何をやってもさえない自分。運動も勉強もそれ以外も50点だった。このまま人生が進んでいくのか。ラッシャー板前さんは、ある日突然、「おもしろくない人間になるな」との高校教師の言葉に一念発起。板前の仕事をやめ、たけし軍団入り。師匠・ビートたけしさんからの言葉を心に刻み、気づけば40年以上、芸能界で活躍を続けてきました。

【写真】「この髪型でしたね」板前時代の面影残る若かりし頃のラッシャーさん(7枚目/全11枚)

「なにもかも50点男」から卒業するために

── 20代でたけし軍団入りして、はや43年。なぜビートたけしさんのもとに弟子入りしようと思ったのでしょうか?

ラッシャー板前さん:高校卒業後は、板前修業をやっていたんです。ただ、高校時代、担任の先生から「お前、いつまでも50点男でいいのか」って言われたのが、ずっと頭の片隅に残っていたんですよね。勉強もスポーツも何もかも、怒られもしないし褒められもしない、真ん中の50点男でいいのかって。「おもしろくない人間になるな。0点を取ることもあれば100点を取ることもある、そういう人生がいいぞ」と言われていたんです。

成人式のときに、その言葉がふっと降りてきて。「このまま板前をやっていても、きっと50点のままだな。1回でもいいから殻を破ろう、自分のやりたいことをやろう」と、思い立ちました。お笑いにはもともと興味があって、中学のときに『ぎんざNOW!!』という番組の素人コメディアン道場に出たりもしていましたから。そして、師匠はずっと俺にとって憧れの人だったんです。

── 人気者のたけしさんに弟子入りしたい人は多かったのでは?

ラッシャー板前さん:初めて弟子入りをお願いしに行ったときのことです。深夜ラジオの収録後で夜中の3時なのに、出待ちのファンの女の子が200人くらいいる。そんななか、弟子入り志望のやつが3人も土下座している(笑)。「これはダメだ」と圧倒されて、その日はいったん引き上げました。

食レポを長く続けるため人知れず体調管理で闘ってきたラッシャー板前さん

── その後、再びたけしさんのもとに押しかけ、晴れて付き人となりました。たくさんの弟子入り志望者の中から選ばれた理由は何だったのでしょう。

ラッシャー板前さん:師匠が取材で「たけし軍団に入れる基準は?」と、聞かれたときに、言っていましたよ。横にいる俺を指さして、「こいつ見てどう思う?かわいそうでしょ。なんか不幸の匂いがするでしょ」って。「こういうやつはサラリーマンになっても絶対にやっていけないよ。特にかわいそうだなと感じたやつを弟子にしてる」って。言い方を変えると、「この世界(芸能界)しかない」という覚悟が求められているのかもしれないね。

板前修業をやっていた点もラッキーでした。当時、師匠は外食ばかりで手作り料理が食べたかったみたいで。「お前、料理できるのか?」って聞かれたんです。じつは板前修業は2年だけ。その世界ではほんの新人で、皿洗いや厚焼き玉子を焼くくらいしかやらせてもらってない。なのに、「ひと通りできます」なんて言っちゃった(笑)。それで付き人にしてもらえた。だから「筑前煮が食べたい」と言われたら、こっそり料理本で調べてから作っていました。

── 料理が作れないことはバレなかったんですか?

ラッシャー板前さん:しばらくは大丈夫でした。でも、それで油断しちゃったんでしょうね。ある日、餃子をリクエストされて、面倒だから冷凍餃子を焼いて出したんです。そうしたら翌日、怖い顔で「お前、ずっと俺に嘘をついてたな。ゴミ箱に餃子の袋が捨ててあったぞ!」って、怒られて。結局、「じつは何もできないんです」と白状して、改めて謝りました。

師匠・ビートたけしから学んだたったひとつのこと

── 芸人として、たけしさんからどんなことを教わりましたか。

ラッシャー板前さん:師匠が芸について「こうしたほうがいい」と教えることはほとんどなかったです。師匠は「チャンスは与える。売れるか売れないかはお前の感覚次第。売れなかったからといって、俺を恨むな」と、軍団のみんなにも言ってました。

いっぽうで、師匠から強く言われていたのは、「スタッフを大事にしろ」ということ。若いADさんにもきちんと挨拶する。「ケンカするならプロデューサーとしろ」って言い方もしていましたね。この教えは『旅サラダ』などの現場でも守りました。

── そうした姿勢も『旅サラダ』での中継レポーターとして25年起用され続けた理由のひとつかもしれませんね。大きな自信につながったのでは。

ラッシャー板前さん:ずっと師匠を見ていて感じたのは、「絶対に師匠にはかなわない。俺は師匠と違うところで勝負しよう」ということです。それは何かというと、やっぱりバラエティ番組の中継や食レポで。食レポだけは師匠に勝てる、そこが自信の源になっていました。

うれしいのは、師匠が『旅サラダ』をよく見てくれていたことです。「この野郎、お前はなんでもおいしそうに食うな。本当はまずいんだろ」って、やりとりをしょっちゅうしていました。それがすごく嬉しくて。「じつは俺のファンじゃないですか?」って返したら、「バカ野郎」って(笑)。その瞬間に、認められた!と思いました。

末っ子体質を活かして軍団の中を泳ぐ日々

── たけし軍団というグループで活動するなかで、競争意識が芽生えたりはしなかったのですか。

ラッシャー板前さん:いや、全然(笑)。たけし軍団って、良くも悪くも、そういう競争心が強くないんです。『スーパーJOCKEY』(1980~90年代を代表するお笑いバラエティ番組)などで、団体芸として番組を盛り上げてきたからかもしれません。挑戦企画でも、最初の人が成功したらコーナーが終わっちゃうから、最初の人は「難しさを見せる役」を担う。それに続く2番手、3番手で盛り上げる。そういう役割分担が体に染みついていました。

たけし軍団としての活動も盛ん。YouTubeチャンネル『たけし軍団TV』でオンライン飲み会を配信したことも

── 軍団が40周年を迎えても、仲よく活動できる理由がそこにあるのかもしれませんね。ラッシャーさんは、軍団の中で、ご自身の立ち位置をどう捉えていましたか。

ラッシャー板前さん:末っ子だと思っています。兄さんたちの特徴をわかったうえで、どこまでやったら怒られるか、匂いを嗅ぎわけながら、うま~く泳いでいますよ(笑)。ただ、仕事で手抜きはしません。師匠の付き人の仕事もそうですけど、やるべきことは寝る間も惜しんでしっかりやります。だから兄さんたちも「ラッシャーもがんばってるよな」と認めてくれるんでしょうね。

取材・文:鷺島鈴香 写真:ラッシャー板前、株式会社TAP