■開業直前、“おいしくないラーメン”に妻が愕然

東京・西武柳沢に「たなか青空笑店」という人気店がある。

「食べログ」では3.68点の高評価で、西東京のラーメンでは堂々の3位という名店。しかし、この店は少し不思議なラーメン屋だ。店に入る前に靴を脱ぐ。店内の暖簾にはなぜか「ゆ」の文字。煮干しラーメンのお店なのに卓上にはタバスコ。限定ラーメンの札は段ボール製で、券売機の上に無造作に積み上がっている。

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西武新宿線の西武柳沢駅から徒歩3分ほどの距離にある。 - 筆者撮影
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店に入る前に靴を脱ぐ“珍しい”ラーメン店。 - 筆者撮影

初めて訪れた人は、きっとこう思うだろう。

「なんだこの店は?」

だが、その「違和感」こそが店主・田中宏樹さんの狙いだった。

「“変だね”って言われるの、好きなんです」

そう笑う田中さんの隣には、妻・奈実さんがいる。二人三脚で店を切り盛りする現在の穏やかな空気からは想像しにくいが、ここに至るまでには何度も修羅場があった。

特に、開業直前。

ようやく夢だったラーメン店を開くはずの夫が作ったラーメンを食べた奈実さんは、愕然とした。

「……これ、本当に出すの?」

しかも、それはオープン直前だった。

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(左)妻の奈実さんと(右)店主の田中宏樹さん - 筆者撮影

■「厨房がステージみたい」とラーメン店にほれた夫

田中さんは千葉県佐倉市出身。高校卒業後は成田空港で、飛行機の清掃の仕事をしていた。

だが、次第に「この仕事は他の人でもできる」と感じるようになった。自分にしかできない何かを身に付けたい。そんな思いが膨らんでいった。

その頃から、東京のラーメン店を食べ歩くようになった。

もともとラーメンは好きだった。ただ、当時はマニアというほどではない。友人と空いている時間に食べに行く程度だった。転機になったのは、東京・上野の「麺屋武蔵 武骨」だった。

「厨房がステージみたいに見えたんです。働いているスタッフがめちゃくちゃカッコよくて」

ラーメンの味だけではない。照明、空気感、立ち振る舞い。そのすべてが輝いて見えた。

「自分もここで働きたい」

店を出たその足で、面接の電話をかけた。

2004年頃、21歳で飛び込んだラーメン業界。最初は「麺屋武蔵 新宿本店」に配属され、その後「武骨外伝」などで2年半の経験を積んだ。その中で、ふつふつと独立への想いが湧いてくるようになった。

撮影=プレジデントオンライン編集部
店主の田中宏樹さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■独立に反対した妻“夫の夢より、子供たちの生活”

次に選んだのは、意外にもラーメン店ではなかった。阿佐ヶ谷のミートパスタ専門店「ミート屋」。カウンターのみの小さな店で、どんぶりスタイルのパスタを出す個人店だった。

「ラーメン屋っぽかったんですよね。作り手とお客さんの距離感とか、自分がやりたい形に近かった」

ここでは9年働いた。個人店のお店の運営や店つくりなどを学び、充実した日々だった。

だが、この頃は苦しかった。パスタ屋で働きながら、ラーメンへの思いは次第に大きくなっていく。忙しさのあまり、家庭に割く時間は少なく、妻と自分の心の距離がいちばん遠い時期でもあった。体力的にも精神的にも追い込まれていた。

その姿を、奈実さんはずっと見てきた。

二人が出会ったのは、「麺屋武蔵 新宿本店」時代。交際からわずか数カ月で妊娠が分かり、そのまま結婚した。

仕事で火傷をして帰ってくる夫の手当てをした。疲弊して「無」になっていく姿も見た。

だからこそ、奈実さんは独立に反対し続けた。

「私は、守らなきゃいけない生活があったので」

夫の夢より、まず子供たちの生活。それが現実だった。

撮影=プレジデントオンライン編集部
“夫の夢より、子供たちの生活” 反対し続けた妻の奈実さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■夫「店をやらせてくれないなら、離婚しようかとも」

