俳優の木村佳乃がこの4月10日、50歳の誕生日を迎えた。昨年(2025年)は芸能界に入って30年の節目だった。そのきっかけとなる所属事務所トップコートの渡邊万由美社長と初めて会った日付を、木村はいまでも覚えている。その日は、彼女の19歳の誕生日の前日だったからだ。(全2回の1回目)

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木村佳乃(2014年、ゲスト登壇した米映画『それでも夜は明ける』の舞台あいさつにて)©時事通信社

「私、女優になりたいんです」とすっぴんで現れて

 ただし、2人の出会った1995年4月の時点でまだトップコートは設立されていない。渡邊はその直前まで、フジテレビのアナウンサーからフリーに転じた河野景子のマネージャーを務めていた。ところが、河野は同年2月、横綱・貴乃花と婚約して引退することになる。それ自体は祝福すべきこととはいえ、突然の事態に、渡邊は自分の行き場を見失いそうになりながら関係各社にお詫びに回らなければならなかった。そんななか、ある企業の宣伝部長から「うちに新人の売り込みが何人か来ているので会ってほしい」と頼まれ、そのうちの一人と会うことになった。それが木村だったというわけである。彼女は成城大学に入学したばかりだった。

 その日、待ち合わせ場所に指定された東京・六本木のカフェに現れた木村は、カジュアルなロングスカートに洗いざらしの白いダンガリーシャツをまとい、高校の卒業旅行でハワイに行ったばかりで肌は焼けているうえ、すっぴんだった。そして開口一番、「私、女優になりたいんです」と告げると、それから2時間ほど会話するあいだ、饒舌でもなく、媚びることもなく、強い眼差しでじっと渡邊を見つめていたという。

 渡邊はそんな木村から溢れんばかりの「演じたい」というエネルギーとともに、《今、生まれてきたばかりみたいな純粋さに溢れていた。こういう人が映像の中で輝いていくのだろう。そういう仕事ならば一緒にやっていきたいと強く感じました》という(『婦人画報』2011年7月号)。一度は自身の行き先を見失いかけた渡邊だが、木村との出会いによって芸能界で生きていく決意が固まった。

 当の木村はこのとき、翌日が誕生日ということで渡邊から花を贈られ、《芸能界の人に会うのはそれが初めてだったので、こんなやさしい心遣いをしてくれる、柔らかな人もいるのかと驚きました。で、話しているうちにその日が万由美さんの誕生日だとわかった。誕生日が1日違いだなんてちょっと運命だなあって思いました》と振り返っている(同上)。

何度もオーディションを落とされ…

 それからというもの木村は渡邊とともに売り込みにまわる。ときには冷たくあしらわれながらも、この年の秋、翌1996年1月スタートのNHKの連続ドラマ『元気をあげる〜救命救急医物語〜』の主演に抜擢され、デビューが決まった。このとき、メディアでは「NHK大胆抜擢」などと報じられたが、けっして易々と役を得たわけではない。オーディションを何度か受けて一旦は「難しいですね」と落とされながらも、再度呼び出しがあり、面接を受けてようやく受かったのだった。これに合わせて渡邊は木村の所属先としてトップコートを設立する。

 もちろん、木村の試練はここからだった。何しろ彼女はそれまで、高校時代に父の仕事の関係で日本航空のCMに出たことはあったものの、本格的な演技経験はまったくなかった。それだけに撮影では落ち込むこともしばしばだったが、木村はハリウッドの映画監督ビリー・ワイルダーの対談集で、あのオードリー・ヘップバーンも特別に演技を習ったことがないと知り、それを心の支えとしたという。

 デビュー作『元気をあげる』では新人医師の役だったので、役作りのため医大に通い、専門用語を覚えたり医療器具の扱い方を教わったりした。手術の様子も見せてもらったが、血が苦手な彼女は気持ちが悪くなってクラッと来てしまったとか。

ロンドン生まれ、「お嬢様女優」とよばれて

 そうした真摯な態度が評価されたのだろう、デビュー時より出演依頼が殺到する。NHKのドラマと前後して、民放でも出演ドラマ『銀狼怪奇ファイル〜二つの頭脳を持つ少年〜』(日本テレビ系)がスタートし、以後、1996年のうちに『将太の寿司』(フジテレビ系)、『協奏曲』(TBS系)とあいついで連続ドラマに出演した。翌1997年には人気シリーズとなるドラマ『スチュワーデス刑事』の第1作(フジテレビ系。木村は主演の財前直見の後輩役でレギュラー出演)が放送されたのに続き、渡辺淳一のベストセラー小説が原作の『失楽園』で映画デビューも果たし、日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞する。

 デビュー当初の木村には「お嬢様女優」のイメージがつきまとった。『スチュワーデス刑事』の役柄が帰国子女だったのと同じく、彼女自身、父親の赴任先であるロンドンで生まれ、中学時代はニューヨークですごした。趣味は乗馬、フルートとプロフィールに挙げていたことも、このイメージをさらに増幅させた。

 ただ、本人は後年のインタビューで、デビュー当時のイメージについて《所属事務所のマーケティング戦略が成功した、ということでしょうね》とさらりと言い切り、《実際の自分がわかってしまっては、作品を見る上で逆に邪魔になってしまう。お嬢様女優といわれるのをいやがる人もいるかもしれないけど、私はある意味で楽しんでました》と明かしている(『日経マガジン』2007年4月号)。

