「麻雀最強位」タイトルを獲得したサイバーエージェント社長・藤田晋氏。(時事通信フォト=写真)

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「20年無敗だった」と語り継がれ、雀鬼(じゃんき)の異名を持つ麻雀界では伝説の存在。ツキというものを知り尽くしている桜井章一氏が、運とは何か、どうしたら流れを読み、ツキを呼び込めるのかを語った。

昨年、「麻雀最強戦2014」という大会でサイバーエージェントの藤田晋君が優勝した。藤田君は起業家になる前、私が主宰する雀鬼会(麻雀を通して人間力を鍛えることを目的とした組織)に通っていたことがある。いわば、かつての教え子だ。

プロも交じる大会で、どうして藤田君が優勝できたのか。それは彼が強いからでも、うまいからでもない。運がよかったからだ。

藤田君が強運の持ち主だったといいたいわけではない。あの日、会場に行った私は藤田君と肌が合う感覚がして、「彼が勝ったらおもしろいな」と思ったら、本当にそうなった。つまり、私と藤田君との関係が運を引き寄せた。

そもそも運というものは、誰かの中に眠っているものではない。環境や人間関係によって刻々と変化して、近づいたり離れたりする。あの日の藤田君は、変化する運にうまく近づいたから勝てたわけだ。

運は魚のようなものだ。海の中では、捕食関係にある大きな魚と小さな魚が一緒に泳ぐところをよく見かける。捕食関係といっても必要なときに必要な量を食べるだけで、それ以外のときに害はなく、互いに共存している。一方、人間が近づくと魚は一目散に逃げていく。獲って食べてやろうというつもりがなくても、つかまえようという気配がして、魚から嫌われるのだ。

運も同じだろう。自分のものにしようと近づいていくと嫌われて逃げられる。運に近づきたければ、つかまえるというより、触れさせていただくという気持ちでやわらかくアプローチする。それが肝要だ。

では、どうすればやわらかく触れられるのか。私は「感覚の動き」で運に触れる。感覚の動きは、運動の動きとは違う。運動は同じ動きを繰り返して体に覚えさせるが、感覚の動きはその都度違って、動きそのものを覚えても意味がない。自然と一体となった動きとでもいえばイメージしやすいだろうか。

■桟橋で危険を感じたらどうするか

運について、多くの人が勘違いしていることがもう一つある。普通の人は、思いがけない得をしたときに「自分は運がいい」と考える。しかし、勝ったり儲けたりしても、精神のしあわせにつながるとはかぎらない。私は人生の成功者と言われる人たちから相談を受けることがあるが、見た目の華やかさと違って、内実はぼろぼろであることも多い。彼らの悩みを聞いていると、勝ったことが不運だったのではないかとさえ思えてくる。

私にとって運は、勝利や利益をもたらしてくれるものではない。運とは、絶体絶命のピンチに陥ったときに何気なく助けてくれるもの。つまり負けから救ってくれるのが運である。

代打ちをやっていたころから、私は数々の修羅場を経験してきた。下手をすれば命がなかったという経験は一度や二度ではない。ピンチを潜り抜けてこられたのは、いつもギリギリのところで運に助けられたからだった。

話しても問題ない話をしよう。雀鬼会のメンバーと八丈島に遊びにいったときの話だ。

台風が近づいていて波が荒かったが、私は危ないものに魅かれてしまうので、みんなを連れて桟橋に行った。そのときふと違和感を感じて、私たちは桟橋の先端部に移動した。その瞬間、大きな波が立って桟橋や埠頭を洗い流した。たまたま桟橋の先だけ波にさらわれず、私たちは全員無事だった。桟橋で危険を感じたら、陸のほうに引き返すのが合理的な考え方だ。しかし、あの瞬間は、自然に体が先のほうに動いていた。あれは運が助けてくれたというほかない。

では、土壇場のところで運に助けられる人とそうでない人は、どこが違うのだろうか。考えられるのは、不安の強さだ。

不安の強い人は自分を守ろうとしていろいろなものを身につけ、自らを重くしてしまう。重い荷物を抱えている人に運は味方しない。80の荷物を抱えた人と、3つしか荷物を持っていない人なら、運は軽そうな3つの人のところに風を吹かせる。

人間だから、不安を完全になくすのは無理だろう。しかし、危ない状況を自ら楽しむ意識があれば、不安はうんと小さくなる。若いころの話だが、私は1対1の喧嘩より、3対1くらいで不利な喧嘩のほうがわくわくした。そういう性分なので、恐怖や不安といった感情に押しつぶされることはなかったし、だからこそ土壇場で運が助けてくれたのだと思う。

不安は、何かを守ろうとしたり損をしたくないという心理から生まれる。そうした現実的な損得にかかわることを1つ行ったら、損得の入らないことを2つ、3つ行うとよい。バランスが取れ、不安を押し込めることができるのだ。

■羽生名人の負けをなぜ予言できたか

もちろん不安が小さくても風が吹いてくれず、状況が悪化していくことはあるだろう。そういうときは勝負から下りる勇気も必要だ。下りるといっても、尻尾を巻いて逃げるように撤退するのは感心しない。気持ちを強く持って、堂々と気持ちよく敗ける。それが次につながっていく。

将棋の名人戦第一局で羽生善治名人の対局を見ていたら、相手の棋士が60手くらいで投了したことがあった。私は将棋に詳しいわけではないが、その姿を見て「相手の棋士は見切りがいい。羽生さん危ないぞ」と感じた。羽生さんとは仲がいいので会ったときにそのことを伝えたが、二局目、羽生さんは迷いが生じたような将棋で負けてしまった。そのとき勝った棋士は、引き際をわきまえていて、見苦しい引き方をしなかった。それが運を引き寄せたのだろう。

麻雀でいえば、ツイていないときは当たり牌を絞るのではなく、放銃(相手に振り込むこと)してしまったほうがいい。放銃したら点数が減って損だと思われるかもしれないが、そんなことはない。当たり牌を振り込んで相手にあがらせてあげることで、卓上は活性化する。活性化したほうがみんな気持ちよく打てるし、めぐりめぐって自分にもいい手がやってくる。そういうものだ。

おそらく仕事も同じだ。状況が厳しいときに自分1人だけ逃げると、職場全体が悪くなってかえって状況が悪化する。どこかで引くとしても、自分が引くことで職場が活気づくような引き方をしなくてはいけない。それができる人に、運は味方してくれるはずだ。

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桜井章一(さくらい・しょういち)
1943年、東京都生まれ。大学時代に麻雀を始め、裏プロとしてデビュー。引退するまで20年間無敗、「雀鬼」の異名を取る。引退後は「雀鬼流麻雀道場 牌の音」を開き、麻雀を通して人としての道を後進に指導する「雀鬼会」を始める。『運を支配する』『ツキの正体』など著書多数。

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(村上 敬=構成 的野弘路=撮影 時事通信フォト=写真)