唯一のFRのRS|わずか3台しかないポルシェ968ターボRSがオークションに登場!
968クラブスポーツが市場で成功を収めつつもモデル終盤を迎えていた当時、ポルシェのモータースポーツ部門には、困難な時代に販売可能な新たなアイデアの創出が求められた。1962年に入社したエンジニア、ゲルト・シュミットは、1991年から1993年にかけてが極めて厳しい時期であったこと、そして経営陣がモータースポーツ部門を含む全社員に新しい発想を求めたことを回想している。その要請の中で誕生したのが968ターボSと968ターボRSであり、モータースポーツ部門が市販モデル開発に関与するという、ポルシェとしても稀有な経緯を持つ。シュミットによれば、オプションコード「M005」を持つ968ターボRSは試作車を除き3台のみであり、しばしば語られる4台説は誤りだという。彼らが目指した顧客とは、ただ一つ、最速の新型ポルシェのみを求めるレーシングチームだった。
ロード仕様の968ターボSは、強化ニカジルブロック、オイルジェットを備えた3.0リッター8バルブエンジンを搭載し、最高出力305hp、最大トルク369lb-ftを発生する。さらに軽量化されたターボRSはブースト圧を高め、ADACカップ用リストリクター非装着時には最大360hpに達した。ファクトリーの資料には「妥協なきシャシー設定」に加え、追加ロールケージ、消火システム、43リッター安全燃料タンク、6点式安全ハーネスの装備が記され、車重は約1350kg。価格は22万8,000ドイツマルクに設定された。完成した性能は同時代のカレラRSR3.8を上回ると評され、同一コンペティション部門内に激しいライバル関係を生んだという。
3台の生産車それぞれの来歴もよく知られている。ガーズレッドの968クラブスポーツを基にした試作車はヨーストによってADAC GTカップへ投入され、フェラーリ・フライイエローに塗られてザイケル・モータースポーツの手でル・マンに参戦。その後アメリカへ渡り、ロイド・ホーキンスとレンシュポルト・レーシングによってIMSA競技に用いられた。グランプリホワイトの個体はニュルブルクリンクでのADAC GTカップ戦中に大破。スピードイエローの車両は南アフリカの顧客へ売却され、テックアートによって大幅な改造が施された。
そして最後に完成したのが、本記事で取り上げるブラックのシャシーNo.96062である。3台の中で唯一ブラックに仕上げられた最終生産車であり、オプションコード005「ターボRSモデル」に加え、ホイールロック、アラームシステム、ヘッドライトレベリング、ラゲッジルームのベロアカーペットといったストリート志向の装備も備える、最も充実した仕様の個体でもある。完成後はポルシェ自身によって保管され、1993年12月、40万人以上が来場したエッセン・モーターショーに展示された。現在まで残る特徴的なグラフィックとともに、「バブルス」の愛称が与えられたのもこの時である。
1994年2月1日、この車はノルウェー人ドライバー、エリック・ヘンリクセンの手に渡り、同年開幕したBPRインターナショナルGT耐久シリーズ参戦用として準備が進められた。英国ポルシェ選手権で多くの勝利やポールポジション、ラップレコードを記録していたヘンリクセンは、ポルシェ・カスタマースポーツ部門との関係も深く、英国のトラックイベントを通じてジャスティン・ベルとコンビを組むことになる。RSRエンジニアリングは、ADAC GTカップ用スプリント仕様だった車両を4時間耐久レース仕様へ転換するため、長距離燃料タンク、エアジャッキ、ケブラー製フロントフェンダー、ドア、ボンネット、空力改良部品などを追加。さらにポルシェ製センターロックハブを採用し、軽量BBSホイールにドライ用スリックタイヤを組み合わせた。テストは徹底して行われたという。
