変わらぬ美しさ(伊東ゆかりの公式HPより)

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 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第73回は「スパーク3人娘」の中尾ミエさんと伊東ゆかりさん。いまだバリバリの現役で活躍するお二人の活力の源は何でしょうか?

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「小指の想い出」

 60年以上も前の話になるから、若い人には「何時代の話?」といわれそうだが、その当時にブレークして、今も露出が多いのは驚異的というほかない。

 62年から63年に放送された「森永スパーク・ショー」(フジテレビ系)で、一世を風靡したスパーク3人娘。年長の園まりは、2年前に80歳で亡くなったが、中尾ミエ(80)と伊東ゆかり(79)は今も現役で活躍している。

変わらぬ美しさ(伊東ゆかりの公式HPより)

 中尾は2021年、伊東には22年にインタビューさせていただいた。

 筆者とそれほど大きく年が離れているわけではないのだが、伊東が歌った「あなたがかんだ 小指が痛い」(「小指の想い出」)の大人びたフレーズに、子供ながらにモヤっとエッチな匂いを、中尾の「可愛いベイビー ハイハイ」(「可愛いベイビー」)には戦後の活力、元気とパワーを感じつつ、子供時代を過ごしたような気がする。

 次の“3人娘”となると、「花の中三トリオ」の森昌子(67)、山口百恵(67)、桜田淳子(68)で、スパーク3人娘から10年あまり後に登場する。「中三トリオ」の出現で時代の空気が一変したかのように思われているが、その間はたった10年しかない。スパーク3人娘は相当、昔のように思われがちだが、時代はそれほど変わっていなかったし、しかも、今となっては中三トリオが活動を終え、スパーク3人娘は現役なのだから、つくづく芸能界は不思議な世界と痛感する。

 例えば、伊東を前にした時、時間とは何だったのかと我が目を疑った。圧倒的に若々しく、かつてテレビで見た、ショートカットの大人びた女性がほぼそのままの姿で目の前にいた。

 デビューしたころの伊東は、イタリアにルーツを持つコニー・フランシスの「ボーイ・ハント」が大好きで、日本語訳を何度も聴いて歌った。自分は「日本のコニー・フランシス」と思っていたそうだ。

 当時17歳。今も続くイタリアのサンレモ音楽祭で、伊東が振り袖を来て「恋する瞳」を歌い、日本人として初入賞したのが65年。それからはカンツォーネばかり歌い、ヒット曲がなく、3人娘の中では出遅れていたという。

 そこで事務所が用意したのが、大ヒットする「小指の想い出」だった。伊東は小指という言葉から、島倉千代子が歌った「小指と小指 からませて」で始まる歌「恋しているんだもん」のような、かわいらしい歌かと思った。実際に歌った「あなたがかんだ」では、イメージが違い過ぎる。伊東は気に食わなかった。「人生を変えた一曲」というテーマでこう語った。

〈私はふてくされちゃって。(2月に)レコードが発売されて「すっごくいい歌だね」と言われて、「セクシー」に拒否反応もあってしばらく歌いませんでした。ところが、北海道や九州の有線放送で火がついて、5、6月に全国でヒットし、マネジャーに「いつまでもわがままを言うんじゃない」と怒られ、いやいや歌った〉

 結局、くすぶる伊東の気持ちとは裏腹に、「小指の想い出」は150万枚の大ヒット曲になり、日本レコード大賞歌唱賞も受賞することができた。

〈歌唱賞はうれしかった。歌がヒットして、生活がガラリと変わっちゃいましたけど〉

 歌手としての成功という点では、伊東にガツンと言ってくれた、マネジャーの言葉が大正解だったことになる。昭和はこうした事務所のマネージメントが、タレント人生を左右した時代でもあった。

誓約書を書いてもらう中尾

 一方の中尾は現在、ドラマなどで元気な老婆役を一手に引き受けている。バラエティー番組では思いのままにコメントして、時にネットやSNSでも話題になる。

 でも、ズバズバものを言い、煙たがられるのもヘッチャラ。肝が据わった女性として貴重な存在になっている。

 毎朝欠かさないのは仰向けになって両手両足を上にあげ、ブラブラ揺らすゴキブリ運動、よく知られているのは、ご近所さんと一緒に毎日行う公園でのトレーニング。ダンスはジャズ&タップダンスにクラシックバレエ、スポーツは水泳、趣味は俳句、水彩画、習字と年を重ねてますますご活躍である。

 仕事にも貪欲。73歳だった19年には、グラビアにも挑戦した。この時はブロードウェイミュージカル「ピピン」のために体を鍛えていた。体を作るのに1年半かけ、グラビアはその流れだった。

 知られざる趣味は、意気投合した人に「誓約書」を書いてもらうこと。見知らぬ相手、初対面の相手にその場で「じゃあ、何年後かに(10年後とか)また会いましょう」と書いて約束を交わすのだという。

 当時、相手は5人。そのうちの一人はあるパーティーで顔を合わせた北の富士親方。中尾から声をかけて食事し、親方に「65歳の時にささやかながら盛大なパーティーを開いてもらう」と書いてもらった。

 北の富士親方とは連絡先も教え合わず、それでも誓約書だけは持ち歩き、ボロボロになっていた。ところが、65歳の時、舞台の巡業で北海道・旭川に行った時のこと。旭川は親方の故郷で、弟がちゃんこの店をやっていた。そのことを友人が教えてくれたので店に電話したという。

 すると、親方はゴルフのコンペで旭川に来ていた。中尾は「約束は覚えていますよね」と言うと、親方は「もちろん」と答えた。そしてその夜は中尾のスタッフ30人、コンペのメンバー20人、合計50人の大宴会になった。

常に行動する

 その行動力や恐るべし。誓約書を交わした相手で会えたのは親方のみ。中には六本木のアマンドで待ち合わせした人もいたが、会えず終い。

 それでも、もし会った時にヨボヨボになっているわけにはいかないし、逢う日まで元気でいるという目標があれば元気でいる――それが中尾の考え方だ。

 どこまでも前向き。中尾が大切にしている言葉が、著書著書『76歳。今日も良日』(アスコム)に記されている。森繁久彌から言われた「納得することをしろ、読め、歌え、聞け、起きている間に それが君の時間だ」というもの。

 中尾は「君の時間だ」が気に入っている。それが中尾流ポジティブの原点。常に行動することでしか物事は進まない。森繁はそれを教えてくれたのだろう。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部