田岡俊次さん

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は3月27日に亡くなった田岡俊次さんを取り上げる。

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国民性の理解は不可欠

 日本で軍事ジャーナリストの存在が脚光を浴びるようになったのは1990年、イラクのクウェート侵攻に始まった湾岸戦争が契機とされる。朝日新聞で長く軍事担当記者を務めた田岡俊次さんは注目された代表格だ。

 長年親交の深かった現代史家の秦郁彦さんは言う。

「朝日新聞の中では珍しい人でした。朝日が批判はすれど正面から向き合うことを避けがちな軍事の論理から物事を見ていた。イデオロギーで捉えず、冷戦期でも事象をソ連と米国という対立の構図に単純化しなかった。軍事において兵器は全体のごく一部に過ぎず、軍事は政治経済や外交はもちろん、人間の営み全てに関わると考えていた。軍事分析に国民性や民族性の理解は不可欠で、それを考える手だては歴史だと重視した。歴史を実証的に捉えて、私ともよく意見交換をしていました」

田岡俊次さん

兵力の比較は無意味

 41年、京都市生まれ。父は国際法の権威で京都大学法学部長も務めた田岡良一さん。早稲田大学政治経済学部を卒業し、64年、朝日新聞に入社。面接試験の段階から軍事担当を直訴した。

 20代半ばで防衛庁担当に。達者な英語でロッキード事件でも奔走。敏腕記者と一目置かれた。79年、ソ連がアフガニスタンに侵攻。ソ連の敗北と東欧諸国への支配力低下を早々と予測し、約10年後に現実となった。

 共同通信のワシントン支局長などを歴任した春名幹男さんは言う。

「米国で研究した経験も生きていたと思います。兵力の比較は意味がない。米国の軍事記者は戦略を読む。補給や士気まで多角的、緻密に分析し弱点を浮き彫りにします」

“元帥”

 湾岸戦争の報道で江畑謙介さんらと共に時の人に。ものまねされるほど人気を博す断定的な口調からか、“元帥”のあだ名もついた。

 妻の則子さんは思い出す。

「帰宅できない日が続きましたが、本人も私たちもこういうものだと思っておりました。現場が好きで、家でも勉強熱心だったと感じます」

 軍事の分野は広い。専門家に的確な質問ができ、情報の正誤を判断できるレベルまで勉強や準備をしなくてはと自戒した。肝心の指揮官の能力や発想はなかなか分からないと正直だった。見立てを誤ることもあったが、常に「現段階での自分の結論」を明確にした。

「はっきりものを言うので、御迷惑をおかけしたのではと思います」(則子さん)

 ソマリア沖の海賊対策に護衛艦を早く出せと主張、防衛費増額にも理解を示す。

「熟考して実際の効果を大切にした。国際法の視点は父譲りです」(秦さん)

 尖閣諸島を念頭に、島の攻防には制空権が決定的な要素で上陸作戦による奪回は二の次だ、予算獲得が目的の非合理な戦略を立てるのはよくない、とも述べた。近年最大の関心事は台湾有事で、中国との対立が深まる状況に懸念を示した。

「軍事を知らず、語らず、考えずではいけない。日頃から軍事を受け止めていれば、危機感というムードであおられる恐れを避けられる、と見ていました」(秦さん)

家族と過ごす時間を

 2男1女を授かっている。

「子供たちに干渉しませんでした。自由に動ける時間の多いツアーで海外に出かけるのが好きで、家族一緒でも行きました。芸術にはあまり興味がなく、町中をひたすら歩いて地元の人の様子に触れるのを楽しんでいました。ヨットも長年の趣味でした」(則子さん)

 昨年末、進行した食道がんが見つかる。3月27日、84歳で逝去。

「本人の希望で手術などはせず、家族と過ごす時間を選びました」(則子さん)

 かつてイランも訪れ、食糧自給率の高さや国民性を現地で知った。米国、イスラエルがイランの核開発を封じようとすれば、長期の爆撃か地上戦での占領が必要で、統治できる公算は低いと14年前に分析している。

「週刊新潮」2026年4月16日号 掲載