「芭蕉は破れて残りけり」桶狭間合戦で敗れた今川義元が出陣前夜に謡った謡曲「芭蕉」。不吉とたしなめた家臣を「たかが謡」と手打ちにすると…
かつて日本には、城が2万5000〜3万ほどもあったと言われています。「近くの城に関する資料を調べてみると、怪談や思わぬ物語の発見があるかも知れません」と語るのは、『生き屏風』で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞し、怪談イベントにも多数出演する小説家・田辺青蛙さんです。そこで今回は、田辺さんが日本全国の名城にまつわる怪談の数々を集めた『名城怪談』から一部を抜粋してお届けします。
* * * * * * *
芭蕉の精霊の謡
駿府城では謡曲「芭蕉」を決して謡ってはいけないとされていた。
「芭蕉」は、中国・楚の小水に住む僧が毎晩古寺で読経していると、女の姿に化けた芭蕉の精霊がやって来て世の無常を語るという内容の謡だ。
桶狭間合戦の出陣前夜、今川義元が駿府の館で「芭蕉」を謡った。
「山おろし松の風。吹き払い。花も千草も。ちりぢりになれば。芭蕉は破れて残りけり」
家臣の松田左膳は、夏の巨大な芭蕉の葉が冬には枯れつくす、植物の無常と世の無常をかけた謡は、出陣の前に不吉だと窘(たしな)めたが、義元は、たかが謡は謡ぞ、皆の士気を高めねばならぬ時に無礼な奴めと、左膳を手打ちにしてしまった。
左膳が謡う声
そして、合戦の際、義元が桶狭間に陣を据えると、どこからともなく左膳が謡う声がした。
「花も千草も。ちりぢりになれば。芭蕉は破れて残りけり」

『名城怪談』(著:田辺青蛙、監修:北川央、イラスト:うめだまりこ/エクスナレッジ)
空は俄かに曇り、雷鳴と共に、たちまち天を突くような大雨が降りはじめた。
雷雨の最中、こんな時にまさか敵軍も攻めては来ないだろう――そう慢心した気持ちがあったからだろうか、数では勝っていたというのに、義元は織田信長の軍勢に敗れ、首を取られてしまった。
恐い物知らずの徳川忠長
以来、駿府の今川館が駿府城と呼ばれるようになってからも、城内で謡曲「芭蕉」を謡うのは不吉とされ、禁じられた。
ところが、3代将軍徳川家光の弟で、駿府城主となっていた徳川忠長は、恐い物知らずで、祟りなど恐れぬ人物であったため、城内でこの曲を演じさせてしまった。すると、天地を裂くような雷鳴が鳴り響き、みぞれ交じりの雨が降り始めた。

(写真提供:Photo AC)
そしてどこからともなく、低い男の声で「芭蕉」の謡が聞こえてきた。
「花も千草も。ちりぢりになれば。芭蕉は破れて残りけり」
忠長の幽霊が出るという噂
「芭蕉」の謡のせいだろうか、忠長は家康の孫で駿河大納言という高い身分でありながら、甲州へ送られ、28歳の時に高崎で切腹となった。
そして、城内で「芭蕉」を口ずさむと、腹から血を滴らせた忠長の幽霊が出るという噂が立った。
以降、幕末まで、駿府城内で「芭蕉」の謡は、固く禁じられたそうだ。
※本稿は、『名城怪談』(エクスナレッジ)の一部を再編集したものです。
