「あんな大舞台で負けたことあんのかよ」――那須川天心は「敗北」を知って何を得たのか 井上拓真戦から感情が揺れ動いた日々

会見と囲み取材。その両方で険しい顔を見せた那須川(C)CoCoKARAnext
和やかだった敵陣営とは対照的だった殺気だった顔
緊張感、いや殺気。それとも充実感の裏返しか。4月8日に東京都内で記者会見に臨んだ那須川天心(帝拳)は、いつもと様子が違った。
来る11日に両国国技館で行われる元世界2階級制覇王者フアン・フランシスコ・エストラーダ(メキシコ)との試合に向けた事前会見の場。普段の那須川は、ひとたびマイクを握れば、饒舌に語り、ポジティブシンキングを象徴するような“天心語録”を連発。白い歯をのぞかせるその表情からも、前向きさが見て取れる。だが、目深にキャップを被って登壇したこの日は、ダークな雰囲気に終始。「もう自分に負けたくない。腹をくくっています」と興味深い発信はあったにせよ、場内をユニークに盛り上げる場面は皆無に等しかった。
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殺伐とした雰囲気を物語るワンシーンもあった。会見終盤、ある記者が、高見亨介(帝拳)とのフライ級10回戦に挑むアンヘル・アヤラ(メキシコ)に質問をした刹那の出来事だった。
「大谷翔平」と漢字で印字されたドジャースのユニホームを身に纏ったアヤラは「その服を着てきた意味はあるんですか?」と問われ、「オオタニが好きなんだ。30分から1時間ぐらい歩いてやっと見つけた一枚でもある」と回答。瞬間的に会見場は和やかなムードとなり、陣営からも拍手喝采。エストラーダにも笑顔がこぼれた。しかし、那須川は険しい表情を微塵も崩さず。ともすれば、怒っているようにも見えた。
「ここまで雰囲気が違う天心は見たことがないな」――記者仲間が何気なくぼやいた。たしかに試合前にここまで殺気立つ那須川は筆者も見たことがない。それは2022年6月に東京ドームで実施された『THE MATCH 2022』で、当時K-1王者だった武尊と死闘を演じた直前でさえ、見られなかった姿だった。当時は前日会見で「ワクワクしかない」と笑みを浮かべる姿も見られた。当時の彼を貶す気はないが、語弊を恐れずに言えば、どこか余裕のようなものが見る側には伝わった。
無論、4年前とは置かれた立場が違う。今回はボクサーとして挑む試合、しかも格闘技人生で初めて食らった黒星から「負けたら終わり」と言われる再起戦だ。今までにない危機感が生まれるのは、必然だったのかもしれない。
会見内で「現在のコンディションは?」と問われた那須川は、何かをぶちまけようとする自身の感情を押し殺すように、こう漏らしている。
「前回負けたということもありまして、自分の中でも、いろいろなことを考えたり、精神面だったり、自分のことが信じられなくなったりとか、たくさんのことがあった。でも、やっぱ仲間だったり、本当に自分自身を変えるために、今回はしっかり挑んできたつもりでもあります。(エストラーダが)復帰戦でやる相手ではないとみなさんに言われたり、勝つか負けるか分からないとか、いろんな予想はあると思うんですけど、そんなのクソ食らえ。あっかんべーです。はい」
那須川が世間の反応にここまで敏感になるのは、やはり2025年11月に行われた井上拓真(大橋)とのボクシングのWBC世界バンタム級王座決定戦で喫した敗北の影響があるのだろう。文字通りの大一番で喫した格闘人生54戦目でついに訪れた黒星は、“神童”の心にさまざまな感情を去来させた。

井上との激闘で「ボクシングの深み」を知った。そんな那須川は、そこからの5か月間をどう過ごしてきたのか(C)Takamoto TOKUHARA/CoCoKARAnext
井上の戦略に完全にハマった敗北
何しろ負け方が負け方だった。
序盤2回までは、持ち前の技術とスピードで井上を翻弄した那須川だったが、リーチの差を埋めるように距離をグッと縮められた3回以降は後退。プレッシャーを強められ、反撃の余地も見いだせずに屈した。「(ペースを)上げていけばいける自信があった」という井上の戦略に、完璧にハマっての力負けだった。
