権力に対抗できるのは「自分の内にある記憶」…どんなに苦しい現実に直面しても、言葉と希望は受け渡さない

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不安な時代だからこそ、救ってくれる本と記憶がある。奈倉有里さんの最新エッセイ集『背表紙の学校』の刊行を記念して、辻山良雄さんによる書評「〈わたし〉であることの奇跡」(『群像』2026年5月号掲載)を特別にお届けします。

〈わたし〉であることの奇跡

『背表紙の学校』は、ロシア文学研究者の奈倉有里さんによるエッセイ集。主に『群像』に連載された文章をまとめたもので、本にあこがれた自分の原点を振り返りながら、混迷するいまの社会から逃げない力強さに満ちている。前作となる『文化の脱走兵』同様に、これまで奈倉さんが親しんできた詩や歌が引用され、それが本書に心地よいリズムを刻んでいるとともに、記憶を引き出すよすがともなっている。

本書は、子どものころの記憶を遡ったエッセイによって開かれる。

最初に読めなかった(手に入らなかった)本のこと、いまという「なんにもないとき」を、自分の意志によりどれだけ記憶に留めておくことができるかといった挑戦……。こうした子ども時代のことは、その後のエッセイでも折に触れて語られるが、小学校への近道を探すためフェンスを乗り越えて冒険したり、心の体力がみなぎりすぎて朝早くに目が覚めてしまい、親を困らせてしまうなど、知らず知らずのうち、自分の子どものころの記憶を重ねて読んでしまうかたも多いのではないか。

こうした文章からは、奈倉さんがどれだけ過去の自分とその記憶を大切にしているかが窺えるが、考えてみればいまの〈わたし〉をつくっているのも、その人がそれまで過ごした時間の集積である。本書では、そうした「過去」と「現在」との往還が常に行われており、人がどのようにしてその人自身になっていくのか、その過程を追体験する心地がした。一冊の本を開くとは、その人の人生に積もった時間の襞をめくり、その人がいまここにいるという驚きを、ともに確かめることでもあるのだ。

しかしその一方で、そうした〈個〉を健やかに育むことを許さないほど、現在の社会状況は様々な方面で困難を極めている。特に2022年2月24日にはじまった、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、両国に文学を通じた友人のいる奈倉さんの状況を一変させた。そうした中にあっても、〈本〉という小さな灯をともしながら、世界中の言葉を愛する仲間と生きていこうとするのが、前作『文化の脱走兵』の主たるテーマであった。しかし、それから時が経っても状況が変わらない以上、そのテーマは本作にも引き継がれている。

かつてモスクワでは、秋になると大通りに「落葉注意!」という看板が掲げられていたという。モスクワの秋は雨が降りやすく、その看板は車や通行人に対する注意喚起であった。しかし本書で奈倉さんは、ソ連時代の女性詩人、オリガ・ベルゴーリツの詩も引用しながら、言論統制の強まった粛清の時代、この「落葉注意!」という言葉が、命が失われていくことに対する警告として使われていたのではないかと指摘している。そしてその閉塞した空気は現代と酷似しており、いまロシアでは志のある人ほど職を失い、祖国を離れざるを得ない状況に追い込まれているという。

しかしそれはロシアに限った話ではない。世界中を見渡しても(もちろんこの日本も例外ではなく)、いまの秩序を自分たちの都合のいいように力で変えてしまおうとするものが後を絶たない以上、「落葉注意!」とはどこにいても喚起されるべき言葉ではないか。そして目の前の現実が力によって支配された厳しいものであればこそ、その人の内側にある記憶や個性は、侵されることのない、かけがえのない希望となる。自分の内にある記憶とは、ほんとうは誰もが持っている、現実に対抗するささやかな光なのだ。

本書では奈倉さんも関わった、原発再稼働の是非が問われた新潟県柏崎市の市長選の様子も語られている。現実の冷たい壁に直面してもなお自らの言葉を手放さず、粘り強く立ち続けようとする覚悟に心打たれた。

本書のタイトルにもなっている表題作「背表紙の学校」は、2024年に店長が急逝し、閉店を余儀なくされた柏崎の書店に捧げられている。雪の中に立つ、板張りの外観をした小さな書店の姿は、奈倉さんが柏崎への移住を決断する一つのきっかけとなった。

子どものころの奈倉さんは、書店に並べられた本の背表紙を眺めるのが好きで、店内をうろうろしては本棚を眺め、本が語りかけてくる声を聴いていたという。わたしの書店でも、時おり真剣なまなざしで本棚を見つめながら、背表紙に書かれている文字を目で追いかけている若い人の姿を見かけることがあるが、そのときわたしはその人の内にある、誰にも侵すことのできない内面の世界を覗き見た気にさせられる。高速回転で動いているせわしない世界でも、小さな書店に入り本棚に並ぶ本を見ているうちに、人はいつの間にか本来のその人自身に帰っていき、「だいぶ奥のほう」にいた自分と地続きになるのだ。

そんなとき人は、そのように意識しなくても、少しでもいい人間になろうと願っているのではないか。多くの人が、そうした世界へのあこがれを取り戻せば、この世も随分生きやすいものへと変わってくると思うが、それは楽観的な考えに過ぎるだろうか。

本書で印象に残ったのは、どんな困難な状況にあっても笑いを忘れない、奈倉さんのあかるい筆致である。「山」を「ヤマ」と読むか「サン」と読むかの問題で、柏崎民謡の「米山さんから雲が出た」はどうなのかと考察したり、邪気のない駄洒落を全力で擁護したりと、何度も笑わされる箇所があった。

「大人が笑うとき」というエッセイで、奈倉さんは自分の子ども時代を振り返り、子どもにとって大人が本気で笑うことは大事件で、自分が肯定された心持ちになると書いている。大人のあなたは、最近本気で心から笑ったことがあるだろうか?

どんなに不安な時代でも、心から笑えているあいだはまだ大丈夫で、そのあかるさが希望となり、次の世代の人たちへと引き継がれていく。ほかの誰でもない、〈わたし〉であることが身に沁みてくるエッセイであった。

【もっと読む】「好きな作家の文庫は「何色」?町の本屋さんに並ぶ「背表紙」が私たちに教えてくれること」では、『背表紙の学校』の表題作の一篇をお読みいただけます。

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