実は田中さんは、結婚前から奈実さんに言っていた。

「俺はラーメン屋を開きたい」

奈実さんの実家へ結婚の挨拶に行く前、新宿駅のうどん屋でそう伝えたという。

だが、奈実さんはまったく覚えていない。

「それどころじゃなかったんですよ(笑)。親に何を言われるんだろうって、それで頭がいっぱいで」

田中さんからすれば「大事な話をした」のに、奈実さんにとっては記憶にも残っていなかった。

その後も、夫が「店を出したい」と言うたびに反対した。しかも、パスタ屋時代に自宅で試作していたラーメンが、ことごとくおいしくなかった。

「“俺、ラーメン屋やりたい”って言うのに、出てくるラーメンが全然おいしくないんですよ(笑)。“ふざけんな、うまいもん作ってから言ってくれ”って」

当然、夫婦喧嘩になる。田中さん自身も追い詰められていた。

「店をやらせてくれないなら離婚しようかな、って思ったこともありました」

夢を諦めたくない夫と、家族を守りたい妻。何度もぶつかった。

■子供たち「パパ、夢を実現するんだね。カッコいいね」

そんな空気が変わったのは、今から10年ほど前、「カッパ64」で働き始めてからだった。

福生にある人気店「カッパ64」は、限定ラーメンの発想力で知られる店だ。アナゴの天ぷらを一本乗せたつけ麺など、一見奇想天外な限定商品が次々に生まれる。田中さんは、そこで自由に限定麺を作らせてもらった。

「毎日すごくキラキラして帰ってきたんです」

奈実さんはそう振り返る。パスタ屋時代とは明らかに違った。失敗しても前向きで、生き生きしていた。

そして決定打になったのは、独立を決めた時の子供たちの言葉だった。当時、中学2年生と小学5年生。

「パパ、夢を実現するんだね。カッコいいね」

その一言で、奈実さんの気持ちが変わった。時代はコロナ禍で、家族の在り方を考えさせられる時間が増えた頃だった。「やりたいことは挑戦させたほうがいい」。生活を守るために反対してきたが、子供たちは父親の挑戦を誇りに思っていた。

「夢を叶える背中を見せるって、すごくいいことなんじゃないかって思えたんです」

ようやく、夫婦が同じ方向を向いた瞬間だった。

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(左)店主の宏樹さんと(右)妻の奈実さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■開業直前に完成せず…妻「何やってんだよ!」

開業前の最大の修羅場は、オープン直前に訪れた。

当初、田中さんは醤油ラーメンで勝負するつもりだった。しかし、その内容は奈実さんにも秘密。「当日のサプライズだから」と言い続け、どんなラーメンを出すのか最後まで明かさなかった。

ところが、オープン前日だったか、あるいは2日前だったか――。取材当日も夫婦で「いつだったっけ?」と笑い合うほど記憶が曖昧になるくらい、当時は極限状態だった。

完成したという一杯を食べた奈実さんは絶句した。

「これ、本当に出すの?」

正直、おいしくなかった。オレンジ色の特注どんぶりまで完成している。店のオープン日も告知済み。それなのに、肝心のラーメンが仕上がっていない。奈実さんは焦った。

「大丈夫なの? 貼り紙変えるよ? まだ延期できるよ?」

それでも田中さんの返事は一貫していた。

「俺はできる」

その言葉を聞きながら、奈実さんは心の中で「いや、何やってんだよ!」と何度もツッコミを入れていたという。

■夜通し試作、完成したのはオープン当日朝

店内の空気は笑い話では済まないほど険悪だった。オープン準備に追われる中で夫婦は大喧嘩。雰囲気は最悪。まさに修羅場だった。

しかも、サプライズで手伝いに来てくれた「カッパ64」の仲間たちに囲まれ、奈実さんは居場所をなくして帰宅してしまう。

「一緒に店をやるって言ったのに、何なんだろうって」

家で子供たちに愚痴をこぼした。

それでも田中さんは諦めなかった。深夜まで試作を繰り返し、たどり着いたのが現在の看板メニュー「タナニボ」だった。「カッパ64」時代に作った限定麺を思い出し、グレーがかった煮干しスープを、オレンジ色のどんぶりに注ぐ。

「……あ、これいける」

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「特製タナニボ」をカウンターに出す宏樹さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

オープン当日の朝、ようやく完成した一杯を食べた奈実さんは「おいしい!」と声を上げたという。

夫婦最大の危機は、こうしてギリギリのところで乗り越えられた。ギリギリだった。本当に、ギリギリだった。

■“変だね”って言われるのが好き

2021年、コロナ禍の中で「たなか青空笑店」はオープンした。「カッパ64」時代の常連客が駆けつけ、初日から大反響だった。

「タナニボ」は濃厚な煮干だが塩味が高すぎず、とても食べやすい。煮干を炊いて、最後はミキサーにかけて濾して作るその一杯は、ラーメンの塩味が苦手な奈実さんにも大好評の一杯だ。開店から5年、地元の常連客に支えられている。

