〈操られてる〉中傷にも屈しない!15歳『日本中学生新聞』記者が語る「大人たちの欺瞞と子ども差別」
出版社が動いた異例の事態
’26年5月15日、柏書房が一通の声明を自社サイトに掲げた。
《『こちら日本中学生新聞』著者・川中だいじ氏に対する誹謗中傷について》。
同社が3月に同書を刊行した。著者は、’23年に『日本中学生新聞』を創刊し、大阪・関西万博、IRカジノ、兵庫県知事選、森友学園問題などを取材してきた現役の記者--この春に中学を卒業し、高校生になったばかりの15歳だ。
声明は、SNSや動画配信で川中さんの人格や尊厳を傷つける投稿が続いていることを深刻に受け止めるとし、その類型を具体的に挙げた。家庭環境や親子関係を根拠なく断定するもの、〈操られている〉と決めつけるもの……。さらに「未成年者には十分な自己決定力がない」「未成年者の人権を大人と同じように考えることはできない」というものもある。
そのうえで、未成年であっても一人の人格と権利を持つ存在だという原則を確認し、こうした言説は川中さん個人の問題にとどまらず、子どもが自分の頭で社会を考え、声を上げる営みそのものを萎縮させかねないと結んだ。出版社が著者を守るためにここまで踏み込むのは異例で、声明には多くの支持が集まった。
この声明をきっかけに、改めて話を聞いた。前回取材したのは、彼が高校生になる前日の3月31日だった。あれから2ヵ月あまり。画面に現れた彼が話したのは、中傷そのものよりも、その奥にある問題--子どもへの差別と、いまの言論空間だった。
「子どもの権利条約に批准して32年経っても、子どもへの差別はなかなか注目されていません。女性差別は光が当たってきましたが、子ども差別についてはそうではないんですよね」(川中さん・以下同)
そう切り出した彼が問題の中心に据えるのは、「子どもらしさ」の押し付けだ。
「多くの大人が、無意識のうちに子どもを枠にはめようとしている。大人にとって都合のいい子ども像を作っているなと感じます。これはSNSだけの問題ではなく、日本社会全体の問題だと捉えています」
政治について投稿すると、〈操られている〉〈洗脳されている〉というコメントがつく。なかには〈中国共産党の手先〉だと決めつける者もいるという。ずいぶん想像力豊かなことだが、彼は意に介さず、こう反論する。
「子どもは野球やサッカーに夢中になるのが当たり前だと思われている。でも僕は、たまたま政治にはまっただけなんです。野球にはまる子、サッカーにはまる子がいるのと同じこと。それを『大概の子どもはこうだろう』と枠にはめてくる。大人だって、思い込みや理想で縛られたら嫌でしょう」
子どもが自分の意思で動いているとは考えない--その不信こそが、彼の言う「枠」の正体だ。枠は、家庭のなかにもある。
「親が子どもを、無理やり部活に入れることがあるんです。『水泳部か陸上部か、どっちか入りなさい』と。本人が望んで入ったわけではないから苦労するし、やる気が出ないから顧問にも怒られる。辞めるにも、親の許可がいる」
将来のためという親心が、いつしか「あなたはこうしなさい」に変わる。
「これも、『親心』の押し付けで、子どもの主体性が大切にされていないと感じます」
体罰のように目に見える差別は減っても、中身は形を変えて残っている、と彼は言う。
「子ども差別は、むしろ昔より広がったとさえ思います」
大人の「心配」は責任逃れ
同じ不信は、攻撃ではなく「心配」の顔をしてやってくることもある。
「最終的に責任を負うのは自分自身なのに、心配しているという体裁を取ってくるのは、ある意味、欺瞞だなと思います」
彼が挙げたのは、兵庫県の斎藤知事の記者会見を巡る経験だ。
「定例会見に出席したいと申請したときも、『誹謗中傷があるかもしれないから』と言われ、何かあっても責任は負います、という承諾書を兵庫県政記者クラブに書かされました。それは主催者側が責任逃れをするためのものなのに、あたかも心配しているように言ってくるんです」
心から案じてくれる人との違いは、はっきりしているという。
「本当に心配してくれる方は、『最近こういう事件もあるから気をつけてね』と実体験として話してくれる。でも押し付けてくる人は、『こういうことがあるから、こんな活動はしちゃダメだ』と言ってくる。自由を奪うかどうかの違いです」
悪意のある中傷だけでなく、善意のかたちをとった介入もまた、子どもの自由を狭めていく。
差別反対と叫び排除する矛盾
彼の関心は、子どもへの差別だけにとどまらない。
「考え方が違う相手を受け入れない、違うからあいつはダメなんだ、という傾向が最近とても強い気がします。同じイデオロギーだから正しい、というのは本当に危険なことだと思っています」
彼はこう続ける。
「『差別反対』と言いながら、いつの間にか自分たちも排除する側と似た態度をとってしまっている」
誰かを糾弾する側に立つと、自分が同じことをしているとは気づきにくい。違う意見を切り捨てて回るSNS時代の言論空間で、15歳のこの指摘は核心を突く。
違いを受け入れる手がかりとして、直接民主制の導入の必要性を挙げる。
「考え方の違いを認め、尊重する。たとえ思い通りの結果でなくても、それを真摯に受け止めて学ぶ。それがいまの日本に必要だと思っています。自分の案はいいけれど、考え方の違う人の案を受け入れないのはただの傲慢だと思います」
