嵐『Love so sweet』

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 今月5月末で活動終了となる嵐。これを前に、その軌跡を3つの時代に分けて振り返りたい。中編は、ブレイクのきっかけをつかんだ2007年から2010年代までの足跡をたどる。

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■初のドームツアー

 勢いを得た嵐は、2007年4月に初のドームツアーを開催する。『ARASHI AROUND ASIA+ in DOME』と題された同ツアーは、前年の台湾、韓国、そしてその後の日本での凱旋アリーナ公演を経て、京セラドーム大阪、東京ドームで全4公演を行うものだった。

 嵐のステージでは、松本潤が考案したとされるムービングステージ(観客席上を動く透明なステージのこと、2005年のコンサートが最初)など斬新な演出が導入されていることで有名だ。それに加え、ドームでは気球のようなセットに乗って上空を移動するなど、ファンを楽しませる仕掛けはさらにスケールアップした。

 その少し前にKAT-TUNのCDデビュー前でのドーム公演があったのに対し、デビュー約7年半にして初のドーム公演となったところには、嵐の苦労人的な部分が垣間見える。しかし、翌2008年には早くも全10公演におよぶ五大ドームツアーを実現するなど、動員力もぐんとアップした。前編でも触れた『花より男子』シリーズ(TBS系)と「Love so sweet」のもたらした効果も少なくなかっただろう。

■“メンバー主演ドラマ×主題歌”という方程式

 同じ“メンバー主演ドラマ×主題歌”というパターンも確立された。

 「We can make it!」(2007年)は松本主演『バンビ~ノ!』(日本テレビ系)、「Happiness」(2007年)は二宮和也と櫻井翔が主演した『山田太郎ものがたり』(TBS系)、「truth」(2008年)は大野智主演の『魔王』(TBS系)、「マイガール」(2009年)は相葉雅紀の連続ドラマ初主演作『マイガール』(テレビ朝日系)と、ほとんど途切れることなくメンバー主演作のドラマ主題歌を嵐が担当した。

 ほかのアイドルグループにも同様のパターンはあるが、メンバー全員がドラマの主演級になったことで、より頻度は増した。その効果もあってか、この頃からシングル曲の累計売り上げが60万枚を超えることも珍しくなくなった。

 その意味で2000年代の後半は、嵐というグループが単体で特別な存在感を獲得した時期と言えるだろう。

■ゴールデンプライム帯の冠バラエティ番組が人気に

 そのことを証明するひとつが、冠バラエティ番組の人気である。SMAP以来、TOKIO、V6、KinKi Kids(現DOMOTO)など、ゴールデンプライム帯における冠バラエティ番組の成功が男性アイドルグループにとってブレイクの条件になっていた。嵐もデビュー時からさまざまな冠番組を持ったが、転機となったのはやはり2000年代後半だった。

 2008年にスタートしたのが、当初は『ひみつのアラシちゃん!』というタイトルで始まった『ひみつの嵐ちゃん!』(TBS系)である。女性ゲストを迎えてのトークコーナー「VIP ROOM」、5人がコーディネートのセンスを自らモデルになって競う「マネキンファイブ」などのコーナーが人気だった。

 ほぼ同時に始まったのが、『VS嵐』(フジテレビ系)である。当初は土曜昼の放送だったが、2009年10月から木曜19時台の放送になった。

 こちらはゲームがメインのバラエティ番組。スタジオにゲーム用のカラフルなセットが組まれ、ゲストチームと嵐チームの対抗戦となる。並べられた66本のピンを倒す「バンクボウリング」、ベルトコンベアで流れてくる大きな的をサッカーの要領で倒す「キッキングスナイパー」など、シンプルだが誰でも見て楽しめるゲームで構成されていた。

 そして、『嵐にしやがれ』(日本テレビ系)は2010年4月から。土曜22時台(のちに21時台に昇格)の放送だった。

 見どころは、メンバー各自の趣味、特技やキャラクターを活かした企画である。

 松本がかっこよさに磨きをかけるためにさまざまなことに挑む「This is MJ」、実は旅好きという櫻井が変装(バレたら即撤収)して日本各地をお忍びで訪れる「ニッポン再発見!櫻井翔のお忍び旅行」、相葉が視聴者から寄せられる依頼に応える「相葉雅紀の代行調査」、してみたいけど普段なかなかできない夢を二宮が叶える「二宮和也の小っちゃな野望」、手先が器用でアートが好きな大野が物作りの技を習得する「大野智の作ってみよう」など、それぞれ奮闘する姿がユーモアを交えつつ描かれた。

