突然のリストラに追い詰められる家族。韓国映画『しあわせな選択』は人間の本性を暴く社会問題ホラーだった
1989年に漫画家デビュー、その後、膠原病と闘いながら、作家・歌手・画家としても活動しているさかもと未明さんは、子どもの頃から大の映画好き。古今東西のさまざまな作品について、愛をこめて語りつくします!今回は『しあわせな選択』(3月6日から公開中)です。(写真・イラスト:筆者)
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アジア映画のパワーたるや半端ない
この映画に『しあわせな選択』というタイトルをつけるって、「人が悪っ! 」観終わった私は、まだ冷めない余韻の中でつぶやいた。
こちらを監督したのはパク・チャヌク監督。現代の韓国には『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ、あるいは『魚と寝る女』のキム・ギドクといった注目すべき才能がいるが、パク・チャヌクは本作を監督したことで、彼らに並ぶ「鬼才」として、世界に躍り出た。
わたしは今まで「映画は、古典名作を観るだけで充分!」と、正直思っていた。実際一時期各国の映画界はパワーを失い、ハリウッドでさえ名作のリメイクに励んでいた。
でも今は違う!映画界が「斜陽産業」だったのも今は昔。映画は再び魅力的なメディアとして、公開されたとたんに「名作・古典の殿堂入り」を果たす作品を生み出している。その中でもアジア映画のパワーたるや半端なく、韓国映画はその頂点にいるのではないかと、本作を観て思ってしまった。こりゃ、どんどん新作を観ないとだわ。なぜなら、社会は加速度的に、産業革命以来の変化が絶賛進行中。人間のありかたや生き方を新しい視点で見直す映画が切望されているのが現代だからだ。
嫉妬するほど完璧な生活
本作は「幸せを絵に描いたような」家族団らんのシーンからはじまる。悔しいほどにイケメンのイ・ビョンホン(主人公のユ・マンス役)が、美しい妻ソン・イェジン(イ・ミリ役)、2人の子ども、2匹の大型犬と郊外の大きな家に住み、緑豊かな庭でバーべキューを楽しんでいる。子どもの一人は屋上のテラスでチェロの演奏(しかもうまい)。夫は妻にダンス・シューズを贈り、夫婦でダンス。
「全てを叶えた」と家族を抱きしめながらつぶやく主人公には、「ようございましたね」とジェラシーの炎を燃やしてしまうほどだ。そのくらい完璧な生活。それを手放したくないと思うのは人情。しかしその生活は、「突然のリストラ」で脆くも崩れていく。

ⓒ2025 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM ALL RIGHTS RESERVED
主人公が勤めているのは、今や斜陽産業と言える「製紙会社」。インターネットの発達、環境問題への配慮によって、ペーパーレス化が進み、伐採した木を材料に作られた紙は、「環境を破壊する」負の産物になろうとしている。よって会社は20%のリストラ(人切り)を断行。そのためのリスト作りを命じられて拒否した主人公は、自分も首になる。
普通ならば時代遅れの産業におさらばし、業種替えをして再就職するだろう。しかし製紙業界に25年を捧げ、木をこよなく愛するユ・マンスは、「何としても製紙業界で生き延びたい」と考える。同じく製紙会社からリストラされ、再就職を目指すほかの男たちも同じ。よって話がややこしくなっていく。
※以下、作品の核心に触れる内容を含みます。
人物の感情世界が激しく魅力的な韓国映画
『しあわせな選択』というタイトルで再就職を扱うなら、「価値観の転換によって、小さな職場や異業種での新しい人生に生きがいを見出していく」的な展開が普通。
しかしこの作品は違う。男たちはどこまでも「過去の経歴」と、「今所有しているもの」にしがみつき、リストラで精神の平衡を失った(と解釈するしかない)主人公は、自分と同じ会社へ再就職を目指す人物の履歴書を手に入れ、有利そうなライバル、ク・ボムモと、コ・シジョを殺すことを思いつく。

