継続就業は多くの場合で経済的合理性が高いという点です。その理由として、「高年齢雇用継続基本給付金」が支給されることが挙げられます。再雇用で60歳時の賃金の75%未満に下がった場合、最大で再雇用後の賃金の10%相当が支給される制度です。
和夫さんのケースでは、年収400万円で条件を満たせば年間最大40万円程度の上乗せになり得ました。転職後の年収約320万円と比べると、差は給付金を含めて年間100万円超に上る可能性があります。
それでも転職を考えるなら、在職中に動くのが賢明です。退職後に失業給付を受けた場合、転職先では高年齢雇用継続基本給付金は受けられず、最長2年の「高年齢再就職給付金」を受給することになります。
しかし、失業給付の残日数が100日未満になると、再就職給付金も受けられなくなるのです。在職中であれば、転職市場の実態を見ながら「留まるかどうか」を冷静に判断する余地があります。転職エージェントを活用すれば、限られた時間の中でも効率的に情報収集ができるでしょう。
そして、60〜65歳の生活を数字で先に試算するようにしましょう。和夫さんのもう一つの失敗の原因は、感情で退職を決め、その後の生活費を具体的に計算していなかったことにあります。夫婦2人の生活費を月25万円と仮定すると5年間で1,500万円と、退職金がそのままほぼ消える計算です。
老後の備えを守るためにも、「プライドを守る選択」が実際にどれだけの経済的コストを伴うのかを、退職前に冷静に見極める必要がありました。
60歳から年金受給がスタートする65歳までの5年間は、「いまの会社でできること」と「外に出て得られるもの」を冷静に比較することが、老後を左右する分岐点になるのです。
松田聡子
CFP®
