阿刀田高91歳、ひとり暮らし4年目「レビー小体型認知症だった妻を昨年5月に見送って。〈絶対に先に死ねないな〉と気を張って暮らしていたけれど」
短編小説の名手として知られる作家の阿刀田高さん。妻を看取り、現在は都内でひとり暮らしをしています。閑静な住宅街にある自宅に伺い、日常を覗いてみると――(構成:篠藤ゆり 撮影:木村直軌)
【写真】今は便利なものがたくさんある、と台所に立つ阿刀田さん
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焦らずゆっくり自分のことは自分で
今年1月、91歳になりました。ひとり暮らし歴は4年目ですが、まぁ、なんとかやっています。
朝は6時頃に起きて、朝食の用意。といっても、この1年ほど、ほぼ同じメニューです。ゆでたブロッコリー、ゆで卵、トマトにチーズ、肉っ気も必要かと思いソーセージ1本。主食はパンで、牛乳を添えます。
以前は時々、磯辺焼きを作っていましたが、喉に詰まると大変だからやめたほうがいいと息子から言われたのでやめました。自分としては、「オレが餅を喉に詰まらせるはずないじゃないか」と思っているんですけどね。(笑)
ゆで卵は、2日分いっぺんにゆでます。テレビで得た知識ですが、生卵に針で小さな穴を開けてからゆでると、殻を剥きやすいらしい。そこでまち針を使っていたのですが、その話を編集者にしたところ、100均で売っている卵の殻の穴開けをお土産に持ってきてくれました。
最近は買い物に出かけるのも大変なので、ブロッコリーは隣に住んでいる息子に買ってきてもらうようにしていたんですけど、家事経験が少ない男というのは気がきかない(笑)。
これは僕の想像ですが、茎の切り口をちゃんとチェックせず、一番手前にあるのを適当に選んでいるんじゃないかな。この頃、小分けして冷凍したブロッコリーが売られていることを発見したので、今はそれを使っています。
昼食はインスタントラーメンやレトルト食品などを活用して手軽にすませ、夜は魚を焼いたり、おでんや豚汁を作ったり、料理らしきことをやっています。
この前、たまたま娘が来ている時、夕食に親子丼を作ったところ、娘曰く「これは親子丼ではない」と。「いやいや、鶏肉と卵を使っているんだから、見た目がどうであれ、これは親子丼だ」と反論しました。(笑)
なんとか自分のことは自分でできるのは、30歳で結婚するまで、7年ほどひとり暮らしをした経験があるからです。当時と比べると今は便利なものがたくさんありますし、贅沢なご馳走を食べたいなどと思わなければ、なんとかなるもの。
ただ、この歳になると、部屋の中での移動もそろりそろり。何をやるにも時間がかかるので、朝食の準備に30分ほど費やします。
朝食は、朝の連続テレビ小説を見ながら。今期は、小泉八雲と妻のセツさんがモデルの『ばけばけ』ですね。僕は以前、ラフカディオ・ハーンをモチーフに『怪談』という小説を書いており、その中で彼の伝記や作品も紹介しているので、ちょっと詳しい。
ですから、「ほぉ、史実をうまくフィクションにしているな」とか、「セツ女はもう少し落ち着きがある女性だったんじゃないか。でも、女優さんの笑顔がかわいいから、これもいいな」などと、頭の中でツッコミを入れる。これが結構、楽しいんです。
ひとつ前の朝ドラ『あんぱん』は、やなせたかしさんと妻の暢(のぶ)さんがモデル。僕は名前が「高」なので、時々テレビの中から「たかしーっ!」と言われると、ちょっと緊張したりして(笑)。僕を「たかし」と呼び捨てにするのは、今やヨロヨロになっている8歳上の兄くらいです。
朝食が終わると、気力がある時は、10時くらいから近所に買い物や所用をすませに出かけます。昔は洒落こんで着物を着たりもしたけれど、今は部屋着のまま、背中にリュック。両手が空いていたほうが、転倒の危険を避けられますから。
昔は「リュックはちょっと見栄えが悪いなぁ」と思っていたけれど、女性がきれいに背負っているのを見て、なるほど、工夫次第かな、と。そんなわけでリュックを背負って杖をついて、とことこ。
面白いことにその時間帯は、向こうからも杖をついている人が歩いてくる。すれ違いざまに、ちらっと意識したり、向こうも同じことを思っているんだろうな、などと想像してみたり。
銀行に行く時は、途中に3本くらい、目当ての柱がありましてね。「よし、まずあの柱まで行こう」と目標を決め、ひと休みしてから次の柱。そんな感じで、町を歩いています。
健康でいたほうが身軽でいられる
ひとり暮らしを始めたのは2023年。レビー小体型認知症を患った妻が、施設に入所してからです。それより5年ほど前から症状が表れていましたが、正直、深刻に受け止めていませんでした。
ところが21年の正月、一緒に修善寺に旅行した際、異様な興奮状態になり、以来、突如、手がつけられなくなることを繰り返すようになりました。
それから2年ほどは僕が家で世話をしていましたが、介護関係の方から「この家は危機的状況です。このままだと、半年後にはあなた自身がダメになりますよ」と言われて、断腸の思いで近所の施設に入れたんです。施設には、なるべく頻繁に訪ねるようにしていました。彼女は僕と会うのを、何より楽しみにしていましたから。
実は、妻は10年ほど前から家の中で転倒・骨折をして歩行が困難になるなど、いろいろ衰えがありました。だから僕は、「絶対に先に死ねないな」と気を張って暮らしていたんです。彼女が残ったらかわいそうだし、子どもたちも大変な思いをしますから。
でも昨年5月に見送ったので、僕はもういつ死んでもかまわない。そう思うと、楽なもんですよ。勝手気まま、自由に好きに生きて、いつ死んでもいいわけですから。
でも、できれば死ぬまでなるべく元気でいたい。というのも、心身ともに健康でいたほうが、身軽でいられるからです。そのためには、やるべきことはやったほうがいい。
僕は若い頃、肺結核になり、ストレプトマイシンのおかげで命拾いをしました。そのせいか医療を信じているところがあり、50年以上、毎年、人間ドックを受けています。
身軽になるための準備として、本の処分もだいぶ前から始めました。以前は大きな書庫があり、天井までぎっしり本が詰まっていて、雑誌の取材などでカメラマンが来ると必ずその書庫で写真を撮りたがったものです。でもどんな貴重な本でも、もう自分が一生触らないなと思ったら処分したほうがいいと思って。
もともと愛着を持って何かを手元に置くのは、面倒だからあまり好きではない。地方や海外に旅しても、お土産を買ってきて家に飾る趣味もありません。できるだけシンプルでいたいから、小説も長編ではなく、短編を書いてきたんでしょうね。
本は減らしていたものの、2011年の東日本大震災の際、けっこう書棚から落下してねぇ。その頃、次男が「親父たちもこの先、歳をとるし、近くに住んだほうがいいんじゃないかな」などと言うものだから、書庫を壊して次男が家を建てることになり、一気に本を処分しました。
でも、そばに住んでもらってよかったと思います。妻の病状が急変した時も、次男が車を出してくれましたし。
<後編につづく>