「物語のなかに入りたい」引っ込み思案だった少女時代

 さかのぼれば、木村は3歳でロンドンから日本に戻ると小児喘息にかかってしまったため、家にいることが多く、朗読のレコードを聴いたり本を読んだりするうち、自分も物語のなかに入りたいと空想を膨らませるようになったという。そういうこともあって子供時代は引っ込み思案な性格で、人前に立つのは苦手だった。

 一方で、祖母に宝塚歌劇に連れて行ってもらい、舞台の華やかさに魅せられていた。中学時代にニューヨークに住んでいたころには、ミュージカルにしばしば通うとともに、映画をたくさん観た。なかでも日本映画を、自分は日本人だという意識が強くなっていたので積極的に鑑賞するようになったという。大学進学に際して将来を考えたときには、職業として目指したいものは思い浮かばなかったが、ふと、「物語のなかに入りたい」という気持ちが蘇る。その思いが渡邊社長との出会いへとつながった。

イメージを脱却した転機

 こうして木村はデビューしてからというもの俳優として着実にステップを踏んでいく。本人は転機となった作品として、『船を降りたら彼女の島』(2003年)、『自由戀愛』(2005年)といった映画を挙げている。26歳のときに撮影した前者では、瀬戸内海の島で初めて長期間の地方ロケを経験した。さらに28歳で出演した後者ではラスト近くの回想シーンのセリフを自分で書くという経験をする。同作は舞台が大正時代だったので、時代背景を調べ、自分なりに設定を考えた。監督の原田眞人からは何度もダメ出しされたが、結果的にそのシーンは、《自分で(セリフを)書いているせいか、演技がすごくナチュラルなんです。言葉が自分の中から出ている》と、満足のいくものになったという(『日経マガジン』前掲号)。

 世間でのイメージもやがて「お嬢様女優」から脱却していく。30歳になった2006年公開の映画『寝ずの番』では、中井貴一演じる落語家の妻を演じ、病床にあった師匠(長門裕之)に夫たち弟子の勘違いが原因で、彼女がベッドの上に立ってスカートをまくりあげて見せるという大胆なシーンが出てきて、ファンを驚かせた。

「この役は誰にも渡したくない」

 時代物の映画でも、『蝉しぐれ』(2005年)で幼馴染みの武士に恋心をひそかに抱き続けるヒロインを演じたかと思えば、『さくらん』(2007年)では嫉妬に狂う花魁と、まるで異なる役どころを演じた。同時期には、映画『ドリーム・クルーズ』(2007年)でハリウッドデビューも果たし、単発ドラマ『テレサ・テン物語 私の家は山の向こう』(テレビ朝日系、2007年)では、「アジアの歌姫」と呼ばれた台湾出身の歌手テレサ・テンの役に起用される。

 テレサの役には何人かの候補が挙がったが、時代に翻弄された実在の人物という役の重さもあり交渉段階で辞退があいついだ末、木村に声がかかり、「この役は誰にも渡したくない」と思ったという。このドラマの原作者でジャーナリストの有田芳生(現・衆院議員)は、《実際のテレサと面識があるドラマの原作者として、どんな女優が演じるかはいちばんの関心事でもあった。わたしにとっての基準はただひとつ――身体全体からそこはかとなく漂ってくる上品さ――であった。木村佳乃に決まったと聞いたとき、何の疑念も浮かぶことなく「よかった」と思った》と、彼女を取材したルポに記している(『AERA』2007年6月4日号)。

 実際、役に決まってからの木村は、テレサとは顔形も違い、物真似になってもいけないと思い、歌い方も含めて「雰囲気を出す」ことを目指した。そのために映像資料を集めるだけ集め、CDも繰り返し聴くばかりか、テレサのマイクの持ち方も身体で覚え、化粧のファンデーションまで変えて、それまでにないほど役作りを徹底した。おかげで演じるうち、テレサの心情に触れ、自然と涙を流していたという。

剃髪姿も話題に、当たり役となった『相棒』

 これら作品と前後して、28歳だった2004年からは、人気ドラマシリーズ『相棒』(テレビ朝日系)に政治家の片山雛子の役で出演を始め、主人公の杉下右京(水谷豊)が所属する警視庁「特命係」とかかわりながら、総理大臣を目指してステップを踏んでいくさまを演じ、当たり役となった。雛子は一旦議員を辞職して表舞台から姿を消したが、2018年のシリーズ300回記念スペシャルで2年ぶりに登場するにあたり、何と出家するという展開で、木村は特殊メイクとはいえ剃髪姿を披露して話題を呼ぶ。

 雛子を演じ続けるあいだ、木村は私生活では同じく俳優の東山紀之と2010年に結婚し、2011年に長女、2013年に次女を儲けている。子育てをするなかで、仕事でもNHKの朝ドラ『ひよっこ』(2017年)をはじめ、声優を務めたアニメ映画『君たちはどう生きるか』(2023年)やドラマ『南くんが恋人!?』(テレビ朝日系、2024年)など母親役を演じる機会も増えていった。(つづく)

10歳差婚→2児の母に…「妻は分かっていたのかも」木村佳乃(50)が夫・東山紀之の“芸能界引退”にみせた反応〉へ続く

(近藤 正高)