オリックス・バファローズ
アンダーソン・エスピノーザ インタビュー(後編)

前編:パドレスのトッププロスペクトがなぜ日本へ?  2度の手術を乗り越えたオリックス・エスピノーザの逆転人生>>

 今季初登板の西武戦で来日初完封を飾った4月1日、ベルーナドームでヒーローインタビューを受けたオリックスの右腕、アンダーソン・エスピノーザはきれいな発音の日本語で喜びを表した。

「まいど、エスピーです。今日も応援おおきに、ありがとうございます。オリックスファン、最高やね。今年も頑張るで。みんなめっちゃ寒いね、気をつけて。おつかれさまでした〜」

 今では大の親日家として知られているエスピノーザだが、2024年にオリックスからオファーを受ける前は、日本でプレーすることはまったく考えていなかった。


オリックス入団3年目を迎えたアンダーソン・エスピノーザ photo by Sankei Visual

【異国の地で見つけた新たな学び】

「日本に来た当初は、カルチャーショックが大きかったよ。ベネズエラと日本の文化は大きく異なっている。言葉も違うし、すごく遠い国だ。それまで自分が慣れていた生活とは、まったく正反対の環境だった」

 東アジアに位置する日本は、アメリカや欧州、中南米から見ると、文化、言葉、生活習慣などさまざまな違いがある。野球をするために来日した外国人選手のなかには、異国での適応に苦しむケースも珍しくない。

 ではなぜ、遠いベネズエラからやって来たエスピノーザは、溶け込めたのか。本人は「周囲の助けに恵まれた」と言うが、異なる環境を受け入れる姿勢も大きかったのだろう。

「日本の野球は本当にすばらしいし、とても興味深いです。競争レベルも高く、自分を成長させてくれます。アメリカでは経験しなかったこともたくさんありました。日本のやり方に適応する時はカルチャーショックもありましたが、それも学びだと受け止め、日本の文化を吸収してきました。今は、それが少しずつ実現できているのかなと思います」

 アニメや漫画、日本食やJ−POPは世界で人気となり、大好きだという外国人選手は少なくない。だが、エスピノーザのように日本語を学び、文化に入り込もうとする選手はそうそういない。毎週月曜、火曜、木曜の夜9時から11時、「アヤさん」という先生にオンラインで学んでいるという。

「言葉を学ぶのはもともと好きなんだ。じつはイタリア語を勉強したかったけど、せっかく日本に来たから日本語を学ぼうと思った」

 スペイン語と日本語は発音こそ共通している部分があるものの、ひらがなやカタカナ、漢字といった見慣れない文字に加え、助詞の使い分けも大きな壁となる。エスピノーザも「正直、簡単ではない」と、その難しさを実感している。

「でも、楽しんで学んでいるよ。ファンのみんなとも、少しずつコミュニケーションがとれるようになってきた。インタビューの前日にはファンのみんなに伝えたいことを練習して、それを実際に話している。

 カメラが回っていないところでは、チームメイトにも日本語を教えてもらっている。恥ずかしがらずに話すようにしていると、みんながいろいろと教えてくれるんだ。そうやって教わった言葉を、オウムみたいにそのまま繰り返しながら覚えているよ(笑)」

 その成果は、ヒーローインタビューやファンとの交流でも表れている。

「だいぶ読めるようになってきた。基本的な漢字も少しずつ覚えている。でも、急いで習得しようとしているわけではない。少しずつ、自分のなかに自然に染み込んでいけばいい。そしていつか、もっと上手にみんなとコミュニケーションが取れるようになれたらうれしいね」

【息子の名前に込めた思い】

 オリックスで3シーズン目を迎える直前の今年2月、婚約者[牧野1]との間に第一子が生まれた。名前は「賢造(ケンゾウ)」。深い思いが込められている。

「ベネズエラでは、名前に意味を込める文化はあまりない。自分の名前はスペイン語で『アンデルソン』だけど、とくに意味はない。たとえば娘に『ダニエラ』という名前をつけるとしたら、夫婦で『響きがいいね』という感じで決めるんだ。でも日本では、それぞれの名前に意味がある。それがすごく面白いと思った。ベネズエラとはすごく違うし、創造的だなって」

 待望の長男が生まれるにあたり、まずは響きがカッコよく、ベネズエラ人にも自然に発音できる名前を考えた。難しい日本語の名前をつけると、故郷の家族や友人は呼びにくいからだ。日本語を学んでいるエスピノーザだからこその思慮だった。

 生まれてくる息子をどう迎え、家族として幸せになっていくか。そうして決めたのが、「ケンゾウ」という名前だった。

「漢字や意味も調べた。『賢(ケン)』は知性や知恵、『造(ゾウ)』は創造する、つくり出すという意味。その2つの文字を組み合わせて、赤ちゃんに名前を授けた」

 賢造が生まれ、エスピノーザは父になった。現在28歳。日本にやって来て、野球も私生活も充実している。

【家族とともに描く未来図】

 では、今後はどうするのか。かつてトッププロスペクトとして期待されたアメリカで、もう一度挑戦したいのか。あるいは、大好きな日本で野球を続けていきたいのか。

「正直、今はアメリカのことをそこまで考えていない。今、自分は日本にいるし、気持ちも日本にある。現在、自分が集中すべきことは、ここでしっかり結果を出すこと。しっかりやっていけば、日本でも、どこでも仕事はあるだろう。

 アメリカに戻りたいか? もちろんだよ。でも、それはネガティブに考えているからではないんだ。自分は日本ですごく適応できている。日本も、そして日本のファンも好きだ。できるだけ長く日本でプレーしたい。現役生活の最後まで日本で過ごしてもいいと思っている。でも別のオファーが来たら、ビジネスとして考えなければいけない。わかるだろ?」

 16歳でMLB球団と契約してから努力を重ね、日本で才能が花開いた。野球選手として全盛期に差し掛かっている。さらに経験を重ねれば、円熟味を増していくだろう。

 アメリカにいる頃には想像さえしなかった日本でプレーするようになり、文化や街、人々が大好きになった。大切なチームメイトがいる。新しい家族もできた。今、暮らす場所に幸せはある。それが2026年現在のエスピノーザの現在地であり、人生はこの先も続いていく。

「自分の家族も、これから成長していく。今は賢造がいるけど、次は男の子か女の子が増えるかもしれない。そうなると、家族の将来を考えなければいけない。子どもにとって、どこの学校で学ぶのがいいか。どこで育ち、成長していくか。家族にとってベストは何か。そのためにはどこで暮らすのがいいか。どの球団がよりよい条件を提示してくれるのか。どこに行けば、より幸せに暮らせるのか。いろんなことを、家族で考えて決めていかなければいけない。アメリカに戻りたい気持ちはあるよ。でも同時に、日本でキャリアをまっとうしたい気持ちもある」

 自分に正直に、周囲に感謝しながら、これからも人生を前向きに生きて学んでいきたい。エスピノーザが明かしたのは、率直な胸の内だった。


アンダーソン・エスピノーザ/1998年3月9日生まれ、ベネズエラ出身。2014年にレッドソックスと契約してプロ入り。将来を嘱望されるトッププロスペクトとして注目を集めたが、2度のトミー・ジョン手術を経験。パドレス、カブス傘下などでプレーしたのち、24年にオリックスへ入団した。長身から投げ下ろす力強いストレートと多彩な変化球を武器に先発ローテーションの一角として活躍。来日3年目の2026年にはパ・リーグを代表する先発投手へと成長し、安定した投球でチームを支えている。日本への愛着も強く、第一子に「賢造(けんぞう)」と名づけたことでも話題となった。