毎晩19時半、僕の都内高級マンションに彼女が現れた。渡されるのは奇妙な”アレ”と…

第十五夜「インターホン越しの女」
ピンポーン。
インターホンが鳴って、僕はNetflixを中断し、時計を見て首を傾げた。
日曜の19時半。Uber Eatsも頼んでないし、Amazonも心当たりがない。
ソファから立って、ダイニングにあるモニターを見に行くと、女性が立っていた。
彼女の美緒じゃない。僕よりも年上に見える。黒いジャケットに、長い髪。なぜかこの寒さなのにコートは着ていない。手に何か…持っている。
どんな用件なのか分からず、多少警戒しながらも応答してみた。
「こんばんは、夜分に失礼いたします。スニーカーが下の部屋のベランダの手すりに引っかかっていました。もう片方がそちらの柵に干してあるのが見えたので」
「あ!僕のスニーカーです、大変失礼しました」
モニター越しに、彼女が手にしているものをよく見れば、紛れもなく僕のスニーカーだ。陽に当てたくて、20センチ幅の手すりに並べたまま忘れていた。
「すみません…それじゃ急いで伺います。そのまま1階にいらしていただけますか?」
僕は慌ててモニターを切ると、急いでキッチンカウンターを見回し、鍵と、ちょうど同僚に土産でもらったお菓子を掴んでエントランスを飛び出した。
階下の部屋の黒いスーツの奇妙な女がとった、予想外の行動とは?
リンゴジュース
このマンションは横に広く内廊下が広がり、広尾のブランドマンションらしくセキュリティが堅固だ。でも今日のように慌てているときは、幾重にも行く手を阻む扉が邪魔くさい。
あの女性がうちまでスニーカーを届けられず、いったんエントランスにわざわざ降りたのも、他のフロアやセクションの違う住戸を訪問するには鍵か、インターフォンで連絡して開けてもらうことが必要だからだろう。
急いで1階のエントランス近くにある共用ラウンジに飛び込むと、さきほどの女性がソファーに座っていた。
僕を見ると、立ち上がり深く一礼した。…なんだか独特な雰囲気がある。
「あの、5012の丸井です!スニーカー、落として申し訳ありませんでした、お怪我はありませんでしたか?」
僕が恐縮しながら頭をさげると、女性は僕の顔をじっと見てからゆらゆらと首を振る。
「いえ、真下の手すりにひっかかっていただけですから…」
小さな声でそう言うと、「じゃあ失礼します」と足早に立ち去ろうとした。
「ほんとにすみませんでした。あの、これ良かったら召し上がってください」
僕が慌てて土産を差し出すと、彼女は無表情でそれを受けとってから、また深く一礼すると踵を返してエレベーターホールに向かった。
僕は戻ってきたお気に入りのスニーカーを片手に、ほっと一息つく。ラウンジでコーヒーを淹れてから部屋に向かった。
◆
翌日月曜の、同じく19時半。
僕は会社から帰宅し、ラウンジ横を通ると、昨日の女性が同じジャケット姿でソファーに座っていた。
「あ…昨日はどうも、ありがとうございました」
僕が頭を下げると、彼女はパッと立ち上がり、やけに機敏な動きでこちらに歩みよってきた。
「可愛くて美味しいお菓子をいただいてすごく…嬉しかったです。これお礼です」

