今西和男さん死去 日本代表・森保監督ら発掘した名将 GMの先駆け的存在
日本代表の森保一監督らを育て、広島の総監督などを務めた今西和男(いまにし・かずお)さんが16日午前0時12分、肺炎のため広島市内の病院で死去した。85歳。広島市出身。葬儀・告別式は17日午前11時から広島市南区大州5の3の22、平安祭典広島東会館で営まれる。喪主は妻・美代(みよ)さん。
今西さんは13日に体調を崩して入院し、16日未明に天国へと旅立った。1941年、広島市に生まれ、4歳の時に被爆。ケロイドが残った左脚ではボールをうまく蹴ることができなかったが、サッカー選手として台頭。現役時代は東京教育大学(現筑波大)から東洋工業(現広島)に加入してDFとして日本リーグで活躍。日本代表にも選ばれた。
引退後はゼネラルマネジャー(GM)の先駆け的存在として、古豪マツダの再建に尽くした。84年に監督に就き、後に日本代表監督にもなるハンス・オフト氏をオランダからコーチに招へい。今西さんの肩書こそ監督、総監督だったが、選手獲得や環境整備に動いた。選手のスカウトにも力を入れ、高校時代は無名だった森保一らを発掘。育成に重きを置き、「サッカー選手である前に良き社会人であれ」と説いて社会人教育を施した。高木琢也、風間八宏ら日本代表やプロ監督になる人材を輩出した。
94年からは日本協会強化副委員長も務め、98年W杯フランス大会の初出場に寄与。大分、愛媛、岐阜と地方クラブの立ち上げにも関わり、日本サッカー界の発展の礎を築いた。
今西 和男(いまにし・かずお)1941年(昭16)1月12日生まれ、広島市出身。広島市立舟入高から東京教育大(現筑波大)を経て東洋工業入り。俊足とハードタックルが武器のDFとして活躍。日本リーグ42試合、日本代表戦11試合出場。引退後はマツダの監督、総監督を務め、サンフレッチェ広島の設立に尽力。日本サッカー協会強化副委員長、FC岐阜社長などを歴任した。
≪森保監督 W杯へ「天国で誇らしく思えるようなサッカーを」≫森保監督は恩師の訃報を受け「W杯も日本一丸で世界に挑み、今西さんが天国で誇らしく思えるようなサッカーをお見せできるようまい進します」と誓った。無名だった長崎日大高時代に自身を見いだしてくれた存在。「サッカー選手や指導者としての立ち振る舞い以前に、社会人として人前に出て恥ずかしくないように、人としての根本的なことを教わりました」と感謝した。
生前の今西氏はW杯を楽しみにしており、本紙の単独インタビューで「森保らしく、ひたむきに」とエールを送っていた。森保監督は昨年11月の代表活動期間に長崎日大高サッカー部時代の恩師・下田規貴氏を亡くしたばかり。W杯を前に悲しい知らせが続く中、本大会で世界を驚かせることが、何よりの恩返しとなる。
【今西さん悼む声】▼日本協会・宮本恒靖会長 日本スポーツ界におけるゼネラルマネジャー(GM)の役割を確立された。その積み重ねが日本代表の躍進、W杯の舞台へとつながっていったのだと感じています。
▼日本協会・田嶋幸三名誉会長 今西さんの存在なくして今の日本サッカー、日本代表はありません。どうか、天国で森保ジャパンを見守ってください。ありがとうございました。
▼日本協会・川淵三郎相談役 彼が日本サッカー界に与えた影響は絶大なものがあります。その一つを挙げるとしたら、人間性を鋭く見抜く目です。森保一さんをはじめとする多くの才能を見抜き、育て上げてきました。岡田武史(日本代表)監督就任を進言してくれたのも彼でした。
