台湾の逸材を惑わせた“過度”な期待「投げたくない」 苦悩の先にあった日本人コーチへの感謝
苦悩する逸材を導いた「投げる喜び」
中日、楽天でセットアッパーとして活躍した川岸強氏は、2021年から台湾プロ野球(CPBL)・楽天モンキーズの1軍投手コーチを務めている。戦力外通告や大怪我といった挫折から這い上がった「苦労人」が、自身の経験と恩師の言葉を胸に、言葉の壁を越えて台湾選手といかに「対話」し成長に導いているのか。異国の地で奮闘する日本人コーチの日々に迫った。
引退後、2015年から「東北楽天リトルシニア」での指導に携わっていた川岸コーチが台湾での生活を始めたのは2021年。言葉の壁がある中で最初に取り組んだのは、技術を詰め込む前に通訳を交えて「俺はこういう人間だ、君はどういう人間なんだ?」というコミュニケーションだったという。
その指導が実を結んだ出来事が今年4月に訪れた。チームの若き才能、劉家翔(リュウ・ジャーシャン)投手がプロ初勝利を挙げた際、地元メディアに対し川岸コーチへの感謝を口にした。「プロに入ったばかりの頃からずっと僕のことを見てくれていた。この初勝利は、僕からの彼(川岸コーチ)への恩返しです! 2年前、スランプで苦しかった時に川岸コーチがキャッチボールの相手をしてくれて、『きっと良くなる』と言い続けてくれた。その恩返しがしたかった」と語り、大きな話題を呼んだ。
川岸コーチは、劉について「楽天モンキーズは2月に沖縄・石垣島でロッテと交流戦を行うのですが、彼が登板した際、吉井さん(元ロッテ監督)が『いいピッチャーだね』と高く評価してくれたんです。それが台湾メディアでも大々的に報じられて、とにかく『すごいピッチャーだ』と一気に周囲の期待が高まりました」と、過度な注目がプレッシャーになったと振り返る。
当時2軍担当だったこともあり、近くで苦悩を見守っていた。「途中で伸び悩み、球速も落ちてしまった。本人も思うようにいかず、何より野球が楽しそうじゃない、投げたくないという雰囲気が伝わってきて、本当に苦しそうだった」と語る。
そこで、技術よりも「投げる喜び」を取り戻せる環境作りに徹したという。「彼に伝えたのは、『打たれたから使わないなんてことは絶対しない。結果が出ていないからダメだなんて思わないから、次の試合はこうしようよ』ということ」。まずは投げるのが楽しくなるように寄り添った。
その思いに応えるように、劉は自ら肉体を徹底的に鍛え上げ、見違えるような体格と球威を取り戻して今季の春季キャンプに戻ってきた。「僕が何かしたわけじゃない。彼が自分で気づいて頑張った結果です。中学生の頃から見ていた子が成長して結果を出す、あの感覚に近い嬉しさがありますね」と目を細めた。
異国の地で待っていた旧友との再会
ここ数年で、台湾野球は。台北ドームが開業し、ピッチクロックも導入されるなど、劇的な進化を遂げている。同時に、古林睿煬投手(日本ハム)や徐若熙投手(ソフトバンク)といったトップ選手が日本に渡った。
「彼らが日本で投げていると、台湾ではチームの垣根を越えてみんなで応援するんです。徐若熙や古林睿煬が投げているときは、敵チームだった選手もみんなで中継を見守っている。日本人がメジャーで活躍する野茂さんやイチローさんを応援したときのような、あの熱い絆は素晴らしいなと思います。僕も今は、台湾人のような気持ちで彼らを応援しています」
台湾球界全体がかつてない熱を帯びるなか、川岸コーチも1軍・2軍の投手コーチを歴任してチームを支え続けた。そして迎えた2025年、ついに1軍担当としてチーム史上初となる「台湾シリーズ優勝」の悲願を達成する。
この頂上決戦には、胸を熱くする再会が待っていた。対戦相手である中信兄弟の平野恵一監督は、桐蔭学園高時代のチームメート。「試合前、練習中に2人で『異国の地で野球をやるなんて思わなかったね』と笑い合いました」と振り返る。旧友に対しては、「ものすごいプレッシャーのなかで戦っていますが、チームは違えど『台湾の野球を良くしたい、貢献したい』という思いは一緒です」と野球人としてのリスペクトも忘れない。
インタビューの最後、日本の野球ファンに向けて川岸氏はこう話した。
「台湾の球場は独特で面白い。もし来たら『日本から来ました』と声をかけてください。僕ら日本人のコーチや選手にとって、それが一番の励みになりますから」
自身の挫折と恩師の教えを胸に、今日も台湾のブルペンで若き投手たちと「対話」を続ける日本人コーチ。その挑戦はこれからも続いていく。(「パ・リーグ インサイト」編集部)
(記事提供:パ・リーグ インサイト)