そう言って彼女が差し出したのは、ずっしりと重い瓶に、凝ったラベルとコルクがついた高級そうなリンゴジュースだった。
これを僕に渡すために、ここにいたのだろうか?いつから?
ぽかんとしている僕に瓶を押し付けると、彼女はラウンジのコーヒーメーカーの前に立ち、カップに二人分のコーヒーを淹れてひとつを僕に手渡した。
「あ、じゃあ、遠慮なく…ありがとうございます」
流れ的になんとなく、そのままラウンジに座って二人でコーヒーを口にする。そして少し話をした。
女性は可奈さんといって、真下の同じ間取りの住居に住んでいる。つまり90平米3LDKのファミリータイプ。僕のように独身で住むには少々広すぎる。
だから彼女は奥さんなのかと思ったが、独身で、お互い親のおかげでこの高級マンションに住んでいるということが判明した。
「先日勤めていた不動産会社を辞めてしまって。家賃のかからない、海外駐在中の両親のこのマンションに少しの間だけ居候しているんです」
可奈さんはいくぶん自嘲気味にそう話した。
「いいじゃないですか、困ったとき親に甘えられるならそれがベストですよ!僕なんてしがないサラリーマンですけど親が生前贈与がわりに買ってくれたおかげで、こんないいマンションに独りで住んでるんで、いばれたもんじゃありません」
すると可奈さんは、なぜか遠くを見てふふふと含み笑いをして、バッグからおもむろに封筒を取り出し、差し出した。
「丸井さんは私のこと、すごくよくわかってくれるって昨日直感があったんです。やっぱり思った通りの方。でもうまく話せないから、手紙にまとめてきました。読んでください」
そしてあっけにとられた僕を置き去りに、可奈さんはまたふふふと含み笑いをすると、去っていったのだ。
その封筒を訝しがりながらもあけた僕は、思わずわっと声を出した。
手紙に書かれていた内容に、丸井は動揺を隠せない。そして事態は最悪の方向へ。
嘘
「それで、その可奈さんとやらは、働いていた頃の不遇を便箋10枚にびっしり書いて寄越したの?ほとんど初対面の幸平に?」
ビデオ通話の向こうで、彼女の美緒が眉間にしわを寄せて大袈裟に身震いした。
「うん…今まで誰もわかってくれなかったけど、丸井さんなら、みたいなテンションでなんか思い込んじゃってるっていうか。しかもさ…それからしょっちゅう、くれるんだよ」
「何を?手紙!?」
「うん、2通目以降は読んでないけど…それと高級リンゴジュース。しかもさ…」
ピンポーン。
その時、タイミングを計ったかのように、インターホンが鳴った。僕は「みててよ?」と美緒に目配せすると、インターホンに応答した。
「こんばんは、丸井さん。お裾分けをお持ちしました」
「あの、もう充分いただきまして、まだ6本とも残っているので。僕は結構ですよ」
「遠慮なさらないでください。ここに置いておきます。5階のエレベーターホールです」
「いや、あの、可奈さん!本当にもう結構ですから…」
僕は思わず大きな声を出すが、可奈さんの姿はモニターから消えた。自動扉の前に、またジュースの瓶が残されている。
「…どうやってロックを破るのかわからないんだけど、たぶんすり抜けてきて、ちょっとずつ近づいてくるんだ…。今日はあのエレベーターホールまでだったけど、このままだと部屋の前まで来るのは時間の問題だったりして」
「ちょっとそれ、もうコンシェルジュに通報しなよ。迷惑だってはっきり言わないと」
美緒は、気味が悪そうに顔をしかめた。
このマンションは基本的に分譲だしずっと住んでいたいので、できれば波風は立てたくない。
しかし美緒の言う通りかもしれない。可奈さんが何を考えているかさっぱりわからないが、僕がなんだかんだ手紙とジュースを受け取るからいけないのだろう。
「そうだな、コンシェルジュにお願いしてみるか。今から行ってくるよ。またあとで電話するね」
仕事のことでメンタルが弱った人にそんな仕打ちは気が引けたが、どうしようもない。僕はコンシェルジュがいるエントランスに降りていくことにした。
「すみません、5015の丸井です。あの…ご相談なんですが、4015にお住まいの方なんですけれど、先日ベランダから落とし物をしたためにやりとりがありまして」
変な誤解を招かないように、最近偶然に接点があったということを強調してみる。
「はい…?」
キレイにお化粧をしたCAのようなコンシェルジュが、話がどこに着地するのか読めないのだろう、怪訝そうに聞き入る。
「あのですね、その時以来、そこのお嬢さんが物品と…手紙を届けてくれるようになりまして…でも正直に言いまして、ちょっと迷惑なので、コンシェルジュさんからもう僕に届け物は不要だと念を押していただけないでしょうか。実はセキュリティもすり抜けてくるのでそれもあまりいい気分じゃなくて」
一息に話し終える。するとコンシェルジュは怪訝な顔のままPCで何かを確認すると、首を傾げた。
「丸井様、4015は現在、どなたもお住まいではないので、お部屋違いかと思われますが」

「誰も住んでない…?」
僕はたぶん間抜けな顔をしていただろう。予想もしなかったコンシェルジュの言葉を繰り返した。
「はい。以前のオーナー様は退去なさっています。時折不動産仲介の方が出入りされることはありますが」
不動産…仲介業者。
可奈さんが持ってきたびっしりと書かれていた1通目の手紙には、「不動産会社」勤務時代の、理不尽で高慢な金持ちの顧客と、ブラックな社風に追い詰められていく様子が書かれていた。
「あの…その『業者』は、ひょっとして鍵を持っていて自由に出入りできるんでしょうか」
「そうですね、すでにオーナー様が他の場所に転居している場合、ご購入を検討される方の内見のために業者が持っている可能性は高いかと」
もしも可奈さんが、4015号室が両親の家と言ったのは真っ赤な嘘で。
本当は不動産会社の社員で、その時に持ちえた情報や鍵であの部屋にウソをついて出入りし、住人を装って僕につきまとっている…なんてことが、あり得るだろうか。
もしそうなら、いくらメンタル不調だからと言って、もはや異常だ。
「とにかく、その女の人にもらった手紙と、物品を持ってきます。管理会社と、その不動産会社に連絡していただいて、しかるべき対処をお願いします」
気味が悪かった。一体何が目的なのかさっぱりわからない。
混乱したまま、ジュースの瓶や手紙を取りに部屋に戻る。
身の上話をきいたのがいけなかったのか。孤独の中、理解者を見つけたと思ってしまった…?
だけどそれで、僕にどうしろというのだろう。いつの間にか緊張して、喉がカラカラだった。
部屋に入り、まっすぐキッチンに行くと、冷蔵庫をあけ冷やしているルイボスティを注いで飲む。
―甘い。
ぎょっとしてよくよくグラスを見ると…それはリンゴジュースだった。
「うわっ!?」
思わずシンクに中身を捨て、水道の水をがばがばと口に含む。
「なんだこれッ…いつの間に!?」
朝お茶を沸かして容器に入れたときは確かにルイボスティだった。それからマンション内のジムに行った以外は、家にいたのに…どうなってるんだ?
そのとき玄関で、がちゃん、と音がした。
―あれ、俺、鍵どうしたっけ…?
息を止めて、耳をすます。
ゆっくりと、ひたひたと。
誰かが、廊下を歩いて近づいてくる。
「丸井さん、リンゴジュース、飲んでくれましたか?遠慮されているようなので、詰め替えておきました。眠くなったら寝ていいんですよ。ずうっと寝ていても、いいんです。私を理解してくれるのはあなただけ。あなたにも、わたしだけ…」
妙に手足が強張ってきた。
混濁する意識の中、振り返る勇気は最後まで出なかった。
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