夫・尾崎豊が天国に旅立って34年…妻・尾崎繁美が語る「29年目にインスタグラムを始めた理由」
それはあまりに突然の出来事でした。
1992年4月25日、26歳の若さで旅立ったシンガーの尾崎豊さん。早いもので、あれから34回目の命日を迎えました。
18歳で尾崎さんと出会い、20歳で結婚、21歳で息子・裕哉さんを出産し、24歳で最愛の夫と死別するという凄絶な別れを経験した、妻・繁美さん。繁美さんには、豊さんの没後30周年を機に、封印していた豊さんとの想い出を綴る連載『30年後に語ること』を発表し、その後、2023年7月からは、豊さんが旅立った後、息子の裕哉さんとともに歩んだボストン母子留学の日々を新連載『笑顔を守る力』として定期的に寄稿いただいています。
「2022年4月25日、夫の30回目の命日に、私はこれまでの出来事を語る決意をしました。そこに至るまでには長い時間がかかりました。『30年後に語ること』では、夫・尾崎豊と再び向き合い、対峙することで時間をかけて自分の人生を見つめ直す作業をしました。そして、『笑顔を守る力』では、語ることがなかった豊を失った後の私と裕哉について綴っています。そんな私の姿を豊は温かく見守ってくれていると感じることがあります」と語る繁美さん。
改めて、自分自身で発信を始めた思いについて寄稿いただく。
「尾崎繁美」としての発信のスタート
4年前の話になります。2022年4月25日、夫の30回目の命日を迎えました。
30年という節目にあわせて、『OZAKI 30 LAST STAGE 尾崎豊展』が東京・松屋銀座を皮切りに開催され、全国を巡回しました。また、同時に1991年の生前最後の全国ツアー初出し音源を収録したライブアルバム『LAST TOUR AROUND JAPAN Yutaka Ozaki』も発売されたのです。長い時間を経て紡がれてきたものが、ひとつの形として結ばれていくような出来事でした。
その中心となって動いてくださったのは、プロデューサーの須藤晃さんです。須藤さんは、豊の『15の夜』『I LOVE YOU』『卒業』などの音楽プロデューサーで、生前のほとんどのアルバムから亡くなった後も豊に関することに拘ってくださっています。
私は、豊が設立した有限会社アイソトープを引き続いた者として関わることはこれまでもありましたが、「尾崎繁美」として、私自身にも何かできることはないだろうか、と考えるようになったのです。
そんなこともあって、『OZAKI 30 LAST STAGE 尾崎豊展』の企画を知ったとき、それまでSNSとは無縁だった私は、豊の29回目の命日を機に、Instagramを始める決意をしました。私も妻としてイベントを応援したかったし、息子である裕哉や私を支えてくれた友人たちが背中を押してくれたのです。
Instagramでの最初の投稿は、お墓の花祭壇の写真でした。29年間、欠かすことなく季節の花を豊の墓石に手向けてきました。毎年、私と裕哉は、まず霊園へご挨拶に伺い、生花店に花祭壇をお願いし、早い段階で命日のお参りを済ませるというのが恒例になっています。そして、命日である4月25日は、ファンの皆さまにとっても、それぞれの想いがある大切な日でもあるので、この特別な場を見守るように提供してきました。
29回目の命日の2日前、友人たちと訪れたお墓で、初めて実際の花祭壇を目にすることができたのです。それは、生花店が命日当日に向けて用意してくださった“予行練習”の祭壇でした。目の前に広がるその光景は、想像をはるかに超える美しさで、胸がいっぱいになりました。そして、この偶然の出来事である花祭壇の写真こそが、新しい一歩の始まりにふさわしいのではないかと、自然に思えたのです。
最初のインスタ投稿には、その初めて見た花祭壇の写真とともに、表現者として生きた尾崎豊の証である言葉を刻んだ墓石の写真を添えました。
それが、私にとって「発信」のスタートでした。
不思議な縁が繋がった「護国寺」という場所
Instagramを始めてから、まもなく1年が経とうとしていた頃のことです。講談社のウェブマガジン FRaU Web から、インタビューのご依頼をいただきました。思いがけない出来事に戸惑いながらも、私は思い切って語る決心をしました。
私にとって、豊が旅立って30年という時間はひとつの大きな節目であり、集大成でもありました。24歳で夫を失い、20代、30代、40代、そして50代となった今まで、さまざまな想いを抱えながら生きてきましたが、女性として、母として、さまざまな役割の中で感じてきたことを、いつか女性誌という媒体で言葉にしたい気持ちを、心のどこかに持ち続けていました。
実はそのとき、ふと「FRaUがいい」と感じていたのです。けれど同時に、それは叶わないことだとも思っていました。なぜなら、これまで講談社とは、決して穏やかとは言えない経緯がありました。私自身、深く傷ついた経験を持つ媒体でもあったからです。だからこそ、Instagramを通じて連絡をいただいたときは、本当に驚きました。
そして、これまでの想いも胸に、「今度こそ伝えたいことを伝えよう」と心に決め、30年ぶりに護国寺の地を訪れました。講談社は護国寺駅にあります。そう、夫の葬儀が営まれた護国寺の隣ともいえる場所にあるのです。インタビューの当日、夫の葬儀の記憶が甦えり、実際には足元が揺れるような感覚に襲われ、目と鼻の先であるにも拘らず道に迷い、なかなか辿り着くことができませんでした。
初めてFRaUwebの編集長と担当編集者にお会いしたときも、言葉にしがたい緊張と巡り合わせのような感覚の中にいたのです。
これまで抱えてきた想いの一端をお話しすると、編集長は驚かれた様子で、「そのような経験をされた方は他にいません。本当によくここまで生きてこられましたね」とポロポロと涙を流してくださいました。その言葉は、凄絶な経験をしてきた私にとって、初めて真正面から受け止めてもらえたような瞬間でもあり、その姿に触れ、この編集部になら心を委ねてみたいと感じ、その場で「ぜひお願いします」とお返事したのです。
まさか、自分が連載という形で言葉を届けることになるとは思ってもみませんでした。でもそれは私にとって、大いなる一歩となりました。
そして、その連載が、今日で丸4年を迎えます。
不思議と、点と点が繋がっていくように、意味のあることは、導かれるようにして起きていくものなのかもしれません。私は、これまでの出来事を自分の言葉で綴っていこうと、ようやく心を決めました。そこに至るまでには、本当に長い歳月が必要でした。
2022年4月25日、30回目の命日よりスタートした連載『30年後に語ること』では、夫である尾崎豊と改めて向き合い、深く対峙しながら、自分自身の人生を見つめ直していく時間を重ねてきました。そして、連載第二弾として2023年7月24日、裕哉の34歳の誕生日にスタートしたのが、『笑顔を守る力』です。ここでは、それまで語ることのなかった、豊を失ったあとの私と裕哉のふたりが支え合ってきた歩みを、丁寧に言葉にしたためています。
振り返れば、それは数えきれないほどの特別な出来事に彩られた年月でありながら、同時に、ただただ目の前の一日一日を懸命に生きてきた証(告白)であり、魂の成長のための積み重ねでもあったように思います。
そんな私の姿を、豊はどこかで温かく見守ってくれているのではないかと、ふと感じる瞬間がありました。
◇後編「尾崎繁美がむかえる、夫・尾崎豊の34回目の命日。「夢に出てきた夫が私に語ったこと」」では、久しく夢に現れなかった豊さんの夢を今年に入って三度も見たという出来事について引き続き繁美さんが寄稿します。
