プロ野球ファン垂涎!80代の超ベテラン・宮田統樹 僕が実況中継した「名選手」と不朽の「名勝負」
歴史的瞬間の実況
「おい宮田! いま金田が投げてるぞ! 勝てば400勝だぞ!」
’69年シーズン最終盤の夜8時、ニッポン放送アナウンサーの宮田統樹(のぶき)(84)は、慌てて電話をかけてきた上司の言葉を聞くなり、後楽園球場へ走った。
この日、宮田は自身の担当試合を終えて本社で宿直勤務を行っていたが、急遽、歴史的瞬間の録音実況を任されたのだ。バックネット裏の放送席には機材が揃っている。息をつく間もなく、偉業は達成された。宮田は声を張り上げた。
「『金田400勝なる! 金田400勝なる! 金田嬉しそう。金田嬉しそう』って甲高い声で必死に叫んでいて、本当に下手っぴでね。でも、あの瞬間がいまでも脳裏に焼き付いています」
ニッポン放送が誇る名物野球中継番組『ニッポン放送ショウアップナイター』は、今年で60周年を迎える。宮田は黎明(れいめい)期から番組を支え、現在も日本初の「80代の実況アナウンサー」として実況中継を続けるレジェンドだ。
「國學院大學を出て、ニッポン放送に入社したのは’64年でした。『オールナイトニッポン』で活躍した斎藤安弘が同期で、同じ年には大沢悠里さんがTBSに入社しました。野球中継に携わるようになったのは、入社2年目でした」
宮田が本格的に実況を始めた’65年から、巨人軍は栄光のV9街道をひた走ることになる。前年にプロ野球記録(当時)のシーズン55本塁打を記録した王貞治と、球界のスーパースター・長嶋茂雄との「ON砲」が全国のファンを魅了した。宮田の実況生活は、そんなプロ野球黄金時代の狂乱とともに始まった。
「しばらくは全国ネットの実況中継を任せてもらえませんでした。だからこそ、昭和44年10月10日の金田投手400勝達成を実況できたのは嬉しかった。僕はもともと国鉄ファンだったので、学生時代から金田投手が大好きだったんです。
だから夢中で実況したんだけど、いま聞くと金田投手の様子ばっかり話していて……。王さんも長嶋さんも守っていたのにね。実況としては不合格ですね(笑)」
引退後の金田は、唯一無二の存在感と歯に衣着せぬトークで超一流の解説者へと転身した。
「僕も関西出張でお食事に連れて行ってもらったことがあります。魚が自慢で、刺身を肝醤油(きもじょうゆ)で食べるような素敵な店でした。『どんどん食べなさい』とおっしゃって、やっぱり豪快な方だと感動したのを憶えています。緊張しきりで、味も会話の詳しい内容も思い出せませんが……。
金田さんの他にも、お世話になった解説者はたくさんいます。怖かったのは現役引退直後の関根潤三さんかな。僕が『関根さん、ここは点が欲しい場面ですね』なんて言うと、『点なんてね、いつだって千点でも万点でも欲しいんですよ』。
『マウンドの堀内(恒夫・78)は今日、スランプを脱するべく汗だくになって走っていました』と話すと、『野球の選手はね、誰でも走りますよ〜』。思わず『もうやめた!』って席を離れたくなりました(笑)」
現役時代と監督時代
金田の400勝を三塁から見届けたミスタープロ野球・長嶋茂雄にも、数えきれないほどの取材を行ったという。
「当時、ニッポン放送では中継の前に『ON日記』という番組をやっていたんです。王さんと長嶋さんを交互に特集する内容でした。思い出深いのは’73年7月1日の甲子園球場。その日、阪神の上田二朗投手が巨人相手に9回二死までノーヒットノーランに抑えていたのですが、最後に長嶋さんがレフト前ヒットを打って記録を阻止したんです。
翌日、巨人ナインが帰京する新幹線の中で、長嶋さんにインタビューをさせてもらいました。グリーン車に座っていた長嶋さんは、移動中にもかかわらず『ハ〜イ!』と快く応じてくださって、前日のヒットについて話してくれました」
一方で、いつでも快活だった現役時代の印象とは異なり、監督時代には苦しい心境を吐露することもあったという。
「とくに監督1年目は、球団史上初の最下位に沈んだ散々なシーズンでした。僕も全国をついて回ったけれど、最悪の旅路でしたね。負けたときの長嶋さんは、近寄りがたいオーラを発していました。
ある日、甲子園球場の三塁側ベンチに座った長嶋さんが、ライバルの阪神戦を前に取材に応じてくれました。『ここでのゲームは(阪神との)ケンカなんですよ。でもね、監督として巨人軍65人をまとめるのは大変なんです……』と答えてくれた長嶋さんの言葉には、変わらない闘志と、現役時代には発することのなかった弱音が同居していました」
世界のホームラン王は、長嶋とは対照的だった。
「王さんは、現役時代が怖かった。近寄りがたい存在で、話しかけるのに勇気が要りました。でも、監督になってからはベテラン記者だろうが若手だろうが、分け隔てなく取材に応じてくれましたよ。野球選手は、だいたい皆、監督になると顔つきも変わりますよね。
実は’77年8月31日、ハンク・アーロンがメジャーで残した世界記録(当時)の通算755本塁打に並んだ試合の実況も、僕が担当したんですよ。『755号に並んだ、並んだ!』って叫んだのを憶えています。大記録なんだから、もっと何か言えただろ! って、少し後悔しています(笑)」
『FRIDAY』2026年4月10日号より
