歌を歌い始めたのは、父親の影響だという水樹奈々

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住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、人生を変えてくれた音楽の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

「物心ついたときから歌に囲まれて育ったのですが、聴くジャンルは演歌とアニソンのみと、かなり偏っていました。そんな私が中学生のときに小沢健二さんの存在を知り、J-POPにも興味が。それをきっかけにロックをはじめ、いろんなジャンルを聴くようになりました。私の音楽の世界が大きく広がったのは、小沢さんのおかげです」

こう語るのは、声優で歌手の水樹奈々さん(42)だ。歌を歌い始めたのは、父親の影響だという。

「父は昔、歌手を夢見ていたのですが、かなえることができず……。その夢を娘の私に託すように、『おなかの中にいたときから、いろんな音楽を聴かせてもらっていた』と母が言っていました」

自宅で流れる音楽は、昭和演歌。5歳のとき、自治会の会合で初めて人前で歌ったのは高峰三枝子の『南の花嫁さん』(’42年)という懐メロだった。

「母お手製の白いドレスを着て披露すると、おじいちゃん、おばあちゃんが『こんなちっちゃな子が歌ってくれるなんて』って、すごく喜んでくれたんです。それがうれしくて“もっと歌いたい”と思うように」

ちょうどそのころ、父親が自宅の一室を使ってカラオケ教室を始めた。

「新しいもの好きだから、当時は最先端だったレーザーディスクカラオケや“集音性が優れている”と自慢をしていたドイツ製のマイクを導入。夜な夜な、近所の大人たちが歌の練習をしている様子を見ているうちに、『私もやりたい!』とお願いして父のレッスンを受けるように」

中学生になるころには、数々のカラオケ大会やのど自慢大会に出場し、地元では有名な存在に。

「イベントなどで歌うと、おひねりがもらえることがあったので、それをお小遣いとして貯めて、漫画の単行本や、中古のゲームソフトを買っていました」

ゲームやアニメに熱中したことで、歌手だけでなく、声優という新たな夢も見つかった。

「じっくりと主人公を成長させるロールプレイングゲームが大好きで、『ドラゴンクエスト』シリーズや『ファイナルファンタジー』シリーズに夢中になりました」

熱中するあまり、親にゲーム機を隠されてしまったことも、’90年代あるあるだ。

「でも、子どもには独特の嗅覚があって、ひな人形がしまってある、1年に一度しか開けないような押入れにゲーム機が隠してあるのを見つけて、両親の留守中に遊んでいました。せっかく強い敵を倒したのに、両親が急に帰ってきてしまい、データを保存できないまま電源を抜いて慌てて隠したことも。アニメは『魔法の天使クリィミーマミ』(’83〜’84年・日本テレビ系)の時代から大好き。おもちゃのステッキを買ってもらって、こたつの上で主題歌を歌って踊ったり。『美少女戦士セーラームーン』(’92〜’97年・テレビ朝日系)は欠かさず見ていたし、『スラムダンク』(’93〜’96年・テレビ朝日系)の主題歌だった大黒摩季さんの『あなただけ見つめてる』(’93年)もよく歌っていました」

■寄り添ってくれたのはMDに録音した“オザケン”の楽曲

アニメだけでなくゲームからも、声優の仕事に興味を持つきっかけを与えられた。

「当時はキャラクターの声が入ったゲームは少なかったので“将来、声が入るようになったら、このキャラを演じてみたい”って思うようになったんです」

同級生は光GENJIやSMAPの話題で持ちきりだったが、水樹さんが興味を示したのは演歌とアニソンのみ。

「’90年代の初めは歌番組自体が少なく、私が見ていたのは『ふたりのビッグショー』(’93年〜’03年・NHK)と、年に1回の『紅白歌合戦』くらい。J-POPに触れる機会はほとんどありませんでした」

そんな水樹さんが小沢健二を知ったのは、’94年ごろ。

「たまたまテレビを見ていたら、シャンプーのCMで『ラブリー』(’94年)という曲が流れてきて“なんてオシャレで、面白い曲なんだ!”と(笑)。それまで演歌とアニソンばかり聴いていたので、世の中にはこんなジャンルもあるんだと、急いでレンタルCDショップに。それからは、一度聴いたら忘れないようなポップでキャッチーなメロディに魅かれ、『愛し愛されて生きるのさ』(’94年)、『戦場のボーイズ・ライフ』『痛快ウキウキ通り』(ともに’95年)など、過去の作品や新曲をチェック。彼女のことを『仔猫ちゃん』と呼ぶような、小沢さんの王子様的なキャラクターも面白くて。しかも東大出身ということで“さすが頭のいい人は違う!”って思ったりしていました(笑)」

’94年、「10周年記念全国歌謡選手権大会」に優勝したことをきっかけに、東京の芸能プロダクションと契約し、高校入学とともに上京した水樹さん。念願の歌手デビューへの第一歩を踏み出す。

「高校は芸能コースに通っていたのですが、クラスメートが華々しく芸能界で活躍する一方、私はなかなか芽が出ず……。学校は皆勤賞でした」

高1の夏、同じ事務所に所属していた日郄のり子さんの勧めで、声優のサマースクールに参加した。

「すごく楽しくて、声優も目指したいと思って専門学校へ。歌手と声優になるためにダブルスクール状態でした」

学校の行き帰り、寄り添ってくれたのはMDに録音したオザケンの楽曲だ。

「中学時代には気付くことができなかったけれど、大人になるにつれ小沢さんのすごさを痛感。ポップな曲調のなか“このままでいいのか”と若者に訴えかけるような、パンクなメッセージが差し込まれているんです。曲作りも、弦楽器と管楽器の使い方やコーラスワークなど、’60〜’70年代のソフトロックといわれる洋楽の要素や、ジャズやソウルのテイストもちりばめられていて、すごく計算されています。聴けば聴くほど、音楽が好きになっていきました。それに……」

と、魅力を上げたらキリがないよう。オザケンの曲は、その後、’00年に20歳で歌手デビューした水樹さんの、大きな糧になっているのだ。

【PROFILE】

水樹奈々

’80年、愛媛県生まれ。’97年にプレイステーション用ゲームの声優としてデビュー。多くのアニメ作品で活躍する一方、声優として初となるドームコンサート、『紅白歌合戦』出場を果たす。12月21日にブルーレイ&DVD『NANA MIZUKI LIVE HOME×RUNNER』を発売