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「再就職のために殺人しますか!?」と思うのは私だけではないだろう。どこがしあわせな選択か?と。しかしその違和感を、映画の面白さが凌駕する。理解しがたいが気になる主人公の行動、次々現れる個性的な人物の面白すぎる言動に私たちは目を奪われ、気が付くとすっかりこの映画に没入して、「まあ、殺したくなる気持ちもわからないではない」と、納得させられてしまっている。これが卓抜な技術で作られた映画力と言うものなのか。
それにしても、しばしば韓国の映画においては、いとも簡単に人が殺されていく。また、人物の感情世界が激しく、魅力的。特に輝いているのは、解雇が原因でアルコールにおぼれているク・ボムモの妻イ・アラ役のヨム・ヘラン。
オーディションに落ち捲る女優の役だが、「今回落ちたのは、私の肌がモチモチすぎて、中年の未亡人にそぐわなかったからよ」などと叫び、美人じゃないのに自己愛の強さと、自己陶酔は半端ない。「潤滑油が必要なの」とセックスをあからさまに求め、夫が不能と知ると、若い男を自宅に引き込み、肉欲にふける。その欲望の深さは、痛快なほどだ。
また、最初は美人な良い妻に見えていたマンスの妻イ・ミリもいい意味で私たちを裏切ってくれる。父の家計のひっ迫から盗みに走った息子を懲役刑から救うため、被害者の店主に胸元が透ける服装で、「示談のお礼は私の体」と匂わせたり、なかなかやるのである。

イラスト提供:さかもとさん
これでもかとばかりに人間の本性を暴いていく
それぞれの人物が倫理観などそっちのけで自分の欲望に忠実に行動。悪い奴は悪い奴、ライバルはライバル。だから敵役が殺されたときは爽快感さえあり、そのあたりが、韓国ドラマや韓国映画の魅力なのだと思う。「悪い奴にも理由があったんだな」などとうじうじ考えないのは、日本映画やフランス映画の対極を行き、これでもかとばかりに人間の隠された本性、悪の部分を暴いていく。
おそらく韓国人にとって基本は「人間性悪説」なのではなかろうか。「自分と家族が生き延びるための殺人」に、迷いながらも突き進んでいく主人公。アメリカの親会社の決定で、人が人を食うような過当競争の椅子取りゲームに身を投じることを、苦しみながらも受け入れていく。

イラスト提供:さかもとさん
この作品の中で、唯一ぶれないのは、自閉症の娘リウォンだ。彼女は自分の芸術という、内的価値の世界にだけ生きるので、外で何が起ころうと関係ない。勿論家計の不安には反応し、愛犬たちを失って悲しむが、それで「折れて」しまうことはない。彼女の生き方はその後の展開の中で福音となる。
「殺人コメディー」という、ブラックユーモアたっぷりの、火曜サスペンス劇場的な展開と、映像は実にリアル。一方、どろどろの人間ドラマの合間に差し込まれる自然の映像、編集の素晴らしいこと! カメラはすでに映画賞で評価されているが、編集部門でも大いに評価されるべきだろう。
時間軸を壊して登場人物の内面をえぐり、観客を引き込む演出は見事。そして少しSM趣味の入った「殺人手法」も見どころの一つだ。
原作はアメリカの作家ドナルド・E・ ウェストレイクの『斧』。紙の原料である木を切り倒す斧は「首切り(Fire)」を連想させ、うってつけのタイトルであるが、テーマが見えすぎることを嫌い、また、舞台を原作のアメリカから韓国へ移すためにパク監督が自ら脚本を書き直した。『しあわせな選択』というタイトルは日本オリジナル。これはブラックユーモアたっぷりの、実に卓抜したタイトルだ。

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最後に私たちは、殺人にまで至った解雇の悲劇の重みと、「本当の犯人」を知る。その時私たちは、これは「コメディ調殺人サスペンス」の仮面をかぶった、「社会問題ホラー」なのだと気づかされる。
最後の5分のまとめ方は秀逸この上なく、この映画へのイメージを逆転させ、私たちに強いショックと余韻を残して映画は終わる。その時に流れるのは娘リウォン(本当は世界的なチェロ奏者ジャン=ギアン・ケラス)が奏でる美しいチェロ。きっとあなたはその響きに囚われ、余韻で身動きできないだろう…。
