北九州の暴力団「工藤會」の容赦ないカタギへの暴力…それでも関東の暴力団幹部が「足を向けては寝られない」と口を揃えるワケ
ockかつて20万人もの構成員を擁した暴力団。
覚せい剤の輸入や賭博、みかじめ料の徴収で莫大な収益を上げ、1980年代の年間収入は推計8兆円に達したと言われる。だが平成に入って以降、暴対法の制定や警察の行き過ぎた捜査、メディアによる批判的な報道が原因となり、暴力団は衰退の一途をたどってきた。
では、暴力団が社会から消えていくことは、我々一般国民にとって「良いこと」だけなのだろうか?しばし「必要悪」として語られてきた“やくざ”の実態を、『やくざは本当に「必要悪」だったのか』より一部抜粋・再編集してお届けする。
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北九州を牛耳った暴力団・工藤會
北九州市を牛耳ってきた工藤會の総裁・野村悟は2024年3月、福岡高裁の判決で、地裁での死刑判決を破棄したうえで無期懲役が言い渡され、今は最高裁に「俺は無罪だ」と上告している。
北九州市の人口は1979年の107万人がピークで、現在は90万ちょっとにすぎないが、それでも福岡市に次ぐ九州第2の大都市である。その北九州市の暴力団利権を工藤會は独占し、他の暴力団や半グレ集団、外国人不良グループを入れなかった。山口組は過去、同市に進出しようとしたが、工藤會のため排除され、今でも同市に一兵も足を踏み入れていない。
北九州市は暴力団にとってまさしく金城湯池の地である。大体が門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市の工業地帯5市が対等合併した市であり、かつての北九州工業地帯そのものである。しかも港湾区域を持ち、昭和期まで石炭の積み出し港として知られた若松港など、港湾施設が集中し、それに伴う漁業補償や施設の建設工事、資材利権など、暴力団にとってシノギのネタにあふれた市域である。
市民や企業にも暴力を振るう
ここを独占支配する工藤會は全国でも有数の富裕な組織だった。にもかかわらず工藤會は利権をより多く獲得するため、企業や市民に対して直接的な暴力を振るった。山口組など他の暴力団は抗争時に流れ弾や誤射などで市民や警官をたまたま殺傷することはあっても、通常、企業や市民に銃を向けることはない。
しかし、暴力団が赤裸々な暴力により企業や市民を畏怖させ、結果として金銭を収奪し、あるいは収奪できる立場や名目を獲得することは事実である。だが、直接的な堅気への暴力は警察の手入れを招き、かつ市民の反暴力団感情を激化させる。工藤會を除く他の暴力団は、安易に暴力を振るうことの危険を承知している。
そのため工藤會が振るう暴力と、「暴力団は怖い、命まで取る」というイメージは全国に振りまかれ、それが地域、地域に浸透して、各地域の組の縄張り内にも作用した。たとえば、他地域でも業者からみかじめ料が取りやすくなるなど、おおむね他組は工藤會の北九州市でのやり過ぎ暴力を歓迎した。
「我々は工藤會に足を向けては寝られない」と、私は関東の広域暴力団幹部から聞いたことさえある。
工藤會と県の攻防戦の行方は…
工藤會には、たとえ暴力を振るっても、そのことに関する直接的な証拠や実行犯など関係者の証言がなければ、暴力という事実は存在しない、警察、検察は工藤會の犯罪を立証できず、我々は罰せられない、という牢乎とした信念があった。そうした考えは法廷闘争でも間違いではなかったはずだが、工藤會に対してはそういい切れなかった。
福岡県警や福岡県の検察、福岡県の裁判所が超法規的といいたくなるほどの取り締まりと法廷戦術を駆使したからである。これにより物証や実行犯の自供がなくても、情況証拠に推認を重ねることで死刑さえも求刑でき、判決されることが明らかになった。
今や工藤會の構成員(2024年1月)は準構成員を含め240人と細り、本部事務所が置かれた6階建ての広大な建物も売却を余儀なくされた。
トップの総裁・野村悟は殺人罪、組織犯罪処罰法違反で、前記のとおり地裁では死刑を判決され、高裁で無期懲役、ナンバーツーの会長・田上不美夫も無期懲役、ナンバースリーの理事長・菊地敬吾も無期懲役など、幹部はおおよそ長期の懲役刑を宣せられ、組織自体がほぼ壊滅状態にあるといっていい。
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