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看板メニュー「特製タナニボ 1200円」。濃厚な煮干だが塩味が高すぎず、とても食べやすい。 - 筆者撮影

「靴を脱ぐラーメン店」という珍しいスタイルも話題になった。実は当初、土足禁止にするつもりはなかったという。だが、「カッパ64」の島田社長に「絶対、靴を脱ぐ店がいい」と勧められた。結果的に、それが店の大きな個性になった。

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店内は掘りごたつタイプのカウンターがある - 撮影=プレジデントオンライン編集部

「変なポイントをいっぱい作りたいんです」

田中さんは言う。暖簾の「ゆ」もそう。タバスコもそう。煮干しラーメンにタバスコを置く店など、普通はない。でも、「普通じゃない」がいい。ここにはパスタ店で9年間もがき続けた田中さんならではの感覚が活きているのだ。

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暖簾の「ゆ」、この先はトイレ - 筆者撮影
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卓上に置いてあったタバスコ - 筆者撮影

「“田中さんって変だね”って言われるのが好きなんです」

その「変さ」は、奇をてらっているわけではない。人と同じじゃつまらない。自分の店なんだから、自分にしかできないものを作りたい。

ラーメンライターとして全国各地を回っているが、「靴を脱ぐ」ラーメン店というのはほとんど見たことがない。席の回転率や手間を考えれば、靴を脱がせるのはご法度と考えられるからだ。

だが、田中さんは“恩師”島田社長の言葉に直感で乗った。

「お客さんに面白がってもらいたい」「自分たちらしい特別な空間にしたい」という純粋なこだわりを貫いたからである。

■「変なラーメン店」がたどり着いた夫婦の形

同業者が「絶対にやらない」ような「普通じゃない」ことにあえて時間と情熱を注ぎ込む。成田空港時代、「他の人でもできる仕事」が嫌だった青年は、ようやく自分にしかできない店を作ったのだ。

今、夫婦の関係は大きく変わった。以前はすれ違いばかりだった。今は、一緒に働き、一緒に悩み、一緒に笑う。

「共有する時間が増えました。今まで少なすぎたんだなって」

奈実さんはそう話す。

子供の試合を見に行けるようになった。「幸せだな」と口にする回数も増えた。

田中さんも、「苦労はないかもしれない」と言う。もちろん、限定ラーメンのネタに悩むことはある。思い描いた味にならず、頭を抱える日もある。

それでも、夢の途中にいる。だから苦しくない。

かつて「独立させてくれないなら離婚しようかと思った」とまで追い詰められていた夫婦は今、同じカウンターの内側に立っている。

靴を脱ぎ、リラックスしてラーメンをすする客席を見ながら。そこには、「変なラーメン屋」だからこそ辿り着けた、夫婦の形があった。

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(左)妻の奈実さんと(右)店主の宏樹さん - 筆者撮影

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井手隊長(いでたいちょう)
ラーメンライター、ミュージシャン
全国47都道府県のラーメンを食べ歩くラーメンライター、株式会社フライヤー執行役員、flier公式チャンネル総合プロデューサー。「東洋経済オンライン」「プレジデントオンライン」「AERA DIGITAL」等の連載のほか、メディア出演、ラーメンの商品監修など多方面で活躍中。ラーメンの「1000円の壁」問題や「町中華の衰退事情」「個人店の事業承継」など、ラーメン業界をめぐる現状を精力的に取材。テレビ・ネット番組への出演は「羽鳥慎一モーニングショー」「ABEMA的ニュースショー」「熱狂マニアさん!」「5時に夢中!」「サクサクヒムヒム ☆推しの降る夜」など多数。東洋経済オンラインアワード2024にて「ソーシャルインパクト賞」を受賞。著書に『できる人だけが知っている「ここだけの話」を聞く技術』(秀和システム)、『ラーメン一杯いくらが正解なのか』(ハヤカワ新書)、『天下一品 無限の熱狂が生まれる仕掛け』(日本実業出版社)がある。
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(ラーメンライター、ミュージシャン 井手隊長)