1969年日本シリーズで活躍した宮本幸信(C)共同通信社

写真拡大

【元阪急ブレーブス森本潔 異端児と勇者たちの残響】#15

【前回を読む】「八方破れや!」西本監督が意気込み日本Sを先勝するも、翌日の雨天中止が流れを変えた

 前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜掲載)

  ◇  ◇  ◇

 1969年の日本シリーズ、3年連続で巨人との対戦。阪急・西本幸雄監督は、このシリーズ、米田哲也投手を先発の柱から外した。シーズン終盤の登板過多で肘痛があったことに加え、過去2度のシリーズで巨人に通用しなかったからだ。米田・梶本隆夫・足立光宏・石井茂雄の4本柱のうち、かろうじて巨人に対抗できたのは足立だけだった。

 米田の代わりにシリーズの先発の柱となった宮本幸信が回想する。

「足立さんは反骨精神でのし上がって来た人だからね。巨人に対しても怯むことはなかった。ところが、米田さんや梶本さんは入団以来順調に勝ってきた人。特にベテランの人には巨人コンプレックスがあった。勝てるものじゃないという先入観があったんだよ。それにシリーズの大観衆。日頃観客がガラガラのスタンドでやってきた人たちだから、平常心のピッチングができない、という側面もあったかな」

 米田、梶本について森本が語る。

「ヨネさんもカジさんも、もう全盛期を過ぎていたからね。ヨネさんなんかフォークボールばかりだった」

 米田の決め球も、パ・リーグの打者とは違い、ボール球に決して手を出さない巨人打線には通用しなかった。

 第1戦は10月16日、西宮球場で阪急・石井茂、巨人・堀内恒夫の先発投手で始まったが、5−6で接戦を落としている。

 第2戦は阪急・宮本と巨人・金田正一の投げ合い。

「先発はかなり前から言われていた。あの年は調子良かったからね。スピードも一番あったんじゃないかな。王貞治さん、長嶋茂雄さんにもインハイの速球中心で攻めた」

 と宮本は語る。

「申し訳ないが、ミヤの活躍はそんなに覚えていない」と悪戯っぽく笑う森本だが、宮本は8回を2安打、高田繁のソロホームラン1点に抑える。リリーフの足立と交代し、延長10回裏、長池徳士のサヨナラヒットで1勝1敗のタイに持ち込んだ。

 後楽園球場に舞台を移して第3戦、足立、梶本が長嶋にホームランを打たれ試合を落とす。立教大学の大先輩・長嶋について森本が語る。

「憧れの人だったからね。シリーズでの打撃練習で、西宮球場のレフトスタンドにボコボコほうり込んでいたのを覚えているよ」

 そして問題の第4戦が始まった。巨人・高橋一三、阪急・宮本の投げ合い。この試合前、巨人側はフリーバッティングで宮田征典投手をマウンドの2メートル前から投げさせている。宮本の並外れた速球を攻略するためだ。しかし、打撃練習の効果もなく、スコアボードに0が刻まれていく。阪急は2回表に高橋一から長池徳士が先制ソロホームラン、3回表に阪本敏三の二塁打で1点追加。4回表、二番手の渡辺秀武から石井晶がホームランを打ち、3−0と点差は開いた。

 4回裏、日本シリーズ史上に残る大騒動が起きる。きっかけは先頭打者・土井正三のショート強襲のヒットだった。

(中村素至/ノンフィクションライター)