試合の流れが変わっていくのをリング上で感じ取っていた。だから焦った那須川には、「出ると判断が遅れる」という迷いも生じた。そうして、技術面でも、心理面でも、眼前に立ちはだかった元世界王者に「差」を見せつけられていた。
那須川自身が「ボクシングの深みの差でやられた」と唇をかんだ敗北。そこから時の流れの中で「自分の戦う姿勢だったりを見返したり、掘り返したりしたりした」という27歳は、「勝たないと晴れない」と悔しさを漏らした。
相当な覚悟は、自らが望んだ環境の変化にも滲み出る。この試合に向けては、元世界2階級制覇王者で、ボクサー転向以来、師事してきた粟生隆寛トレーナーとのコンビを解消。15歳からボクシング技術を学んだGLOVESジムの葛西裕一会長と新たにコンビを組み、さらに父である那須川弘幸会長のいる古巣のTEPPEN GYMでも汗を流した。すべてにおいて原点回帰をし、自らを問いただしたのである。
葛西会長とはハイガードと左の強打を意識し、より前にプレッシャーをかけていく、ファイター寄りのスタイルを再構築。アウトボクシングではなく、果敢に打ち込む戦術を磨き上げてきた。これをエストラーダに繰り出せれば、相当な強みとなる。
敗北を知り、血のにじむ努力をしてきた。だからこそ、誹謗中傷も入り混じる批判的な声を唱える世間に、思うところがある。勝敗予想について問われた那須川は、「予想なんてデタラメ。うるせぇって話。本当に舐めんじゃねぇよって。戦うのは俺。みんなボクシングしか見てない。那須川天心を見てない。一人の人間として、どこまで行けるのかを見てほしい」と訴えた。
「俺は成功体験が人をダメにすると思ってるんで。勝ってきたからこれでいいやってことは一生ない。自分を壊して、自信が持てるようになって、また、その自信が壊れていく。でも、それこそが自分の中の生き甲斐なんで。別に誇らしく思うことはないですけど、『あんな大舞台で負けたことあんのかよ』って。人前で恥をかけるのも幸せなことなんで」
「本当に裸一貫。やるだけ。どう思われようと関係ないから」
心身ともにダメージはあった。それでも「人よりも濃い人生を送ってきた」と語る那須川にとって、敗北から感情が揺れ動いた日々は成長に繋がるのか。
本人に訊けば、自身の心情を紡ぐように、こう振り返っている。
「成長だと思いますよ。成長だと思うし、そっちの方が生きやすい。何にも気にする必要がないんで。生きる意味なんて、どうでもいいし、自分にはもともとない。でも、今は、その生きる意味を作っていっている感じ。ただ時間を過ごしているだけじゃない。だから、こっちの方が生き甲斐を感じてますね」
ボクサーとしての“生き甲斐”を見出した那須川。迎えるエストラーダは、18年に及ぶキャリアで49戦45勝4敗(28KO)と、負ける怖さも知る百戦錬磨の猛者だ。23年以降は、年1ペースでの試合消化に留まっていることからも体力的な衰えは否めないが、長年にわたり軽量級トップ戦線で戦い続けてきた経験値は、かつてないほどの脅威となる。
老獪な強者にどう挑むか。「自分を壊さないと成長しない」とすごむ那須川は、全身全霊をぶつける覚悟を固めている。
「本当に裸一貫。やるだけ。どう思われようと関係ないから。本当に勝ちに行くだけ。もう腹は座ってるし、何が起きてもいいよって状況。これが良いか悪いかはわからないですけど、かならず良い結果にしますので。皆さん、声を出して応援してください」
まさしく崖っぷち。「思ったようにいかないことが多いし、想像より遥かにデカい」というボクシング人生の瀬戸際に那須川は立っている。ただ、これまでも大なり小なり幾度となく障壁は乗り越えてきたのも事実。でなければ、「神童」として昇華されることもなかったはずである。
エストラーダとの難戦を予想する声も「クソ食らえ」。もう腹は決まった。あとは、世間がどう騒ごうと、11日のリング上で己を証明するのみだ。
[取材・文/構成:羽澄凜太郎=ココカラネクスト編集部]