彼は教育現場から直接民主制を導入する「がっこう民主化構想」を提案している。校則改正において生徒が発議権を持つことで、コミットしやすくし、主権者としての成功体験を持つことができるというものだ。この国版が「国民発議・国民投票」の制度だという。
「いま、全国でペンライトデモが行われていますが、直接民主制の制度が整えば、その声を政治に届ける新たな手段を持つことができます。国民がより主体性を持って国のルール作りに関わることができるんです。国民発議制度は、一定数の法定署名を集め国会に提出することで国民投票にかけられます」
「国民発議・国民投票」の世界の例を見ると、イタリアでは、いったん認められた離婚を再び禁止するかどうかが国民投票にかけられ、約6割の反対で否決され、離婚は維持された。台湾では、同性カップルの権利を民法に書き込む案は退けられ、反対派案の特別法という形で保障が実現した。
「一つひとつの争点に、人々が自分ごととして考え向き合った結果です」
「市民はバカじゃない」
引き合いに出すのは、足もとの大阪も同じだ。
「国民発議制度の導入に関して市民が集まり議論をすると『勉強していない人に決めさせたら危ない』という声が必ずと言っていいほど出ます。こういう思考こそ民主主義を劣化させています。
実際に大阪都構想の住民投票では、橋下さん人気のときも、吉村さん人気のときも、市民が学び考えた末に二度否決された。市民はバカじゃない。ひとつの政策を突きつけられれば、当事者としてきちんと考えるんです」
そして、子どもへの差別と言論空間の硬直は、根のところでつながっている。市民による市民への不信は、〈子どもにはわからない〉という見下しと、よく似ている。過保護で、人を信用せず、他責的で、自分はあくまで傍観者であろうとする--その姿勢が、子どもにも主権者にも同じように向けられている。そう問いかけると、彼は深くうなずいた。
「本当におっしゃる通りですね」
この国の子ども差別を裏づける事実もある。日本は1994年の条約批准後、国連の子どもの権利委員会から繰り返し勧告を受けてきた。「過度に競争的な教育制度」が子どもの心身に否定的な影響を与えていること、子どもが自分に関わる事柄について意見を表明する権利が尊重されていないこと--いずれも条約の根幹に関わる指摘だ。
「日本が国連から勧告を受けていることを知らない大人が、本当に多いと思います」
と彼は言う。変化の芽も、彼のもとに届いている。本や活動をきっかけに子どもの権利条約を知った同世代から、相談が寄せられるようになった。顧問の教師から理不尽な扱いを受けたという友人には、条約を根拠に「おかしいと言っていい、泣き寝入りしてはいけない」と伝えた。
「それも、子どもの発言する権利のひとつですから」
中傷する大人へ15歳の逆襲
では、彼自身はなぜ萎縮せずにいられるのか。心が折れそうになったり、休みたくなったりは「ないですね」と即答する。その芯を支えているのは、家族だ。
刊行を記念して3月29日、大阪・十三のミニシアター、第七藝術劇場(ナナゲイ)で開かれたトークイベント『ナナゲイスピリト』には、母親も登壇した。聞き手はジャーナリストの今井一さん。アーカイブ配信が続くこの回で、母親は息子の「覚悟」を語っている。
「家族で話し合いができ、信頼して任せてくれたからこそ、いまの活動ができています」
子どもの政治参加には「親に言わされている」という疑いがつきまとうが、彼が描くのはその逆--一人の主体として扱われ、信頼された子どもの姿だ。
むしろ傷ついているのは自分ではない、と彼は言う。
「僕は人よりメンタルが強いほうで、自分が傷つくことはあまりない。両親のほうが傷ついているんじゃないかと思います」
中傷は、本人より周囲を深く傷つけることもある。
それでも、彼は引かない。
「なぜ誹謗中傷された側が自粛しなければいけないのか。それでは相手の思い通りになってしまう。僕はただ好きなことをやっているだけなので、これからも発信を続けます。むしろ中傷している人たちのほうが、その言葉が自分に返ってくるんじゃないかと、逆に心配になります」
冒頭の柏書房の声明を、彼はこう受け止めている。
「子どもの自由な意思を大切にしてください、という願いも込められたものだと思っています。好きなことをしていい、社会が守ってくれる--その勇気が、あらゆる子どもたちに届いてくれたらいい」
被害者として守られることよりも、子どもが自由に考え、語る余地そのものを守ること。批准から32年を経てなお根づかない条約の理念を、15歳の記者は自分の経験を通して照らし出す。
「子どもも、権利を持っていることを知らないといけない」
勉強に追われるだけでなく、「好き」や「なぜ」を追える環境を--その願いは、彼自身のためだけのものではない。
▼川中だいじ ’10年、大阪市生まれ。『日本中学生新聞』記者。小学3年生のときに政治に関心を持ち、’23年に『日本中学生新聞』を創刊。「誰にも遠慮せずに書きたいことを書く」をモットーに、選挙をはじめ大阪・関西万博、IRカジノ、森友学園問題などを取材し、SNSやYouTubeで発信。雑誌やウェブメディアへの寄稿も多数。テレビ大阪の公式YouTubeチャンネル「大阪NEWS【テレビ大阪ニュース】」内の番組『中学生記者・だいじの対談クラブ』ではインタビュアーを担当。3月には著書『こちら日本中学生新聞』(柏書房)を出版。
取材・文:田幸和歌子