 この番組の企画/演出は、『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)の総合演出で有名な古立善之。また、先ほど挙げた『ひみつの嵐ちゃん!』のディレクターには、現在『水曜日のダウンタウン』(TBS系)の演出である藤井健太郎が携わっていた。このあたりは、才能ある制作スタッフとの出会いにも恵まれていた。

 こうして、2010年にはプライムタイム(19時から23時まで)に冠バラエティ番組3本を持つことになった。その後『ひみつの嵐ちゃん!』は2013年に終了するが、ほかの2本は2020年まで続く。しかもどちらもゴールデンタイム(19時から22時まで)。世代を問わずテレビを見る時間帯にアイドルグループが複数の冠バラエティ番組を持つことは、極めて稀なことだった。

■嵐と『紅白』の歴史

 そして、嵐とテレビの関係をより緊密なものにしたのは、『NHK紅白歌合戦』(NHK総合/以下、『紅白』)だろう。初出場は、デビュー10周年を迎えた2009年のことだった。

 以前からの人気を考えれば遅すぎるくらいだが、そこには事務所が大晦日恒例にしていた『カウントダウンライブ』との兼ね合いなどもあった。

 実際、2009年は『カウントダウンライブ』の司会も務め、『紅白』出演のあと、再び『カウントダウンライブ』に戻るという強行スケジュール。その移動中に渋滞に巻き込まれ、メンバーが車を降りて会場の東京ドームまで全力疾走したというエピソードも残されている。

 『紅白』初ステージでは、「嵐×紅白スペシャルメドレー」と題し、「A・RA・SHI」、「Love so sweet」、「Happiness」、「Believe」の4曲を披露。初出場としては、破格の待遇だった。その後、2014年には初の白組トリ、最終的に2019年まで計4回トリ(そのうち大トリが3回)を務めた。

 また2回目の出場となる2010年には、全員で白組司会を担当。グループが司会を務めるのは『紅白』史上初のことだった。このかたちは2014年まで5年連続、その後相葉、二宮、櫻井が個人でも白組司会になるなど、2010年代はほぼ嵐とそのメンバーが司会を務めた。

 さらに2010年に『紅白』の特別企画として制作された楽曲「ふるさと」を何度か歌ったことも忘れがたい。たとえば、東日本大震災が発生した2011年の『紅白』では、福島県の中学校で被災し、修理してよみがえったピアノを櫻井が弾き、嵐と出場歌手で「ふるさと」を歌ったことがあった。嵐というアイドルが、大きな災害などさまざまな苦境に置かれた人々に寄り添う存在であったことを象徴する場面のひとつである。

■正真正銘の“国民的アイドル”へ

 このように、2010年代の『紅白』は嵐を中心に回っていたと言っても過言ではない。事務所の先輩にあたるSMAPも、1990年代から解散する2010年代半ばまで同様の役割を担っていたが、それを引き継ぐかたちになった。

 昭和時代に比べれば視聴率が下がったとはいえ、依然として注目度は抜群に高く、テレビを象徴する番組が『紅白』であることは今も変わりない。計12回出場し、2019年と2020年には『東京2020 夏季オリンピック・パラリンピック』のNHKテーマソングになった「カイト」を披露するなど、嵐が『紅白』で示し続けた格別の存在感は、彼らが紛れもなく“国民的アイドル”であることを物語っていた。

 だが、最後の出演となった2020年は、コロナ禍が始まった年。『紅白』も現行の方式では初の無観客開催となった。

 嵐は、このとき東京ドームから生中継で出演。コロナ禍を受けての生配信ライブ『This is 嵐 LIVE 2020.12.31』の会場からだった。そして実は、このライブをもって嵐は活動休止に入ることになっていた。結成/デビューから、およそ21年後のことだった。

(文=太田省一)