なぜ伝説の投資家は「牛丼を愛したマッチョ」を名経営者とベタ褒めしたのか…ゼンショー創業者・小川賢太郎との《鮮烈すぎる記憶》
「すき家」など多くの外食チェーン展開するゼンショーホールディングス(HD)の創業者、小川賢太郎氏が4月6日、77歳でこの世を去った。たった一代で、外食企業としては国内初となる売上高1兆円を築き上げるなど、最期まで邁進することをやめなかった稀代の経営者であった。
そんな小川氏は生前、どのような人物だったのか――ここに良く知る人物がいる。個人資産800億円超という莫大な資産を築き、長者番付1位にもなった“伝説の投資家”、清原達郎氏だ。
清原氏は長年にわたって市場を見つめ続け、「どの企業が成長し、また衰退するか」を見極めるべく、数多の経営者たちに直に会ってきた。海のものとも山のものともつかぬ者たちがひしめき合う世界。その中で、とりわけ同氏の記憶に深く刻まれた「ユニークという意味で極めつけ」という社長こそ、小川氏その人だったのだ。
たちまち25万部を超えるベストセラーとなった『わが投資術 市場は誰に微笑むか』(講談社)より、その一部始終を抜粋・編集してお届けする。
ベンチプレスで135キロを上げる“強烈な体”
(企業の)長期的な成長性を見抜くにはどうしたらいいでしょうか? いくつかのポイントがありますが、圧倒的に大事なのが「経営者がその企業を成長させる強い意志を持っているか」です。これだけはホームページや社長の発言などで絶対確認すべきです。
ただ、社長が口で「成長します」と言っていても、どこまで本気なのかは簡単にはわからず、判断が難しいのも事実です。私も随分とたくさんの社長に会いましたが勘違いもいっぱいしました。
そうした中でも、ユニークという意味で極めつけはゼンショーの小川賢太郎社長でしょう。そう、あの牛丼の「すき家」です。この社長はズッコケていたわけではありません。日本が誇る名経営者の一人です。
ファンドが始まって間もなく上場してきたのですがまったく人気のなかった銘柄でした。PERは5倍で決算説明会に出たら出席者がたった2人だったこともあります。
安いので社長にアポを取って訪問しました。まず、玄関を入るとベンチプレスのためのベンチと重そうなバーベルが置いてあります。社長は強烈な体をしていて「ほうれん草食べた後のポパイ」みたいなんですよ(たとえが古すぎますね)。「キン肉マン」の胸板を一回り厚くした感じです(※編集部注:小川氏は生前、長身で筋肉質な体格で知られ、ベンチプレスでは135キロを上げていたとも)。
「牛丼がいかに優れた食べ物か」を熱く語る
話を聞くと東大で学生運動にのめりこんだおかげで就職がままならず、何とか牛丼屋で働くことになったそうです。そこでもひと悶着あって起業したとか(※編集部注:小川氏は1978年、吉野家に入社。その後、同社の倒産などをきっかけに独立)。
インタビューというより一方的に「牛丼がいかに優れた食べ物か」をまくし立ててました。そのうち「日本人は欧米人に比べて体格が貧弱すぎる。ちゃんとベンチプレスやって体鍛えて牛丼食ってれば戦争に負けなかった」とか言い始めて。「この人左翼なの? 右翼なの? どっち?」と思って話を聞いてました。
最後にメニューの説明を受けて終わりになりましたが、帰り際に「このメニュー1つもらっていいですか?」って聞いたら、こうですよ。「いいけど駅で捨てないでね」。
株価が上がるのは確実だと思ってすぎに頑張って買いましたけど売り物がなくて2億円も買えませんでした。株価はすぐに何倍にもなり「中期経営計画の発表会」の時には50人ぐらい投資家が集まりました。
驚いたのは5年後の利益計画が強烈だったことだけではありません。なんと5年後のPERと株価予想まで入ってるのですよ。とっても珍しい中期経営計画でした。
「胸貸せ!」突然ラリアットをかましたことも
ある時我々は小川社長の訪問を受けました。帰り際にエレベーターの前で私の部下が余計なことを言います。「実は私もジムで鍛えてるんです」と。
「お前と社長じゃあ筋肉の量が全然違うだろ。失礼じゃないか」と思いましたが、やっぱり社長も「カチン!」ときたみたいで「おい! 胸貸せ!」その直後、「ドスン」です。なんと社長が私の部下にラリアットをぶちかましてました。
こんな愉快な社長はどこ探してもいないと思いますよ。皆さんも小川社長に会ったときは言葉に気を付けてくださいね。「牛丼って飽きませんか?」とか言うと確実に一発食らうことになると思います。
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小川氏が創業したゼンショー、その社名には3つの意味が込められているという。すなわち、善い商いを行う「善商」、日本のスピリットを商いで海外に伝える「禅商」、相撲で言う15戦0敗「全勝」優勝――豪放磊落を地で行った男の物語は終わらない。
昨年、小川氏の実子・洋平氏が社長のバトンを継いだ。ゼンショーの“第二章”はまだ始まったばかりだ。
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