【片岡 亮】長期休養を表明したバナナマン日村勇紀「実は2013年に心臓が止まっていた」説の真相
過去の体調不良の真相
お笑いコンビ、バナナマンの日村勇紀(53)が、体調不良のため休養することを所属事務所ホリプロコムが4月28日に発表した。
「今年に入ってから体調を崩すことが多く、医療機関を受診した結果、医師より休養が必要との判断に至りました。これを受け、当面の間、休養に専念させていただき、心身の回復を第一に、コンディションを整えながら、落ち着いて過ごしてまいります」
病名や症状などは明かされていないが、日村の健康不良は業界内ではよく知られてきた話だった。日村は1994年のデビュー後、2003年ごろから内村光良のプロデュースなどでテレビ露出を増やし、2008年のキングオブコント準優勝を経て、その人気が定着。長い間、ドッキリにもかかる“いじられキャラ”として人気を博し、年間の番組出演本数でもトップクラスを維持してきた。
ネタ中心からトーク主体へとバラエティの流行りが変化する中でも存在感を発揮していた日村は、自身の不健康もネタにしてきた。ただ、2013年9月、「持病のぜんそく悪化した」として4日間の検査入院を行ない、レギュラー出演していた「笑っていいとも!」を欠席したことがあったのは有名な話だ。このときは、現場の一部では「心臓が一瞬止まったそうだ」との情報が共有され、番組スタッフの間に緊張が走ったという。
当時の番組スタッフはこう振り返る。
「当時のプロデューサーのひとりが、日村さんと関わる主要なスタッフを集めて、『表では明かせないんだけど、心臓が一瞬止まったらしく……』と説明したんです。何ヵ月も休むという可能性もある、という感じで番組関係者の間でピリピリしていたのを覚えています」
不幸中の幸いか、入院は4日間で済み、日村は即日、現場に復帰した。その後、「実は急性心不全だった」と明かされ、「心臓が止まった」という情報の裏付けにもなった。
ただ、その表現は必ずしも心停止と同義ではない。
「心電図のモニター上で波形が消え、数秒後に戻ったという話です。復帰後もしばらくは様子を見て、少しでも異変があれば出演を見合わせる方針だったそうです。ただ、その深刻な状況が公にされていなかった印象を受けました。
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いでテレビ出演をされていたので、明るいキャラクターのイメージを守るためだったのではないでしょうか」(同前)
不調すら笑いに変える
当時、本人がその体調不良を笑いに変えていたのも印象的だった。
「人間ドックを受けたタレントで一番不健康だった」と語り、収録外でもスタッフに「目からゼリー状のものが出た」、「急に手がベトベトする」、「足の甲の色が真っ白に」など、事実かネタか区別のつきにくい話で周囲を笑わせていた。
しかし、その後も体調不良がいい方向に向かうことはなかったのではないかと、筆者は考える。それは日村が抱える「大食い」の習慣のせいだろう。食レポに向かう待ち時間でさえ、ひとりで焼肉を食べに行ってしまったというフードファイター顔負けのエピソードもあった。たびたびダイエットに挑戦するも長続きせず、妻の神田愛花からは「ウォーキングに行ってもラーメンを食べて帰ってくる」と明かされるなど逸話に事欠かない。
「フードファイターと違って、日村さんは大食いを自慢するために食べていなかった。ロケ先で出された食べ物も本当においしいと思っている。だから、カメラが止まっても残さずにちゃんと食べていたりするんです」(芸能記者)
長時間の収録やロケという芸能活動の負荷が重なれば、いつ体が悲鳴を上げても不思議ではなかった。日村はコンビで9本、単独でも3本のレギュラーを抱える売れっ子で、「不調すら笑いに変える」というプロ意識が、結果的に身体からの警告を後回しにしてきたところもあるだろう。
「食えば食うほど腹減っちゃう〜」と屈託なく笑う姿は、長年にわたって視聴者に愛されてきた。だがその裏で積み重なってきた負荷を思えば、たとえ復帰が早かったとしても、今回の休養を仕事と生活のスタイルを見直す契機にしてほしい――それが関係者やファンに共通する願いではないだろうか。
今回の休養が、日村自身にとっても、そして長くその活躍を見守ってきた人たちにとっても、安心して次を迎えるための時間になることを願っている。
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